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「心」を肥大させるのではなくて、豊かになるような。

しばらく自由に文章を書いていないなと思って、
ひさびさにnoteを開けてみる。

企画書、論文、メール・・・
毎日数えきれない文字を打っているけれど、
目的のない「言葉」を全然書いていないなと気づく。

日本に帰国して、ちょうど1年が経った。
あっという間といえばあっとういう間だし、
1年前はまだヨーロッパにいたのかと思うと、
ずいぶん前のことのようにも感じる。

帰国する直前、「もう一度日本に馴染めるだろうか」と不安に思っていた。
コロナの中、いろんなことが急激に変化する中、思い切ってヨーロッパに旅立って、
言葉も文化もわからない中で、でも気づいたら毎日一緒に過ごしてくれる人たちがいて、心がストレッチするように伸び伸びひらいていったことを覚えている。

日本とヨーロッパ、どちらが良いというわけではなく、
「心」や「気」の遣い方がちがうんだと思った。

日本に帰ってきた時、「どうしてみんなずっと怒ってるんだろう」と感じたことを覚えている。
電車の中、レストランやお店で聴こえてくる会話、道を歩く人たちの表情。
母語だから全部感じ取れてしまう分、敏感になっていたのかもしれないけど、「みんな心がとっても忙しいんだな」と思った。

と同時に、衣食住、何気ない会話ひとつとっても、「心」が詰まっていて、美しいとも思った。

商品の包装、道路の標識ひとつ取っても、一杯一杯心が詰まっている。
去年、海外からいろんな友達が遊びにきたけれど、みんな似たようなことを言っていた。

「心」のこもったものに触れるのは嬉しい。
でも、「心」が渋滞した海を泳いでいくのは「心」苦しい。

みんなが自分の「心」を込めるだけではなくて、
見返りなく与え合えるような。

「心」を肥大させるのではなくて、豊かになるような。

そんな街を作るにはどうすれば良いんだろうか。

歌を歌うように、軽やかに、勇気を携えて。

言葉にしていきたいと思った27歳の最後の月曜日。


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