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表層的な優良事例のもたらす弊害

優良事例・成功事例の罠

「成功事例を教えてください」

「成功事例を教えてください」いろんな場面でよく聞く言葉ですが、「失敗事例を教えてください」に次ぐ嫌いな質問です。
まちは現在進行形なので、過去から今日まである程度軌道に乗ってきたものはありますし、その逆で想定に全く届かなくて難儀している事例もあるでしょう。
現在進行形なので、うまくいっていない事例でも必死になって問題の根幹を探し、あらゆる既成概念・しきたり等を排除してアプローチし続けていけば、どこかに道があるかもしれません。
逆に「うまくいっているから」と現状に満足して経営努力をしなくなった事例は、いつの日か痛い目に遭います。

まちが現在進行形なので、当然にまちなかにある全ての事例・プロジェクトに成功事例も失敗事例もないと考えています。

国・コンサルの事例集

国やコンサルタントなどは頻繁に優良事例集なるものを作成・公表しています。

確かに世の中の事例を知る「きっかけ」としては便利な面もあります。
ただし、ほとんどの事例集が「だれをターゲットにしたものなのか」「どんな視点で見るべきものなのか」「それぞれのプロジェクトのどこにフォーカスを絞ったものなのか」等が明確ではなく、寄せ集め感が否めません。
そして、事業スキーム図・ハコモノの規模や平面図だけを切り取ってもそのプロジェクトの表層的な部分しか掴めません。

先日も国から「優良事例集をつくりたいので、掲載した方が良いと思う事例をピックアップしてほしい」との案内があったので担当に聞いてみると、ただ集めることが目的でターゲットも(いちおう初心者向けだとは言っていましたが)明確ではなく、何に使いたいのかが把握できませんでした。

例えば大東市のmorinekiプロジェクトは、事業スキームから考えると借上市営住宅・定期借地権等がメインとなるわけですが、現在の姿に至るまでの社会的背景・地域の状況・叶えたい未来のために関係者がどう動いてきたか。。。上記の書籍を読まなければ本質は理解できませんし、実際に現場を訪れたり入江さんと話してみなければそのマインドやコアの部分は見えないでしょう。

国が作るものは総花的になりがちで、コンサルがつくるものは自社が関わったものの「表面的に都合の良い部分」を切り取り・誇張して記している場合が多いです。
繰り返しになりますが、「どんな感じのものがあるのか?」を知るのには便利ですが、それが自分たちのまちに合うのか、本当に優良なのか、価値のあるものなのかは自分の目で確かめ価値判断していかなければいけません。

本当に「それ」が欲しい未来?

ここからは、世の中で優良事例と言われているものをいくつか具体的にピックアップして、若干斜めから考察してみます。

ザ・公共施設等総合管理計画

公共施設等総合管理計画といえば、拙著「PPP/PFIに取り組むときに最初に読む本」でも具体的に取り上げたさいたま市です。「新しいハコモノは作らない・建て替えるときは複合施設にする・40年で15%の施設総量を縮減する」というハコモノ3原則で一世を風靡し、全国の自治体の総合管理計画のモデルとなりました。

さいたま市_令和3年度公共施設マネジメント白書から抜粋・加工

拙著でも取り上げているのでここでは詳しく書きませんが、40年で15%の施設総量縮減を目指していたはずが2013年度比で65千㎡も床面積が増大し、計画で位置付けていた投資金額と実際の投資額の間にも莫大な乖離が発生しています。

ザ・公共施設マネジメント事例

長岡市のアオーレ長岡は「中心市街地に庁舎を移転し、アリーナとの複合施設にしてイベント広場も設ければまちにに賑わいが戻り活性化するはずだ」という名目で、社会資本総合交付金などを投下して整備されました。

しかし、アオーレのイベントスペース(ナカドマ)は、自分も直接まちなかのプレーヤー・議員にも確認しましたが、大人の都合で使い勝手が非常に悪く、ほとんど活用がされていません。更に駅からペデストリアンデッキでまちにアクセスすることなく辿り着ける動線、ほとんどの人は地下駐車場に車を停めて用事を済ませて直帰できる実態も裏目に出て、周辺商店街の状況は非常に厳しいものとなってしまっています。

アオーレ周辺の商店街
長岡市_中心市街地活性化基本計画から抜粋・加工

中心市街地活性化基本計画ではアオーレ竣工後の地価等のデータを示していますが、その数値は悲惨なものが並びます。

ザ・PPP/PFI事例

流山市のおおたかの森駅北口市有地活用事業は、当時流行っていた豊島区役所(庁舎の上層階に分譲マンションを合築し、この売却益と庁舎を等価交換)のスキームを模して、1haの市有地の一部をホテルに定期借地権で貸付、一部を分譲マンションに売却することで市の財政負担なしでホールを整備するものでした。

https://www5.cao.go.jp/keizai-shimon/kaigi/special/reform/committee/280201/shiryou1_2.pdf

