まーちゃん / ざきさん

東京都青梅市出身/88世代/社会教育士(島根大学2期)/ZaPASSコーチ養成講座10…

まーちゃん / ざきさん

東京都青梅市出身/88世代/社会教育士(島根大学2期)/ZaPASSコーチ養成講座10期/地域×ひとづくり/自然体験活動/社会学/ガーナ・タンザニア駐在/ラフティング

マガジン

  • シャケゼミの学級日誌

    • 8本

    社会教育を学び続ける「還流する変態集団」の学級日誌。変態集団の冒険は止まらない!

最近の記事

「家庭教育」と「社会教育」の境界をぼちぼち溶かしていこうかという話

「学校教育」と「家庭教育」以外の領域ぜんぶ ざっくり言うと「社会教育」はそういうもんだと思っていた が、よくよく考えてみると この定義ができた当時といまを比べると 家族の在り方も、学校の在り方も随分変わったのだろう そもそも前提条件が変わってしまったのだから 「社会教育」、「学校教育」、「家庭教育」の 3つのカテゴリーでわけるのにも無理がでてきているんじゃないか もちろん「家庭教育」の大切さを否定するつもりはみじんもない けれども、いまの"家庭"に、かつて思い描いてい

    • "やりたくないことを、やらないこと"と"やりたいことを、やること"のカンケイ

      "やりたくないことを、やらないこと" "やりたいことを、やること" 表と裏の関係の様に見えて 実は全然違うのかなとふと思った もちろん二者択一でもなければ どちらかだけ正解ということもないのだろう 心地よいバランスは人それぞれだと思っている "やりたいことを、やれないこと"が モヤモヤの根っこにあったのかな そう思っていたけれど "やりたくないことを、やること"の方が ジワジワと自分をすり減らしていたのかもしれない 余裕や余白があるとどこからか"いいめぐり"がや

      • 温泉好き移住者から見たうんなんエリアの温泉ランキング♨

        雲南市に移住してからもうすぐ1年 うんなんエリア(雲南市・奥出雲町・飯南町)の温泉ガイドブックを片手に暇を見つけては、ローカルの温泉に足を運んでいました ★うんなんエリア 温泉ガイドブック https://www.unnan.jp/files/original/202304111706158800d78ce4d.pdf 気が付けば15ヶ所中、11ヶ所を巡っていて 残りは遠方or宿泊者のみの温泉 ということで、一旦このあたりで、自分なりに振り返ってみようと思います せっ

        • "Cross the Border"&"越境"の3つのカタチが見えてきた

          昨日は、ご縁あってROOTSさんの話を伺う場にお邪魔してきた "Cross the Border"をテーマにした話を 自分自身の経験とも重ねながら伺っていた 自分の場合は、社会教育だったり、地域×ひとづくりの文脈で "越境"と学びを考える機会がこれまであったので いろんな発見があった面白い時間だった せっかくなので、自分なりに考えたこと・見えてきたことを綴っておきたい 考えたのは "Cross the Border"や"越境"には少なくとも3つのカタチがあるのだろうな

        「家庭教育」と「社会教育」の境界をぼちぼち溶かしていこうかという話

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        • シャケゼミの学級日誌
          8本

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          実家の庭掃除をしていたら、亡き父親に再会した感覚を覚えた

          9ヶ月ぶりに帰ってきた実家 フェンスに絡まったツルがふと目に留まった スタスタと石垣を登って ツルをちぎって 竹ぼうきで落ち葉を掃いていく 集めた落ち葉を一輪車でいつもの場所に捨てていく 特に意識することもなく 自然と体が動いていく 小学校の頃、庭掃除の手伝いをしながら 父親の動きを見ていたからだろう あの頃、父親がやっていたこと それとと全くおんなじことを 今度は自分がやっている ”誰かの中で生き続ける”とは、こういうことなのか 父親が亡くなってから早6年が経った

          実家の庭掃除をしていたら、亡き父親に再会した感覚を覚えた

          2023年の私の推し本3選!

