見出し画像

「Z世代に売れる」ものは作れない

おはようございます。こんにちは。こんばんは。
MACHICOです。

日本のアパレル業界に勤めて早〇〇年が経ち、もはや「若者」のくくりではなくなりました。(それでも我が社はここ最近、新卒採用どころか中途採用でも20代を取らないので30過ぎてからもまだまだ若者扱いを受けている今日この頃を過ごしております。汗)
そんな中、昨今のアパレル業界(だけではないだろうけど)では、「Z世代に受けるものを作れ!」だの「Z世代をターゲットにした商品を売れ!」だのと叫ばれるようになりました。えらい人たちからね。

そもそもZ世代とは?
ジェネレーションZ(英: the generation Z)、Z世代(ゼットせだい)とは、概ね1990年代中盤から2000年代終盤までに生まれた世代のことである[2]。生まれながらにしてデジタルネイティブである初の世代である。ジェネレーションY(Y世代、ミレニアル世代とも)に続く世代であることから「Z」の名が付いている。
出典元:『ジェネレーションZ』『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』

私も最初はZ世代の嗜好分析や、マーケットリサーチ、時には数少ないZ世代と思われる知り合いにお話しを伺ったり…本来パタンナーという立場はデザイナーではないのでここまでやらなくてよいのですが、

「とにかくZ世代に受けるものを作れば市場独占したようなものだ」というえらい人たちの言葉に騙され、数年奔走しておりました。

騙され、

そう。私騙されてたんですね。

いや、正確には騙してる側(えらい人たち)も騙しているつもりはないのでしょう。
ですが、私は勝手に騙されていると思っている。
なぜなら、
「Z世代に売れる」ものなんてない、と思うからです。

では、なぜそう思うのか。以下に個人的私見且つ偏見を述べて行きます。

「国民的」流行がなくなった

従来ムーブメント、ブーム、トレンド、つまるところ流行は若者が創り出していた。
(仮に大多数のえらい人たちが関わっていたとして、少なくとも若者が創り出しているように見えていた)
その構図はきっと今も変わらずそうだろう。

私が覚えている中で一番古い流行の類は「キ〇ィちゃん」ブームだ。
90年代、若者たちはみーんな〇ティちゃんグッズを持っていた。(と思う)
この時代、私は幼稚園~小学生だったので、直接流行に乗っかったという形ではないが、やんわりとでもこの流行があったことを覚えている。
実際に使用している、所持している層は若者だとしても、国民全員が認知している。いわばこういった現象が「国民的」流行であると言えるのでしょう。

他にも今から20年前くらいまでは、ヒットチャートに入るようなアーティストの楽曲は国民のだれもが歌えた。
サビだけでも知っている、という曲が何曲もあった。
そういった現象もこのサブスク全盛期の今は見受けられない。
辛うじて「国民的」と言われる楽曲で、ここ最近で一番記憶にあるのは2014年発売のA〇B48「恋するフォーチュンクッキー」が最後のような気がする。
ソースは当時カラオケ屋で働いてたこの私。
大人も子どももみーんな歌って踊ってた恋チュン。これももう8年前。(震)
それ以降もOfficial髭〇dismや、米〇玄師、YOASOBI、Ado等、ヒットしたアーティストもいる。が、「国民的」流行かといわれると怪しい。
特に、「ネット発」なアーティストが多いのも時代の傾向であると言える。

まぁそんなことはみんなわかっていると思うんですよ。
私レベルの人間が気が付くことに、えらい人たちが気が付かないわけがないと思うんです。ではなぜ、「国民的」といった流行がここまで発生しなくなったのでしょうか?

嗜好の多様化とスピード感

流行が発生しなくなった理由、これは単純です。
嗜好が多様化したから、です。
なんなら若者のプラットフォームであるSNSですら多様化している。
TikTok、Twitter、Instagram、Facebook、
それぞれの特性、好みによって自分で調べて研究して選択している。
20年前の流行が「若者が創り出したもの」だとしたら、現在の流行は…そもそも創り出されているのでしょうか。
自ら選択したSNSから情報を得て、更にそこから嗜好に合う人、ものを選択している。
そしてその一人ひとりの選択が果たして流行につながっているのかは甚だ疑問です。
流行という言葉すら昨今聞かなくなりました。
まぁただ、これに関しても大半のえらい人たちはわかっていると思うんですよ。
少なくとも現役世代の50代くらいまでの年代の人ならこの膨大な情報による嗜好や選択の多様化について理論上は理解できていると思うんですね。
ですが、体がついていかない。
30代以降の年代の方は少なくとも「みんなが持っているから」「みんなが使っているから」「所有している、使っていることに意味があるから」買ったもの、使ったもの、ひとつはあると思います。
そういった経験が実際の体験として根付いているのです。
では今はどうでしょう?

上記で述べたように、Z世代は毎日毎時間毎分、エンドレスに流れてくる情報、選択肢の中から自分で選んで決めているのです。
つまり、100人いたら100通りの嗜好と選択があるのです。
しかもその嗜好も選択も毎日のようにコロコロ変わる。
今欲しいものは「今」欲しい。
つまり、Z世代が欲しいものをいくらリサーチしたって、「今」提供できなければ意味がない。

つまり、嗜好や選択が多様化したことだけでなく

スーパーウルトラハイパーギガント(?)スピードが必要になったのです。

なんということでしょう。
私たち外野がいくら鬼のようにリサーチして足つかって頭ひねって商品を生み出したとしても、商品化されて消費者に届く頃にはZ世代にとって要らないものになっている可能性があるのです。個人的私見且つ偏見かもしれませんが。

これは10数年前から定着しているファストファッションよりも更にスピードが必要ということです。
その上、消費して更に所有することが正しい世の中ではないのでさらに厳しい。
20年以上前から思考停止した日本のシステムはとうの昔から限界を迎えている、と言っても過言ではない、と思うのです。

…と、そんな事言ったって、利益を上げなければいけない。
その為には若者に受け入れてもらいたい。
利益を上げる為に私たちはなにを目指してったらいーのーとなりますよね。私もなります。
そこで、以下のような提案を考えてみました。(誰)

ものではなく、システムを作る

そもそも、本質を見失ってないか?という事を問いたい。
企業である限りは、利益を出して事業拡大すること、加えて社会貢献をすることが鉄則のはず。
つまり、本来の目的は利益を出す、ことですよね。
そこで、手っ取り早く若者をターゲットにした商品を作ろうと考えた=若者であれば流行したものは必ず手に入れたいはずだ、と考えた訳です。
自分たちの若いころと同じくね。
ですが、上記までに散々述べたようにどうやらそうではなくなったようだ。(しつこいようですが個人的私見且つ偏見)
利益を出すこと、それは非常に難しいことです。
ものを作ることより、ものを売ることのほうがずっと大変なはずです。
(ものつくり側の人間からすれば非常に悔しいですが、事実そうです)

では、「今」欲しいものが「今」届くようなシステムを作れればどうでしょうか。
それはまさにZ世代が欲しいものなのではないでしょうか。
Z世代はせっかちなんだって、何かで聞きました。(ソースは忘れました)
かく言う私もせっかちです。(まっっっったくZ世代にかすりもしませんが)

「新しいもの」を作り出すことが限界ならば、せめてこの限界を迎えた「システム」自体を新しく出来たら、現代の頂点をとれる…のでしょうねぇ。

To be continue.…







この記事が参加している募集

多様性を考える

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?