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「Ministry」キャッチコピー&編集後記で振り返る10年 「牧師のミカタ」から「頼れる“紙”」へ

(2019年2月発行「Ministry」40号 特集「10年目のリアル」より)

 この雑誌は牧師の「味方」であるに留まらず、牧師が現代を捉えるための「視方」を提供するとともに、牧師に対する「見方」をも広く社会に提示する。そのためにも引き続き、教派を超え、また宗教、思想を超えた幅広い方々に登場してもらいたいと願っている。(創刊号・2009年春「編集後記」より)

 2009年の創刊に際して付けたキャッチコピーは「牧師のミカタ、創刊。」だった。実践神学に寄与しつつ「次世代の教会を築く若い牧師、教会役員たちが、元気にこの荷を負っていけるように」との目標を掲げた。「牧師中心主義を助長する」「この期に及んで牧師の肩を持つのか」との誤解も一部見られたが、新しいメディアの登場は概ね温かく迎えられた。

 翌10年は「使える雑誌、仕える雑誌。」、11年「ホネがある。ホンネが読める。」、12年「教会再考×再興×最高!?」と続く。既存のキリスト教メディ
アが「建徳的」な記事に終始する中、後発の雑誌として差別化する意味でも、現実に問題となっているにもかかわらず可視化されてこなかった課題
とあえて向き合い、リアルな「本音」に迫るという気概が表れている。

 次世代の教会をゲンキに「再興」するためには、キリスト教が内に秘めた豊かな伝統と文化を重んじながら、かつ既存の教会像、牧師像、信仰観を根本から問い直し、多面的に「再考」しなければならない。そうして初めて、「やっぱり最高」といえるかどうかがわかるはずなのだ。(13号・2012年春「編集後記」より)

 13年から「境界を越える、教会が見える。」とした背景には、取材・編集をしながら事実「越えられない」多くの壁に直面し、これまで以上の“越境”が必要だと思わされるに至った経緯がある。

 当初の案では、後半を「教会を変える」または「教会が変わる」としていた。しかし、ふと立ち止まる。確かに教会はこれまで、あまりにも変わらな過ぎた。社会的現実や神学的な議論をふまえず、内実の伴わない前例踏襲主義に陥る危険性は自覚されるべきだが、常に「変える」こと自体を目的化す
ることは果たして……!?
 (中略)まずは、狭隘な境界を越える。越えなければ見えない景色がある。自らの姿を客観的に見ることができなければ、変わるべきかどうかを判断することすらかなわない。(17号・2013年春「編集後記」より)

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 教派や信条、団体や企業など、既存の枠を越えた“越境”によって「ひろがり」と「つながり」による豊かさ、知れば知るほど奥深く「おもしろい」(interesting)という事実にたどり着き、15年から「ひろがる、つながる、おもしろがる。」を経て、17年には宣教者パウロに倣い、常に改革され続け、新しい発見と驚きを提供し続ける媒体でありたいとの願いも込めて、「『目からウロコ』が止まらない。」、そして18年「困ったときの〝紙〟
だのみ」
へという変遷をたどる。

 かつて「使える雑誌」と銘打っていたことがあったが、その名のとおり存分に「使って」いただけているとの報せは何よりの励ましになる。そこで……新しいキャッチコピーは、「困ったときの“紙”だのみ」。教会がさまざまな困った難題、トラブルに直面したとき、そばに寄り添って解決のヒントをそっと提供できるような頼れるメディアであり続けたいと願う。(37号・2018年5月「編集後記」より)

 キャッチコピーの選定は、折々の願いを込めつつ、「次世代の教会をゲンキにする応援マガジン」としての立ち位置、役割を再確認する作業でもある。「雑誌は3年で消える」と言われた業界のジンクスを破り、10年の節目を迎えた。見える景色が変わったかと言えば甚だ心許ない。しかし、10年の歳月を共に歩んだ執筆陣、読者、スタッフ諸氏の残した小さな軌跡が、いつかどこかでささやかな奇跡を起こす日が来ること――あるいはすでに起こしていること――を信じてやまない。


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