おおたかの森駅前市有地活用事業_外観写真
おおたかの森駅前市有地活用事業_事業スキーム

「市の財政負担なしで施設整備する」ことが当時の自分には正義でしたし、市長から与えられたお題も同じものだったので、この条件をクリアしてホテルを整備し、内閣府のセミナーでも紹介するようなものとなりました。
しかし、このエリアをどうしたいのか、どのような人たちがここでどんなコンテンツを展開するのかといったビジョン・コンテンツの精査が不十分だったため、現在でもホールの指定管理料だけで年間約1億円がキャッシュアウトしています。それよりも深刻なのが、東神開発を中心に整備が進みエリアの価値が飛躍的に向上した南口とは対照的に、エリアの価値が上昇してこないことです。

(ちょっと余談)

ちなみに、流山市は現在、マスメディアでも「人口増加率6年連続日本一」として多数取り上げられていますが、まちの経営に関わる人たちはこうした過剰な持ち上げられ方でチヤホヤされ、裸の王様にならないように注意しなければいけません。
確かに流山市はつくばエクスプレスの整備にあわせて市域の1/5にあたる約640haの土地区画整理事業に集中投資し、井崎市長の言葉で言うところのDEWKS(共働き・子育て世帯)の獲得では圧倒的な成果を収めています。

これを支えたのは、このエリアへの集中投資とグリーンチェーン戦略・駅前保育送迎ステーション・景観条例・最低敷地や駅周辺の1階用途に言及した地区計画などの先進的な政策であったことは間違いありません。

ただ、現在の流山市の状況はこれらの15〜20年前に打ち出し、継続的に進めてきた政策が身を結びつつあるだけであって、「現代的な課題に対してアプローチしなくて良い」ことのエクスキューズにはなりません。実際に流山市でも衰退している商店街、市街化調整区域の児童生徒数が激減している小中学校、老朽化した公共施設、支えてくれてきた民間プレーヤーの流出、マーケティングが本質的な機能を果たさず税金を投下したイベント屋にしかなっていないなどの様々な課題が顕在化してきています。
更に駅前保育送迎ステーション・マーケティング課などの政策は、近隣を含む他自治体が追従してきており優位性が時間と共に喪失してきていること、働き方改革や新型コロナの影響でベッドタウンという都市モデルそのものの概念が古くなりつつあること、急速な開発がほぼ終わり成熟化に向けたまちの転換なども真剣に考えていかなければならないはずです。

ザ・Park-PFI事例

公共施設マネジメントのなかで近年、脚光を浴びているのが都市公園です。公共施設等総合管理計画では、ハコモノでないことや道路・上下水道の管路のように維持補修・更新経費も(実際には樹木剪定なども含めてかかるのですが)明確でないことから注目されてきませんでした。

(似たようなことは制度創設以前からできたのですが)Park-PFIが制度化されたこと、ザ・公共施設マネジメントのようにネガティブな短絡的総量縮減ではなく、ポジティブな利活用なので市民理解も得やすいことから、各地でPark-PFIが一気に進むこととなりました。

富山市の一等地に位置する(がいつも閑散としていた)城址公園でも、当初は担当者とコンサルが「Park-PFIを活用して基盤をさらに整備してナショナルチェーンのカフェを入れれば人が来るだろう」といった案を持ち出し、謎の事業手法比較表を提示してきたことがあります。

幸いなことにこの事例は、トライアル・サウンディングを丁寧に実施して指定管理者制度で地元事業者を中心にJVを組成して主軸を担うコンテンツ重視の形で落ち着いたので良かったのですが、多くの都市公園では「膨大な公費をかけた基盤整備+ナショナルチェーンのカフェ(賃料激安)」が定式化となってしまっています。

ある自治体ではこの形で外資系ナショナルチェーンのカフェが参入し、確かにカフェはいつでも満席ですが、オープンしてまだ1年にも満たない中で周辺の飲食店はチェーン店を除き、ほぼ潰れてしまいました。
Park-PFI事業を「点として・行政的な事業として」見れば良かったのかもしれませんが、エリアの価値を下落させ、地元のビジネスを壊滅させ、地域を衰退させてしまっては本末転倒と言わざるおえません。
基盤を自己負担なく行政が整備・運営・管理してくれて、ある程度の人もセットアップされた都市公園のなかに、知名度の高い(特に地方では欲せられている)大手ナショナルチェーンが安い賃料で入り周辺の同等の質・客単価で商売をしたら、それは地元事業者にとって脅威・民業圧迫にしかなりません。

やるべきことは

目先のハード・「賑わい」ではない

行政がやるべきことは、コンテンツを伴わない表面的なハコモノ・ハード整備や周辺でビジネスをしている地元事業者の顧客を横取りして短絡的な「賑わい」を作ることではありません。
担当者・首長・(関連した)議員には「やった感」が溢れるかもしれませんが、そのようなことを繰り返していてもまちは良くなりませんし、悪い場合には衰退を助長してしまいます。

