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エグい世界、タフに生きる

そこがボトルネック?

先日、エリアとしてのポテンシャルが非常に高く、公共施設等総合管理計画も明らかに自前で作り、なんとかしようとしている意思を感じた自治体を突撃訪問してみました。(突撃訪問では塩対応されてしまうこともたまにあるのですが、)議会中にも関わらず、担当者の方に別室で丁寧な対応をしていただきました。

この自治体では、ハコモノ等の今後必要となる更新経費が年平均でこれまでの4倍以上になると試算しており、総量縮減一辺倒のザ・公共施設マネジメントでは絶対に無理ゲーの世界になってしまっていました。

担当の方も何とかしたい思いは持っていたようですが、進めていくために次のような点が難しいと話されていました。

・財源が圧倒的に不足し、事後保全すらままならない状態で、事後保全のなかでも優先順位を設定しながらやっている
・「使っている人」がいるなかでは統廃合の議論を持ち出しにくい
・個別施設計画も90%程度の用途で作成したが、財政的な裏付けがないために計画で位置付けた形になっていかない
・所管課も多忙なため、なかなか公共施設マネジメントに目が向かない
・民間事業者と連携していくことも考えたいが、地方都市に来てくれるのかとか、撤退してしまうのではという懸念を持っている 等々

ある自治体のヒアリング結果

まじめな自治体が陥る思考回路・行動原理にどっぷりと浸かってしまっていますし、多くのまちで聞かれる「あるあるネタ」の宝庫です。

旧来型行政

「使っている人がいる」のは間違いないでしょう。一方で公共施設は「使っていない人」の方が圧倒的に多いのが現実です。公共施設の利用に関するアンケートでは最も使われている図書館でも、利用者は市民の1割程度しかいません。そのなかでヘビーユーザーは更にその1割、つまり1%です。
利用者は「何かを求めて」そこに来ているのですから、その人にとっては重要ですし、「行政の経営感覚の欠如」で勝手に生じさせた問題を利用者に責任転嫁することは正しくないのも事実です。
しかし、残念ながらここまで経営感覚を持たないまま放置・逃げてきた問題はデッドラインを超えています。今すぐ手を打たないと、市民生活そのものが支えられなくなってしまいます。

「使っている人がいるから」「将来の子どもたちのために」といった理論を並べていても、誰かが何かをしなければ何も変わりません。
「市民理解を丁寧に求めてから」「みんなが納得できるように」などと言っていても、それは誰が覚悟・決断・行動していくのでしょうか。どこか他人事で誰かがやってくれると勝手に役割分担してしまう旧来型行政の思考回路・行動原理では永遠に誰も手を動かしません。
ピュアすぎたり、良い人すぎていても、判断を先送りすることのエクスキューズにはなりません。経営の問題なので、経営的な判断をしなければいけない時代です。経営判断をしてこなかったから今の厳しい状況になってしまっているのです。
そして、経営判断とはときに残酷で孤独なものです。

財政の厳しさ

少子・高齢化だけではなくウクライナ問題をはじめとする世界情勢、物価高騰、更には実を伴わない官製賃上げ、制度欠陥のまま走り続けるふるさと納税、コンサルや既得権益に流れ続ける補助金・交付金。様々なことを考えると、財政状況はこれからも加速度的に厳しくなっていくでしょう。

「財政が厳しいから」と問題を先送りにし続けていると、その間にも公共施設やインフラは老朽化していきます。勢い・魅力を失ったまちでは、動ける人(≒お金を持っている人・他のまちでもビジネスできる人・若くてやり直しができる人)たち、まちを創ってくれる・支えてくれる人たちが流出し、歳入が減少して更にいろんなことをやめていく負のスパイラルが加速します。

「財政が厳しい」からこそ動くしかありません。

未知の領域

「やったことがないから」も通じません。これまで「あなた個人」ではないですが、自分の所属する組織の経営感覚の欠如が引き起こした問題でしかありません。
ケリをつけるのは自分たちしかいません。
「やったことがない」からこそ、試行錯誤するしかありません。

こちらのnoteでも書きましたが、「やると決めてやる」ことが必要です。ほとんどの自治体の現在の立ち位置はド底辺なので、希望しかありません。

オママゴト≒コケようとすらしていない

結局、こうしてみてみると何度もnoteで書いてきたことのリライトのような感じになってしまいます。
そして、これらのことは「このまちの公共施設のありかたをみんなで考えましょう」といったノーリアリティの市民ワークショップ、旧来型行政の短絡的・表面的な行財政改革、ザ・公共施設マネジメントの世界でしかありません。厳しい言い方をすれば完全にオママゴトの世界です。

