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自分の味方

近年のネットやSNSの炎上を目にすると、気持ちがザワザワする。
言ってしまったこと・やってしまったことは良くなかっただろうし、被害者がいることなら悲しいことだ。でも、全然関係ない人たちが自分の感想を世界に発信すると「世論」というものになって、時に大きな波がつくられるように感じる。

きっとこれから書くこの記事の内容も、誰かを傷つけたり悲しませたりしまうのだろう。


ネットがある前から、テレビのコメントや噂話が嫌いだった。
わかったようなことを言って、表面上のことで手のひらを反して、すぐに忘れられる。言われた方はずっと覚えているのに。

でも言った側も、自分が過去に受けた傷が疼いだり、共感したり、社会を変えようとしているだけで、攻撃している感覚はないとは思う。
時には「知らない」「わからない」....…興味がない・同意を得られないだけで、勝手に攻撃された感覚に陥ることもある。


無難に生きたいなら何も発信せず行動しなければいいのに、それは人生を豊かにしない。
言って「しまった」ということも多いし、もっと聴けば良かったということもある。
人との関わりは温かい瞬間もあれば、凍てつく時もある。
気にしなければいいことだとわかっていても、うまく気持ちを切り替えられないときもある。


昔は、人を傷つけてしまう無神経と簡単に傷ついてしまう弱さをもつ自分のことが嫌いだった。
一生付き合わなければいけないのに、自分の未熟さが許せない。
「誰よりも自分自身を厳しく責めるから、誰も私のことを責めないでください。」そんなことをよく思った。

今自己嫌悪がかなり減ったのは、いろんな視野や経験をもてたことで、自分を許せることができてきたからだと思う。
自分自身が味方になってくれたから、かなり生きやすい。
人からしたら「自分に甘い」なんて言われるかもしれないが、苦しくても楽しくても同じ時間が過ぎる。
人生折り返しが迫ってきたことで、時間の貴重さを噛み締めている。
自分を責めるよりも「ごめんね」「出来ない」と断ったり、責任の取り方を具体的に考えたりする方が楽になる。

あと、人から「ありがとう」を言われることが多い仕事であることも、自己嫌悪が軽くなった1つの要因だと思う。
傷つけたり間違えたりもするけれども、それ以上に誰かの支えになれている感覚があるから図太くなれた。


私を支えてくれる人、関心を寄せてくれる人。
これからも増えたり減ったり、変化したり、良いことばかりではないかもしれないけど、助けて助けられて今がある。



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