          2023年は、環境の変化(転職・移住)があったり、 資格(歴史検定)の勉強に結構な時間を割いてみたり。 そうこうしていると 例年よりはあまり本を読んでいなかったような気が。。。 とはいえ、多少は本を読んでいたので、 今年読んだ本も振り返って、お勧めしたい本をピックアップしてみました! 今年はノウハウや専門知識を学ぶための読書が多かったのですが、 自分の心に残っているのは、むしろ、それ以外の領域の本でした。 本を通じて仕事に直結する勉強ももちろん大事なのですが、 やっぱ

          2023年の私の推し本3選!

          "チャレンジ疲れ"と筋肉痛

          "チャレンジ疲れ" まちの総合計画策定の話を聞いていて、出てきたこの言葉 興味深かったので、自分なりに考えてみたことをつづってみる ・チャレンジしている側以上に「チャレンジを見ている側」が 自分たちも何かしなきゃいけないの?という息苦しさのようなものを 感じているかもしれないという指摘が印象的だった。 ・立ち止まって考えてみると、「○○疲れ」や「○○痛」は、とかくマイナスに捉えられがち。じゃあ、ポジティブな疲れとか痛みはないの?と、考えてみたら、筋トレ後の筋肉痛は嬉しい(

          "チャレンジ疲れ"と筋肉痛

          社会教育がむしろわからなくなってきたという話

          11月中旬に社会教育関係で複数の現場にお邪魔する機会に恵まれた いい意味でたくさん揺さぶられて 「社会教育」がよくわからなくなってきた。。。 わかったつもりになっている時は悩まないのだけれど 本質に触れ始めてくると、むしろ「わからなく」なってくる きっとそういうものなのかな そんな状況だけれども このタイミングで「社会教育士」についてちょっと話を聞かせて というご連絡が(これまたありがたい。感謝!) 自分の頭の整理のために書き出してみると 社会教育の勉強を通じて「学ん

          社会教育がむしろわからなくなってきたという話

          学びの芽を摘む無料(タダ)カルチャー

          先日、ハッとさせられてから、ずーーーっと考え続けていることがある 多様な学びの機会は広く提供された方がいいと思う 経済的な理由から学びの機会に格差が生じてしまう そのようなことはできる限りないようにしたい だからこそ 学びの機会が無料だったり、相当な安価で提供されることは "いいこと"だと思っていた が、もう一つの側面に気付いてしまった 学びの機会は無料ないし相当な安価であることが”あたりまえ” そんな文化(カルチャー)が身の周りに蔓延しているとしたら 行政の予算や

          学びの芽を摘む無料(タダ)カルチャー

          インタビューの前に、まずは通学路でキョロキョロしてみては?

          ここには、前職の国際協力事業とまったく同じ構造があるのかもしれない 最近、探究学習に携わる機会を頂いて 特に「地域の課題発見」的な文脈でふと思った 話は少しさかのぼるが 私の大好きなムラのミライさん(旧ソムニードさん)の本を読んでいて、 なるほどと膝を打った瞬間があった 地域の課題を村の人や行政官にインタビューするのもいいけれど、 家を出てから、インタビューの会場までの光景の中に、 課題と思しきものは、なかったか? 気になるモノコトはなかったか? 確かそんな話だった気

          インタビューの前に、まずは通学路でキョロキョロしてみては?

          1歩引~~~かない宣言!

          先日も探求学習の場に協力させて頂いた。 いろいろとこちらで思いつくこともあるのだけれど、生徒さんの主体性やアイデアも尊重したいので、どこまで言うか、どこから引くかという一線がいつも悩みどころ。 先日、ジェネレーターゼミ@海士町に参加させてもらって、ジェネへの感度が上がっているからよりそう思うのだけど、”オトナ”側が1歩引いてもなんか中途半端な感じに終わるような感覚。果たしてこれは誰得なのか? というか、生徒さん側に主体性を求めつつ、オトナ側は、1歩引く(=オトナ側は主体

          1歩引~~~かない宣言!