リアルな世界でそのようなオママゴトは通じませんし、オママゴトをやっている限りはリアルな世界に出ていないので、派手にコケることはないかもしれませんが、現実逃避してコケようとすらしていません。

エグい世界

リアルな世界は、オママゴトとは180°異なるエグい世界です。行政も非合理的な社会であり、理想・理論どおりに物事を進めることが困難ですが、資本主義の社会の中では多様な人たちが様々な思惑を持って生きており、そのなかで公共性・公益性を保ちながら本来は生きていくしかないはずです。

西尾市PFI

西尾市では、公共施設の再編に包括施設管理業務などもビルトインしたサービスプロバイダ型のPFI事業(PFI法に基づくPFI)に取り組んでいました。「ゼネコンをSPCの構成員にしない」「民間からの代替提案が可能」など、当時では先進的な項目も盛り込まれていました。

細かい経緯はこちらの記事で参照いただきたいのですが、関連議案も紆余曲折ああったものの議決され、契約を締結してプロジェクトが進んでいたはずでした。その最中に市長選挙があり当時、反対の急先鋒だった議員だった方が市長選挙で「PFI全面見直し」を掲げて当選されたのです。
しかし、既に事業として進捗していたり、法的手続きなどに問題がなかったことから訴訟合戦、泥沼化していくと同時に、市長自身も執行権・財産の総合調整権を持つ者となったため、特大のブーメンランを浴びることとなったのです。
(この一連のプロセスは二元代表制のなかで全く法的な問題はありませんが、議員だった市長は当時、議会の総意として否決できなかったわけですから、数ヶ月後に市長選で勝ったことを全面見直しの根拠としてしまったのが、そもそも弱かったのではないでしょうか。)

流石にここでは書けませんが、自分もこの事業のモニタリング委員として多少関わっていたのでリアルな姿を聞いていますが、混乱の元となったのは非常に小さなことでしかなかったのです。その張本人がマスコミに情報をリークしながら様々な人たちを巻き込んで、政治にも影響を与えて後戻りのできない、誰も得をしない状況・泥沼に陥ってしまったのです。

「請願駅」問題

実際にこれは公務員時代に経験したことですが、市内のある駅を橋上化し東西を結ぶ自由通路を整備する事業がありました。議会説明も含めて整備することがほぼ決定した後、鉄道事業者から「今回の橋上化関連の事業は流山市からの請願によるものなので、弊社では一切の財政負担をしません(駅舎も含めて全額流山市負担)」との恐ろしい話が出されました。
ちょうどその当時に(ほぼ尻拭いのための交渉役として)異動してこの事業の担当になったのですが、鉄道事業者は10年近く前に市から提出された(正確には市に提出させた)「請願駅」の文書を錦の御旗にし、全く交渉の余地がありません。

当時、国土交通省も自由通路整備や構内トイレ等に係る自治体と鉄道事業者の財政負担に関するガイドラインを作成・公表していたのですが、「請願駅」であることを理由に一切交渉に応じません。副市長も直接、先方の経営層と会うためにアポを取り本社を訪れたのですが、ここでも「急用が入って」と面会すらできない状況となっていました。
国土交通省に何度も出向いたり、会議のたびに席を立たれようが、あらゆる手を尽くしてなんとか他自治体の類似事例の何倍もの負担をしてもらうことができましたが、本当に「エグい」状況でしたし「エグい」担当者・鉄道事業者でした。

地元事業者の反乱

あるまちでは、ある案件のプロポーザルコンペに参加した地元事業者のA社が大手事業者のB社に破れました。

そこでA社は、この案件を「大手資本が受注すると地元事業者の仕事を奪う」として市役所の窓口などで訴えたり、地元議員へなんとかならないかといった働きかけをしました。(実際にこの案件で大手が受注したとしても、実際に大手は市役所職員の行なっていたルーティン業務のマネジメントに徹するのみで、現場では地元事業者が従前と同じように業務を行う仕組みでした。)
そもそもA社の主張に合理性はなく、もし本当にこの案件に不満があるのであれば公募時にこのようなことを訴えるべきであり、「プロポーザルに参加して負けたから」騒ぐことは色んな意味で無理があります。

更にA社は、間近に迫っていた市長選挙の候補者へ擦り寄り、この市長候補も接戦が予想されていたためA社と結託して、当時の政権批判の材料としてこの案件を取り出し、政争の具とすることで(別の要因が大きかったのですが)この候補者が僅差で市長に当選しました。
当然にこの市長はA社と「お約束」をしてしまったので、この案件の全面見直しをすることとなり再公募することになりましたが、そのときの要求水準書で示された事業者の参加条件が「市内事業者に限定」であったため、実質的な競争性が働くことはありませんでした。
更にこの案件の審査結果を見ると、A社の採点結果は失格にならない点数ギリギリで、「なんのためにやるのか?」が問われる結果となってしまいました。

