分類したいだけな私たち
大人気のドラマ「不適切にもほどがある」、第9話は「分類しなきゃダメですか?」でした。
「分類したい」というキーワードは、今の世の中を表しているように感じました。
〇分類されると安心する?
分類、という言葉を聞いて真っ先に【血液型】のことを思い出しました。
20代の時、アメリカ人の友人が「自分の血液型は知らない。知らないのが普通」と聞かされ、衝撃を受けました。
だって、日本人は自分の血液型を知っているのが普通でしたので。
「自分の血液型を知りたくないのか?」と聞くと「別に困っていないからいい」「いざという時には、病院が調べてくれるから」とのこと。
こんな質問をしている時点で「誰だって血液型を知りたいはず」=安心すると思い込んでいることに気付きました。
血液型を知って、何が安心なんでしょう。
〇自分はどこに分類されているか?
「血液型、知りたくないの?」はまさに「自分がどこに分類されるか知りたくないの?」とほぼ同じ質問です。
A型。
B型。
O型。
AB型。
どれかに分類されることで、あぁ自分は*型だ、と自覚します。そしてそれが安心材料になっています。
ただ分類を知りたい、分類したい、分類されたいだけなのかもしれません。
たまに、自分の症状が何なのかわからなくて、病院を転々としても診断がされず苦しむ方がいらっしゃいます。
何の病気なのか?自分がどこの分類に属するのかわからない、という苦しさもあるのかもしれません。
〇分類しているだけ
今回のドラマでは、
「問題を分類しているだけ。分類して解決した気になっているだけ」
と阿部サダヲさん演じる小川さんが言っていました。
確かに、そんなことが…
以前の会社で、体育会系の上司がいました。
「ここにいる誰一人として、スタートラインに立っていません!」
「わかっていますか?もっともっと高みを目指してください!」
「あなたのためです。仕事の勉強をしてください!」
毎朝の大声の朝礼。
叱咤激励?
パワハラ?
同僚と「あの上司、パワハラじゃない???」から始まりました。
「パワハラ」の定義を調べ、パワハラとは何ぞや?
どこまでがセーフで、どこからアウトなのか議論。
「やっぱりパワハラだった」「ギリギリ、パワハラとは言えない」と分類した経験があります。
それで満足しており、ただ分類を知りたい、分類させたいだけだったなぁと、それによって問題解決に至ってなかったことを思い出します。
〇分類しなきゃダメですか
性別、年齢。住所も、肩書きも、みんなどこかに分類されて安心するところがあるように思います。抽象的なことも分類。
「あの人は不倫する人」
「あの人はお金持ち」
「あの人は多彩な人」
「これってデートですか?」→ デートかどうか、はっきりさせたい!!
「これって、蕎麦なの?ラーメンなの?」→ どっちを食べているのかはっきりさせたい。
結構世の中、見渡せば分類だらけ。
本当の問題は、分類しただけでは終わりません。
「あの人、変わっているよね」も、「あの人は違う世界の人」と分類して安心しているところがあります。
分類だけでは、問題が解決していないことに気付きなさい、とドラマを通じて教えてもらいました。
そして、分類は、他者と距離を作る可能性も高い作業です。
ならば、最初から分類しなければいいのです。
分類しなきゃダメなんでしょうか。みんなが“分類したい欲求“を抑えてみると、今より平和になるんじゃないのかと感じました。特にSNS!
本当にありがとうございます😊嬉しくて小躍り!!💖