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持続可能なまちづくりとは・「商店街とSDGsの関係性を考えるVOL.4(#5)

さて、ここでは、商店街とSDGsの関係は、商店街の持つ「場所性」「地域愛」などをベースにした「コミュニティ」を意識することが、今後の持続可能な商店街を考えるうえで大切という部分を考えていきます。

戦後から昭和の時代、商店街は、消費の場として機能してきました。しかし、消費者の購買変化や自らの商業機能の低下でその役割を果たすことが出来なくなってきます。これは、もちろん、事業承継など個店の問題が大前提ですが、特に、国の施策が、経済の活性化つまり売り上げ、来街者数に力点が置かれ、変化しにくい構造(地権者・借地・借家・転貸借が複雑に入り組んでいる)や補助金に頼った組織運営など構造的な部分にメスを入れてこなかったことも、原因のひとつだったと思います。
特に多くの商店街が、戦後の闇市や、駅、寺院など人が集まるところに自然発生したところが多いだけに、この複雑な権利関係が、街の発展を阻害する要因にもなっています。この権利関係を解消する方法のひとつとして取られたのが、高度化資金を活用した「店舗の共同化」です。

店舗の共同化事業・高度化資金

1963年小売商業店舗共同化事業が創設され、全国で写真のような街道型共同店舗や寄合百貨店等が建設されていきます。

駒ヶ根市・駒ヶ根広小路商店街
春日井市・鳥居松広小路商店街
江南市・江南駅前

この共同店舗は壁を共有することで、建築費を抑え、効率的な店舗を目指しますが、この共同店舗は、3~40年経過し、いくつか問題点が出ています。一つには後継者が、跡を継がず高齢者(廃業した元店主)の住居化していることです。借金の返済も終わっていることから、シャッターの内側で暮らす高齢者は困っていないので、貸すこともしない。もっとも職住一体構造ですから、店舗部分だけ貸すことも出来ません。これは共同店舗だけではなく、他の店舗にも当てはまることからシャッター商店街が出来てしまう大きな要因のひとつです。
どの建物も1~2階を店舗に3階に住居という設計ですが、、先日行った江南市のケースでは、権利者は、地元からいなくなり、再開発の同意も得られないようです。春日井の鳥居松広小路商店街は、シャッター通りになっていますが、権利者が住んでいる空き店舗も、駒ヶ根は、以前、視察した時には、一部空き店舗の活用も出来ていましたが、いずれも昭和の負の遺産です。

昭和53年10月春日井市で初めて高度化資金を活用してオープンした「アミ坂下」
春日井商工会議所20年の歩み(記念誌)より
現在、食品スーパー、ドラッグストアー、釣り具、ジム他

さらに、自分達で、SCを作り共同化を目指した施設が春日井にもあります。この「アミ坂下」は昭和58年、春日井商工会議所が主導、高度化資金を使って設置した共同店舗です。坂下商店街の近代化を目指して商店街が協同組合を設立し移転します。ただ。この高度化資金は、元店舗(本店)を閉鎖するという条件があり、坂下商店街でも移転に賛成する店舗と反対する店舗が出来、大きな溝が出来てしまいました。いまは、当時移転した店舗は殆ど廃業、テナントを誘致しながら運営されていますが、坂下商店街は解散し、数店舗が営業していますが、昔の面影はありません。当時は先駆的な取り組みとして、全国から視察がありましたが、数年前、場外馬券場の誘致が検討された時に、地域住民から大反対の声が上がり賑わしましたが。結局、誘致は断念されました。僅か40数年の間の出来事です。

再開発事業は、別稿で書きますが、同様に、このような建築物は、時間の経過とともに、維持する費用の捻出が出来ず、再び負の遺産として社会問題化し地域のコミュニティの崩壊につながってきます。耐用年数を考慮にいれ、次の開発の準備も進めて行く必要があるんでしょう。

少し、開発よりの話になってしまいましたが、2009年の地域商店街活性化法で定義された「地域コミュニティの担い手」という概念の解釈は「商店街は地域コミュニティの核である」ではなく「地域コミュニティの核にならなければ存続できない」なんだと思います。

結果として「イベントをやって人を集めれば良い」という誤解を生み、ボランティア頼りの運営で、商店街は疲弊していきます。イベントは目的を達成するための手段です。「自分たちのまちをどうするのか」また「どういう街を子孫に残すのか」の議論をし、この過程があって、初めて「地域愛」が醸成され、本来商店街が持っている「場所性」が活かされてきます。空き店舗対策も含めてハード・ソフト両面から考えることが必要です。


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