このまちでは、市長が他にも既得権益の団体と市長選挙に際して「様々な約束」をしてしまったらしく、前政権時に職員の方々が相当の苦労をして構築・運用を始めた随意契約保証型の民間提案制度も「地元事業者を対象」としたものになり、提案対象も曖昧に合ってしまったことから、悪く言えば「業界団体へ業務を流す手段」に成り下がってしまいました。

実質的ベンダーロック

ある自治体では、サウンディング型市場調査を行いながら丁寧にあるプロジェクトの要求水準を検討しており、そのなかで次のようなご相談をいただきました。
「ある大学の先生を通じて、業界内で相当の影響力のある団体のトップが市長と面会したい。その面会の目的が、この団体が関連する共通システムを構築しているので、このシステムの導入を要求水準の条件に組み込んで欲しい。」とのことです。

実はこの話も(関係者も含めて裏話を)いろいろと知っていることがあり、このシステムに関連する会社とその業務を受託しようとしているC社は深い関係にあります。この業務に関連するシステムは、既にいくつかの民間事業者が独自に構築・運用しているものであり、共通システムに移行することはコスト的にも運用上もメリットがありません。
後発のC社は、今回の共通システム導入を要求水準に書き込んだ瞬間に非常に大きなインセンティブがあり、システムのベンダーにとってもこの部分が随意契約に相当するものになるので大きなメリットがあります。更に、ここでデータやシステムを固定することで実質的なベンダーロック状態にもなりますし、C社以外の参入を難しくすることにもつながってしまいます。

サウンディングからの翻意

ある自治体では、あるプロジェクトを数期にわたるサウンディングで市場性を把握するとともにプレーヤーをセットアップしながら検討してきました。
当初、議会から「赤字になるならやらない方が良い」という意見が出され基本構想を練り直し、基本計画では独立採算が成立するための収支見通しや納付金の金額・パーセンテージなどを明記し、議会にも説明をしていました。

その後、要求水準書(案)をベースとした最終のサウンディングを実施したなかで最も進出意欲が強く、行政としても信頼していた事業者から「納付金のパーセンテージなどは民間提案に委ねた方が自由度が高くなる」との意見が出され、公募時には(十分な信頼関係が構築されていると確信し、)この部分を削除することとなりました。
しかし、この事業者から提出された企画提案書に記された納付金のパーセンテージは基本計画で定めた割合を大幅に下回るもので、ほとんど民間事業者がリスクを取らないものでした。

要求水準書のなかでは確かに「失格」要件にはあたりませんでしたが、ここまで検討してきたプロセスやプロジェクトのビジョン等も含めて簡単には受け入れられない事態に陥ってしまいました。

タフに生きる

上記でいくつか例示したように、実際に物事を進めていくうえでは大人の世界ですし、大きなお金も動くので「エグい」場面に遭遇することがあります。
オママゴトしかやっていない人・まちにはとても太刀打ちできません。そして、このようなエグい場面はケースバイケースなので、どこかに答えがあるわけでもありませんし、誰かが助けてくれるものでもありません。
暗中模索しながらどこかに解決策を見出していくしかありません。

そのスキルは自分たちが現場で体験しながら会得していくしかないのです。まさに経験知です。
色んなプロジェクトをどれだけ経験してきたか、修羅場を潜り抜けてきたかが問われます。

立ち戻れる原点≒I have a dream

タフに生きるための前提となるのは、いつも言っているようにビジョンとコンテンツです。「何のためにそれをやるのか、何をしたいのか」が明確になっていること、それを実現するために「誰が・何を・どういう頻度・どういう収支でやっていくのか」が軸として定まっていることでブレるリスクが抑えられます。

そして、このビジョンも「みんな・にぎわい」などのマジックワードを使わないことはもちろんですが、「夢」が必要です。
「私はこのプロジェクトでこれを叶えたい」が、行政的な堅苦しい言葉ではなく、関係者の共感を呼ぶぐらいのものであることが求められます。
まさにオガールの岡崎正信氏も言われているように、キング牧師のI have a dreamです。

見切る

それぞれのプロジェクトは、夢を持って理想どおりに進めたいわけですが、現実問題として行政が非合理的であるという内部の問題、そして今回書いているように大人社会の「エグさ」から、当初描いていたように進めることは困難です。

