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そうか、そういう事だったんだ! マカピーの日々 #1370

マカピーです。
図書館が期限切れで放出した本を読んで納得したんです。

それは「バレーボール監督・コーチ入門」監修は小川良樹さんという高校のバレーボール部の監督さんの著書でした。

何となく気になっていたのですが読んでなかったので、マレーシアに戻る際にバッグに入れて来たんです。

昨日棚にあったこの本が目に止まり技術書的なものかと期待しないで読みすすめました。

そもそもこの本を選んだのはマカピーが中高の頃にバレーボールをしたことがあったからです。

でも、マカピーは高校1年生でレギュラー選手に選ばれたにもかかわらず夏休みが終わると退部届を出して辞めてしまったのでした。

あんなに好きだったバレーボールが負担に感じて来たのは練習の厳しさでは無く楽しむのではなく勝利至上主義なスポーツに疑問を覚えたからです。

マカピーは中学から始めたバレーボールで先輩に恵まれ県で2位になるチームに所属し2年生でレギュラーになれました。

ところが3年生ではキャプテンで参加するも、常勝だった郡大会から県大会に進出できなかったのです。

それが気持ちの中で「勝たねばならない」プレッシャーが気持ちの中に厚く積もってたように思います。

心機一転入部した高校のバレーボール部は県でも上位校レベルでしたし、中学時代の先輩もいていい感じでした。

当時そのチームを指導していたのは実業団選手を経験した身長195㎝体育教師でした。

いわゆる鉄拳制裁もいとわない監督が指導者だったのです。

それに体育系の教員は体育館に付属する「体育教官室」に寄せ集められていて、暴力的な雰囲気を醸し出していて生徒も近寄りがたいものがありました。

まあそれが当時の一般的なスポーツ根性を鍛えるスタイルだったのでしょう。

高校総体県予選大会の二戦目は全国大会出場常連校であまりの実力差に圧倒され2セットでたった一点しか取れなかったのです。

これがいわゆる全国レベルか!

マカピーはあまりの実力差に愕然としました。

でも、それよりもマカピーが忘れられないのは一戦目で格下と思われるチームとの試合でした。

思う様にうまくプレイが出来なくなり、失点が重なると監督はタイムアウトをとってチームを一列に並ばせてました。

なんと観衆もいる中、端から順番にビンタを浴びせ、喝を入れたんです。

キャプテンは鼻血を出し体育館のフロアーを汚してしまいました。

彼はその後も止血の鼻紙を入れたままプレイし何とか挽回して試合そのものは勝ちました。

しかしマカピーはとてもプレイを楽しめる気持ちにはなれず、気持ちが冷めて行くのでした。

スポーツに体罰なんて絶対あり得ません!

中学時代の監督は数学教師で殆ど口を出すことはありませんでした。

しかも彼はバレーボールの素人でした。

生徒が自分たちで研究してプレイの技術や体力づくりのメニュー作りをやっていました。

しかも先輩達は学業の成績も優秀で後輩のマカピー達の面倒もよく見てくれました。

あの頃は楽しかっなあ。

高校チームでの問題は一年生のチームメイトがどんどん減って行くことでした。

マカピーと中学時代は野球部だったチームメイトの二人だけになった時に「これで来年になったら、新入生に期待するしかないのか、ボクはどんなチームをつくれるのだ?」と不安になったものです。

