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介護離職を経験して感じたこと

介護離職を決断した経緯

子供たちが小5と中2の頃に妻が亡くなってから、仕事と家庭を両立できたのは、在宅勤務を認めてくれるなど会社がかなり融通をきかせてくれたおかげです。

そんな折に、一人暮らしをしていた叔母が転倒して、母が面倒を見ることになったのですが、膠原病を患う母と歩けなくなった叔母との老々介護生活は、長く続けられるものではありません。
そろそろ限界かなという時にちょうど私も仕事上の転機があって、これはもう私が介護を引き受ける時なのだろうと、仕事を辞めることにしました。

仕事と家事と介護の三刀流はさすがに無理、という理由はあるのです
ある程度の蓄えもあって経済的にも何とかできそうな見込みもありました。
でも、40代後半で無職になるのは、なかなか決断しづらいことであったと思います。

  • 無職になる父親を子供たちはどう感じるだろうか。

  • 学校などで子供たちが肩身の狭い思いをしないだろうか。

  • 介護が終わった時に、自分の仕事を見つけられるだろうか。

  • 介護が長引けば、自分も定年に近い年齢になってしまうのだろうか。

多くの不安を抱えた状態での介護離職であったと思います。

離職中に辛く感じたこと

意外と思われるかもしれませんが、無職であった私には「お仕事は?」と聞かれることがとても辛く感じられていました。
50歳前後の男性なら仕事をしているのが当たり前という前提で問われるので、「介護のために仕事を離れています」と答えるだけでも要らぬ引け目を感じてしまっていました。
ごく普通によくある会話で、相手に悪気がないこともわかっていたのですが、やはり自分の心も安定していなかったんだなぁと思います。

増える介護離職、心の配慮も

家族の介護をしながら仕事をしている人をビジネスケアラーと呼ぶそうです。
高齢化に伴い増加しているビジネスケアラーの数は、2030年には307万人に到達して、それによる経済損失額は9兆円に迫ると推測されています。

私のように50歳前後で介護離職する人も増えていくでしょう。
仕事をしているのが当たり前な年代の人にとって、無職という状態は心が安定しません
私の場合、「なんだ仕事してないのか」と、ここまで直接的な表現ではなくても、そのようなニュワンスで対応されることもありました。
やむを得ない離職であることへの理解と、離職した人の心のケアも重要になると思います。

介護保険制度では出来ないこと

介護離職につながってしまう理由の一つに、介護保険サービスが介護を受けている本人(以下、本人という)だけに限定されていることが挙げられます。
家族と同居している場合でも、食事の準備を提供できるのは本人の分だけ。ビジネスケアラーは仕事から帰って介護をしながら自分の食事を作らなければなりません。洗濯や掃除も本人の分しか行えません。

税金と保険料で賄われる公的保険サービスなので無駄遣いは出来ないのです。サービスを受けられる時間などに上限があるのも同じ理由です。
本人だけにサービスを限定するのは、財源が限られる公的サービスを維持していくためにも制度として必要なことではあるのです。

それならば、公的保険サービスでは提供できない部分を補える代替サービスが必要になるのですが、それが十分に供給できていないことが大きな課題だと考えられます。

お手伝いサービスで介護離職を減らしたい

仕事で帰れない時に手助けを頼みたい、でも公的保険サービス以外に頼めるところが思い浮かばない、あったとしても家事代行などの高額な料金を払い続けることは難しい。
こういう状態が続けば、離職せざるを得ない事態に至ることは想像に難くないでしょう。

さらに深刻なのは、急速な少子高齢化によって、公的保険サービスさえもが十分に供給できなくなることです。
介護サービスを受けたくても受けられない、そういう厳しい時代がすぐ目の前に迫っています。

6年間の介護を終えた私は、地元である清瀬市で、家事と介護のお手伝いサービス「まちともLife」を起業しました。
低料金で、誰でも気軽に頼めるお手伝いサービスを育てています。

ビジネスケアラーの方々にも気軽に使ってもらえるようなお手伝いサービスに育てて、介護離職を減らす一助になれればと思います。

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