軸がブレないように「譲れないライン」を明確にしておくことは重要ですが、更に大切なのは「形にしていくこと」です。どのような素晴らしい構想・計画でも3次元のリアルとして顕在化しなければ全く意味がありません。

拙著「PPP/PFIに取り組むときに最初に読む本」でも取り上げていますが、常総市では包括施設管理業務において、諸般の事情により様々な手を尽くしてはいたのですが、債務負担行為の議決を得ることが難しくなってしまっていました。
そこでスッパリとその議会での上程を見送ったうえで、水面下でできることを積み重ねながら時機が来た瞬間に上程し、とりあえず最低限の形でスタートすることを選択しました。

阿南市でも多くの施設で空調設備・照明設備が老朽化していることから、ESCO事業を活用して一気に更新していくことを目指しましたが、これもまずは図書館の照明設備に限った小規模ESCOからはじめ、第二弾以降にバリエーションを持たせていくこととしました。

このように完璧ではなくとも、当初想定していた形ではなくとも、どこかで「見切り」をつけてまずは走らせることも大切です。走ることそのものが経験知になるだけでなく、観測気球にもなっていきます。

わかっていて確信犯的に「見切る」ことは高度な経営判断なのです。

輪を広げる

「エグい」世界にはいろんな人たちが手ぐすね引いて待っています。孤軍奮闘することはマインドとしては立派ですが、単騎突破できるほど甘くないことも多々あります。

大切なのは輪を広げていくことです。輪を広げるためには、共感を得ていくことが重要です。

こちらのnoteで紹介した流山市のおおたかの森駅北口で開催されたNorth Square Market。「ハコモノは整備したけれどエリア価値が向上しない」状態が何年も続いていたことに対して、市職員有志が職務とは別に「なんとかしたい」と自腹を切ってまで取り組み始めたものです。
当初は志を同じくするたった3名のメンバーがまちなかの飲食店等にアプローチしながら徐々に理解者を集め、そしてまちみらいも含めて数社の共感資金も調達して実施に漕ぎ着けました。高校生も自ら参加して素敵なそれぞれの出展者のイラストを書いたり、まさに魂を吹き込む場となったのです。
2023年3月25日には第2回も開催されるようですが、民間プレーヤーを中心に更に輪が広がってきているようです。

このようにリアルな世界で築き上げてきた有機的なネットワークは、(気休め程度にしかならないかもしれませんが)「エグい」人たちに侵食されにくくする防御壁にもなるでしょうし、もしかしたら「エグい」場面に遭遇したときにも何かの力を発揮するかもしれません。

外堀を埋める

外堀を埋めていくことも大切です。
日常的にホームページやSNSで情報発信をし続けたり、議会の市政方針・一般報告等で常に進捗を報告したり、(おまけですが)広報に掲載したりしましょう。

行政では上記のnoteでも書いたように、意思決定が意外と曖昧であったり、そのプロセスがいい加減であることが多々あります。
「エグい」人たちは前述の事例でも例示したように、この脆弱さに突けこんできます。だからこそ逆に防御線として情報発信だけでなく「決めてしまうこと」を地道に行い、外堀を埋めていく作業、後戻りがないようにしておくことが大切です。

タフ≒綺麗事だけじゃない

「タフに生きる」とは綺麗事だけではできません。
様々な難しい状況があるなかでリアルにプロジェクトを進めていくためには「欲求にはストレートに、やり方はエゲツなく」していくことが求められます。

「みんなのために」と他人事になるのではなく「私はこのプロジェクトでこれを叶えたい」「私はこのまちをこうしたい」と一人称で語れるようにすることが第一歩です。先ほどのI have a dreamです。
そして、その欲求とは例えば公共資産で一般的に禁止されている火・酒・夜なども取り込んでいくこと、つまりまちのなかで普通に行われていることとリンクすることです。

富山市_城址公園におけるトライアル・サウンディング
阿南市_秋の夜長マルシェ

富山市の城址公園のトライアル・サウンディングでは公園内でサウナ・熱気球・バーベキューなどが行われ、多くのコンテンツは夜に実施されました。阿南市でも庁舎の秋の夜長マルシェでは、閉庁日の夜間に庁舎内でクラフトビールが飲める状態になりました。いずれも現段階では暫定的な姿でしかありませんが、これが日常になってきたら素敵だと思いませんか。

「エグい」人たちにやられないためにも、このように自分たちから先行して世界観を創っていく・魅せていくことは大切です。

旧来型行政では、みんなのためにといった言葉を並べてもどこか他人事で「動機は薄く、やり方は無垢」でしたが、これからの時代は「欲求にはストレートに、やり方はエゲツなく」やっていくことが、エグい世界の中で生きていく手段の一つになると思います。

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