つまりマカピーも勝つ事に執着していんです。

そもそも当時でも高校で運動部に入る生徒がかなり少ないのです。

大学受験の邪魔という雰囲気でしたからね。

もっと気楽にスポーツしても良かったはずなのにもったい。

実際にマカピーのクラスで運動部所属は二人だけでした。

それでもよく見ると、中学時代の県大会で顔を見たことのあるクラスメイトがいて「おい、一緒にバレーボールやろうぜ」って誘っても「中学時代で十分だよ」と断られました。

マカピーは夏休みのある日登校しバレーボールの激しい練習の合間に体育館から外で涼んでいる時に野球部の練習風景をぼんやり眺めていました。

その学校は丘陵地にあったので上段、中段、下段のグラウンドがあったんです。

上段ではテニスとバレーボールがありバスケットボールが専有する体育館を使えるのは限られていてました。

土のコートでの練習ではスライディングレシーブでシャツには穴があき泥だらけのジャージを家に持ち帰るので一旦水場で下洗いするのです。

しかも当時は悪い習慣があり、先輩のジャージまで洗わされたのでした。

サッカーやラグビーのピッチと体育館は中段にあり下段には野球部のグランドがあったのです。

マカピーたちは中段から眼下に掛け声をしながら野球部の1・2年生が隊列を作ってランニングを眺めていました。

そこでランニングしている一人が転んだのですが、起き上がらず仲間が囲んでいたので異変があったと分かりました。

マカピー達の休憩はそこで終わったので「大丈夫かなあ」などと話しながら練習に戻ったのですが、そのあと分かったのは救急車が来てグラウンドに倒れた生徒は意識が戻らないでそのまま亡くなったと聞きました。

炎天下での練習による熱中症があったようです。

彼はマカピーと同じ1年生でした。

なんで彼は死なねばならなかったのか?

今でも当時を思い出すとやるせない気持ちになります。

当時は練習中に水を飲むことを許してもらえない慣習があったんです。

非科学的極まりない状況だった時代の犠牲者は少なくなかったと思います。

今の世の中では考えられないですよね。

好きなスポーツをやっているはずなのに、死んでしまうってどういう事でしょう?

苦しい練習ばかり、監督が怖いからやらされていた・・・、そんなスポーツを本当にやる必要があるのか?

マカピーはバレーボール部を辞めて正解だったと思います。

何よりもマカピー自身がバレーボールを嫌いにならず後年仲間とバレーボールを楽しむことが出来た事に感謝します。

先述した小川さんの著書では、バレーをする生徒のよろこびを失わず、3年間で技術と体力増進をバランス良く図り東京都代表として全国大会にコマを進めるかを生徒の状態を見ながらアレンジしています。

決して強制しません。自主性に任せながら大局的に指導するやり方で全日本に参加するような選手のいるチームを作っている采配に感銘しました。

そうなんだ!

マカピーの高校時代の指導者こうした考え方が一般的なる必要があったんだなあ。

中学生の頃のチームの監督は生徒の自主性に任せて、まさしく小川さんのような方だったように思います。

ところが体育大学出で竹刀をもって指導する女子バレー部の監督とは大違いでした。

彼の体育の授業では、マカピーと一緒にバレーボールを始めた同級生が水泳教室中に死亡しました。

浄化装置が故障していて水質が悪化していたので同級生が水底に沈んでいるのに気づくのが遅れたのです。

同級生は心臓が弱くバレーボールの練習中も青ざめ苦しそうになるので、仲間が無理させない様に見守りながら練習をしていたのです。

どうしてなんだよ~

あの朝も一緒に朝練をしていたのに、授業中に死んでしまうなんて、どうしても受け入れ難かったのです。

体育教員は書類送検されましたが不慮の事故と処理され彼の責任は問われなかった様に覚えてます。

本当にあれで良かったのでしょうか?

マカピーはそのショッキングな出来事の後暫く練習に身が入りませんでした。

高校時代の殆ど面識の無い同級生が亡くなった事故の前にも既に辛い経験をしていたことを思い出しました。

自ら考えて行動出来ない選手を鉄拳制裁で鍛えても何にもならないのです!

未だ前近代的スポーツ指導がされているとしたら、教育委員会の指導のもとで早く改善されるべきです。

マカピーでした。
最後までお読み頂きありがとうございます✨ 若くして死んでしまった仲間の分まで人生を楽しみましょう。





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