小さいことからでも「本質的なこと」

大事なのは、小さなプロジェクトでも良いので「本質的なこと」「経営に直結(・間接的に貢献)すること」を数多く、そして同時多発的・複層的に進めていくことです。これらが有機的にどこかでリンクしてきたら、まちはアメーバー状に蠢いてくるはずです。

小さなことで言えば、室蘭市のメルカリを活用した不要備品の売却は非常に現代的なセンスを持ち合わせていると思います。自分が公務員の頃はYahoo!の提供する官公庁オークションで不要備品を処分していましたが、年に数回しかチャンスがないことや(無料であるものの)Yahoo!IDの取得も含めて機動性では若干難しい面があったのは事実です。

更に小さなこととして公共施設・都市公園などに設置する自動販売機もバカにしてはいけません。行政財産の使用許可で設置してしまうと使用料条例で定められたわずかな額しか歳入になりませんが、行政財産の一部貸付を活用して入札に付すことで何十〜何百倍ものキャッシュ≒経営資源が手に入ることになります。
金額だけを目的とした一般競争入札ではなく、災害時の飲料供給・Wi-Fi・防犯カメラなどの付加価値を提案で求めることも有効な手段となるでしょう。
津山市では、随意契約保証型の民間提案制度を活用して「おしゃべり機能付きラッピング自動販売機」の設置にもつなげています。

津山市で考えれば、こうしたことと糀や・Globe Sports Domeといったビッグプロジェクト、FM基金を活用した修繕、たかたようちえん・Sense Tsuyamaといった未利用資産の利活用などの大小様々で多彩なプロジェクトが行われています。
地元事業者を含む民間事業者にとっても希望を感じられる、行政職員はいろんなことがチャレンジできることを実感でき、外から見ても「最近津山市すごいよね」という空気感が醸成されてくることで、情報やプレーヤーがより一層集まり「うごめき」が拡張していくのでしょう。

こうしたプロジェクトの数々を地域コンテンツ・地域プレーヤーと連携してやっていくことができれば、そのアメーバーの「うごめき」は更に豊かで面白いものとなっていくでしょう。

時間軸の概念

「やらなければいけないこと」「できること」は無数にあります。
まちを良くしていくためには、それらをプロジェクトとしてひとつずつ「自分たちで」具現化していくしかありません。
そうしたプロジェクトを検討していくなかで時間軸も大切です。

前述の流山市の人口増加に影響した政策は、どれも15〜20年のスパンをかけて徐々に成果が現れてくるものです。

現在、支援させていただいている藤沢市の生活・文化拠点整備事業も、トライアル・サウンディングなどの暫定的な未来像などは先行して実施するものの、その全容が見えてくるのは何年も先になってきます。

同様に石川町の道の駅も、様々な紆余曲折を経ながら市場との対話を続け(過疎債を活用することにはなりましたがイニシャルから含めて)、完全独立採算型・O+D+Bという事業スキームでの公募に至りました。こちらも竣工してオープンするまでにはまだ数年を要しますし、このプロジェクトがまちにとって様々な効果をもたらしていくためにはオープンしてから数年間の時間が必要となるでしょう。

長い時間軸を要するものは(社会経済情勢に応じて柔軟に軌道修正をしていくことは重要ですが、)途中で辞めてしまってはそこで終わってしまいますし、下手をすると「ポリシーのないまち」というレッテルを貼られたり、まちなかが歪な状態になってしまうかもしれません。

一方で自販機の設置などは「その瞬間」から成果が具現化します。こうした即効性のあるプロジェクトも並行していくことで、時間軸のかかるプロジェクトを行うためのスキルやポイントが徐々に経験知として蓄積されてきますし、空気感も醸成されてくるでしょう。

「自分たち」に置換して事例を見る

「表層的な優良事例」にとらわれず、事例はそれを取り巻く周辺環境も含めて自分たちの目でひとつずつ見て・感じて・体験して考えていくことが大切です。
そのときに何も自分たちが経験していないと、感性が養われていないので「他のまちのこと」で終わってしまいます。表層的な優良事例がいまだに世の中の中心にいるのは、自分で経験したことない人・まちが無数にあることの裏返しとも考えられます。

上記のコラムで登場する常総市の神達市長、阿南市の表原市長などは様々な事例を基にディスカッションするなかで必ず「自分のまちでやるときには。。。」という話をされます。
「自分たちのまちに置き換えて」考えられるかどうか、そこにはやはり経験知が必要です。どう覚悟・決断・行動していくのかから逆算して事例もみてくべきです。

4刷が市場にでてきました(年末から在庫がなくなったようでAmazonでも買えませんでしたが、現在はしっかり買えますw)

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