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『雪の日の思い出』 

久保田ひかる

 私は幼い頃、雪の日が好きだった。確かそうだった。これはやや漠然とした思い出なのだ。雪の日で何か文章を書かないかと友人に言われて、何か思い出深い出来事があっただろうかと、温かいお茶を淹れながら考えてみて思い出したことには、そう。確かに私は雪の日が好きだったように思うのだ。
 私の家は時代遅れの住宅地に建っていた。取り立てて田舎というほどでもないが、車がなければ生きていかれないような地域である。年に1、2度雪が薄く積もる。そんな場所では、雪は身近な緊急事態である。たまには学校が昼で終わりになることもあった。現代よりはもう少しそのあたりの基準が緩かったのやもしれない。雪が積もりそうだから帰してしまえと、そんなところだろうか。雪の日が好きだったとは言ったが、寒いのはあんまり得意じゃない。だから私が雪遊びに参加することは多くなかった。見上げた優等生だ。帰れと言われてまっすぐ帰った。帰った家に親はいたりいなかったりした。まあ、昼めしが出てくるか出てこないか程度の差だった。
 それよりも私には重要なことがあった。帰宅するなり、お湯を沸かして温かいスープを作る。と言っても、粉を溶くだけのやつだ。コーンスープにやたらめったらチーズと胡椒を入れた。味なんて濃ければ濃いほどいいと信じていた。さっきまで凍えていた指は若さゆえにすぐに温もる。落としそうなほど熱いカップを持って、いそいそと道路に面した和室へ向かうのが常だった。当時の自分の背よりずっと高い掃き出し窓の前に座って、カーテンを開く。窓からはベランダ越し、土の盛り上がったやや丘めいた土地に、遠目のガソリンスタンドの屋根に、一瞬ごと濁った雪が落ち積もってゆく様が見える。湯気を立てたスープに緊張しながら舌をつけてみる。そんな事をしていると、目の前の道路にはどこからともなく老婆が一人現れる。この現れ方がまた素晴らしいのだ。一流の喜劇役者も裸足で逃げるようなコミカルな動きだった。多少思い出を脚色しているかもしれないが、当時の私にはそう見えた。履いてもいないロングスカートを持ち上げるお姫様のような動きで雪の中をやってくる。この時の切なそうな表情がまた堪らなく雪景色に映えるのだ。よたよたした足取りにやや猫背気味な姿勢にも関わらず、美しいバレエとコサックダンスをごちゃ混ぜにして醤油をかけたような踊りを彼女は全身で演じて見せる。後に私は学生演劇で演出に関わる事になるのだが、この老婆が一切私たち観客に怯えず、慮らず、その全身全霊を表現にむけていた姿が参考にならなかったとは言い難い。老婆の踊りはクレッシェンドとデクレッシェンドを繰り返し、時にはスカしたように力を抜きながら徐々にクライマックスへと向かう。もはや茶黒いような色をしたその肌を服の内から覗かせる様に雪がちらちらと重なっていっそ原始的な魅力を放っているのに目を奪われているうち、ついにその時が訪れた。彼女は大きく体を逸らして、その姿はまるでイルカショーの宙返りだ。そして、しわくちゃな足で背面に向かって大きくひとっ飛び!

——老婆の体は降りしきる雪と共にスローモーションの如く降下する。——

落下点にはどこからともなく新たな老夫が現れる。両手と胸を使ってアイススケートの一場面が如く熱く抱き止める!きっとこの古臭い住宅街のいずれかに暮らしているのだろうが、全て私の知らない顔だ。奇天烈な踊りを踊る老人たちは徐々に数を増していく。道を埋め尽くすほどに溢れた老人たちは自分の踊りを踊るのだが、やがて皆が盆踊りじみた動きへと揃っていく。
全員が揃ったところで、最初の老婆と老夫を中心に同心円の形に体形が変化していく。ここまできたらもうクライマックスも目前だ。マグカップを握る私の手は汗でじっとり湿っている。落とさないようにカップを下ろすが、その間にも私の視線は道路に縛り付けられている。
円を描いた老人たちがさっとしゃがみ込む、すると中央に陣取った例のペアが現れる。老夫は老婆の腰に腕を回してくるりと抱き留めた。彼らは一瞬、雪も溶けるほど熱い視線を交わし、それから口付けをした!老人たちは歓声を上げて、両手を天に向けて立ち上がると、銘々に隣の異性へ向かって同じことをする。雪の道は愛に包まれ、そして祭りは終わりを迎えた。彼らはそろそろと雪の降る道を帰って行った。
道路ががらんとすると、向かいの家に住んでいた一つ上の女の子といつも目が合う。彼女もまた雪のたびに踊りを見ていたのだ。

一度だけ、それも彼女と踊りを見た最後の日の事。私は掃き出し窓を開けて、雪がうっすら積もったサンダルを突っかけて道へと歩み出た。それを見て彼女もまた道路へと出てきた。私は踊った。雪が肩に乗るのも、髪の上で溶けた雪が頭皮を濡らすのも気にせず踊った。彼女も踊った。私は大きく腕を振ったし、彼女はあの老婆のようにバレエに似た踊りを行った。
そして私は徐々に彼女に向き合った。彼女も合わせてくれた。徐々に近づく距離、彼女がまだ12歳だという事を忘れてしまうほど艶々した瞳——

やや脚色をし過ぎたきらいがある。多分老人たちの踊りはもっと地味だったし、私の踊りはド下手だったろう。けれども、思い出は美化されると言う。読者諸君もきっと許してくれるだろう。こんな思い出は誰にでも身に覚えのあるものだろうから。
最後に一応付け加えておくならば、あの日私の腕の中で彼女はこう言った。「もう少し上手に踊れるようになったらね」と。記憶を掘り返してみた今になって思うのだ。あの雪の日、僕が上手に踊れていたら、彼女の雪に濡れた唇は冷たかったろうか、それとも熱かったろうか。

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