          "心理的安全性"を妄信しすぎて、混同していたかもしれないこと~パレーシアから見た"心理的安全性"~

          昨日お邪魔させて頂いた対話の場で 「パレーシア」という概念を初めて耳にした 「パレーシア」とは ”全てを語る=自分の考えていることを包み隠さず語る”ことで このような姿勢が近年の企業経営・組織経営でも大切とのこと たとえ自分が弱い立場にいたとしても それが周囲が想っていることと違ったいそうな気がしても 大事だと思ったことは素直に話そう ということだと、自分なりに理解した パレーシアにはいくつか条件があるとのこと その中でも 「話し手とその内容の間に親密な結びつきあるこ

          "心理的安全性"を妄信しすぎて、混同していたかもしれないこと~パレーシアから見た"心理的安全性"~

          地域づくりでは、むしろ「割れ窓理論」の逆が大事なのかもしれない。

          地域づくりについて、話を伺う機会があった 放ってほけない場所 関わらずにはいられない場所 そういう場所が、地域にあると どうやらいろんな活動が自然と湧いてくるようだ どうやったらそんな素敵な場所がつくれるのだろう そんなことを考えていたらふと思ったことがある 「割れ窓理論」の逆なんだ 地域のなかで「割れ窓」をいい感じに残しておく いや、もっと言うと、地域のなかでいい感じに「窓を割っておく」 そういうことが大事なのかもしれない 割れた窓を直しちゃったら また誰も関わ

          地域づくりでは、むしろ「割れ窓理論」の逆が大事なのかもしれない。

          ひとはいつから”無駄”という概念を持つようになったのだろうか?

          "いま"を無駄にしていることに対する恐れ この恐れが自分の深いところに横たわっているのかも キャリアについて考えていた時にそんなことにふと気が付いた 無駄かどうかなんて、後になってみないとわからない そして、振り返ってみると、 どんなことだってなんだかんだどこかで繋がっているのだろう だから、人生の最後の瞬間にならないと 本当に無駄だったかどうかなんてわからない そういうものではないだろうか それなのに、いまこの瞬間から見た時に 「無駄のようにみえること」に恐れてい

          ひとはいつから”無駄”という概念を持つようになったのだろうか?

          地域が存続するとは、地域を残すとは、どういうことなのか?

          先代から引き継いだ「いのちのバトン」を 自分たちもまた次の世代につないでいく それが生きるということなんじゃないか そういう旨の話を先日伺った 日本の伝統社会は生者・自然・死者の3つの世界とのつながりの上に成り立っている 私の好きな内山節さんはそう仰っていた この2つをあわせて考えてみると 次の世代に「いのちのバトン」を引き継ぐということは、自分たちが引き継いだ「死者の世界とのつながり」の蓄積を次の世代に渡していくこと そして、自分たちもまたその「死者の世界」の一

          地域が存続するとは、地域を残すとは、どういうことなのか?

          お金がないと外遊びができなくなった“あべこべ”なせかいへの違和感

          お金がないから、外遊びをした お金がなくたって、外(自然)にあるものを何でも遊べるものにした それが、親父たちがこどものころの世界だった 時が経つにつれて 外遊びのできない親世代がどんどん増えていった 野草でちょっとした遊びをしたり あんま釣りくらいは自分もできるけれど 親父たちにははるか及ばんなとつくづく思う 自分も長らくお世話になってきたのだけれど 自然体験活動の中でも短期キャンプなどは、なかなかのいいお値段 外遊びをするのにもお金がかかる時代になったんだなぁ

          お金がないと外遊びができなくなった“あべこべ”なせかいへの違和感