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どうして、心が引き裂かれてしまうんだろう。

以前、こんなnoteを書いた。

去年の秋からミュンヘンに留学していて、今は文字通り、学生1000人以上が住むドイツ最大級の学生寮に住んでいる。

ミュンヘンは物価が高い&人が多すぎて家を見つけるのが本当に難しいこともあって、寮には本当にいろんな国の人たちが住んでいる。
まさに、「小さな地球」という感じ。

もちろん、それだけたくさんの文化が一緒に暮らしていると、いろんなことが起こる。

数日前、寮で喧嘩が起きた。
私も「遠巻き」ではなく、登場人物としてその物語の中に入っている。
ただ、何せ人に対して怒ることが苦手&平和主義の性格なので、わたし自身は誰かに何かを言ったりはしていないのだけれど。

そして、結論から言うと、和解は成立して、今はまた普通の生活に戻っている。ただ、なぜか私は今もずっと揺さぶられている。

自分でもわからない何かに、心が引き裂かれている。
そして、引き裂かれたまま、ブリュッセル行きの列車に乗っている。

そんな状態。

「引き裂かれている」という言葉通り、双方の気持ちがわかりすぎてしまって、自分の中のふたつの心が逆方向に行ってしまって、どうやって戻ってきたらいいのかわからない。

そんな状態だと思う。

主に、アラブ系の学生とドイツ人の学生が争っていたのだけれど、双方が何に怒っていて、ただどうしてそれが伝わらなくて、食い違ってしまうのか。

そのすべてがわかりすぎるくらいに感じ取れてしまって、ただ、なんというか辛かった。

人のことを簡単に「わかる」というのは神様気取りのようで、すごく失礼かもしれないので、どちらかというと「共感」と呼べるのかもしれない。

そして、私を引っ掻いている気持ちは、ただふたつの心が分かり合えない、という「喧嘩」だけではなくて、その背景に透けて見えてしまう、国の力。マジョリティ、マイノリティというパワー関係、そのフィルターの中にいるからこそ守りたいもの/守らなければいけないもの、お互いに逆立ちしても理解できないこと。

喧嘩自体は一晩の言い争いだったけれど、そういういろんな大きな背景がうわーーっと自分の中に入ってきて、だから戦争や差別は終わらないんだなと思えてきて、そしてまた自分はじゃあどこにいるのか、どこに立つべきなんだろう、ということを考え出して止まらなくなった。

「どちらのことも理解できる」

と言うと、

「理解できる、じゃなくて、Maayaの気持ちはどうなんだ?」と言われたけれど。

本当に、どちらのこともわかるから、「どちらのことも理解できる」、それしか言えなかった。

ヨーロッパに来てからよく「自分のことを守る術はとても大事だ」と言われるようになった。
日本にいたときはあまり考えたことがなかったけれど、こちらに来てからよく、特に感情面を表す意味で、「自分が傷つかないようにね」と言われることが多い。

その言い分はよくわかる。
よくわかるし、賛成もする。

ただなぜか、感覚としていまだにあまりしっくりこない。

お人好しなわけでも、コミュ障なわけでもない。
興味のあることないことはすごくはっきりしているし、自分が使いたいことに時間を使うことがとても好きだ。

ただなぜか「自分を守る」という心の使い方がよくわからないのだ。

今も書いていて、自分でもよくわからない感情の渦の中にいるのだけれど、あの喧嘩を思い返せば返すほど、どうしてわたしはこんなに「共感」してしまうのだろう、と。

ウクライナでの戦争がはじまって、はじめは「戦争」という出来事が目の前で本当に起こったことに慄いた。

たぶん、多くの方と同じだと思う。

ただ、今はそれ以上に、この戦争に対する国の間での態度の違い、温度差の方に心を引き裂かれる。

この戦争が起こる前から、世界中では今もいろんな戦争が起きている。

ただ、今回の戦争が起こったときの西欧諸国の反応は、そんなことはなかったかのような、あたかもこれが今世紀初めての戦争かのような反応に見えてしまった。

自分も紛争地からは遠い場所で育った日本人で、正直、同じような反応をしていた。

ただ、いろんな文化の人と話せば話すほど、その自分のフィルターに自覚的になっていった。


「人ひとりの命の重さが、違うように扱われている気がする」

あるアラブ系の方に、そんな言葉を言われたことがある。

「アラブ諸国でいろんな酷いことが起きても『あそこは危険だから』で済まされてしまうのに、ウクライナは自分たちのすぐそばにあるから、みんな大騒ぎしている」

もちろんその方もウクライナのことには心を痛めていて、それが決して大したことではないと言っているわけではない。

ただ、明らかに違う温度感に、なんとも言えない感情に巻き込まれている。

寮で起きる喧嘩という日常生活の小さなことと、世界規模での戦争。
そんなスケールの段違いのもの同士がわたしにはどうもパラレルに見えて、あちらとこちらに心が出向いてしまった。

そして、今は電車の中。

明日からは、「New European Bauhaus Festival」に参加します。
都市をテーマにした、EUのアート、デザインの新しいフェスティバルです。
アルスエレクトロニカの方々に紹介していただき、訪れてみることにしました。

https://new-european-bauhaus-festival.eu/home

もうすぐ目的のブリュッセル駅。

その後は、また違う目的地へ向かいます。


身体の旅と心の旅。

どちらもまた、noteの場を借りて、言葉にしていきたいと思います。

ぜひ読んでいただけると嬉しいです。




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