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《諏訪敦彦さんの言葉と21世紀のドキュメンタリー研究!?》2022/11

【日本のテレビドキュメンタリー研究】

  日本のドキュメンタリー、特にテレビドキュメンタリーの研究について少しずつリサーチを始めたいと思っています。
 テレビドキュメンタリーが立ち上がった、1950 年代から 1960 年代のドキュメンタリー研究は、先行研究が複数存在しています。
 私は今、現代をメインに、草創期を参照項にするものに興味を持っています。当然、まだ歴史化されていない時代について調査研究を進めるのは、困難が伴います。とても、とても。

【理論や歴史なんて制作現場の役に立つの?】

 自分がその時代に興味を抱いてその理由の一つは、そうしたドキュメンタリーの理論化や歴史化が、現在進行系の制作者の支えになることもあると思うからです。
 例えば、開発番組を目指して、動物的な直感や海外の作品を見ながら獲物を探す制作者が、武器の一つとしてドキュメンタリーの理論や歴史「も」持つことができれば、両輪でドライブを駆けることができるのではと感じているからです。

【途絶えている海外のドキュメンタリー研究の翻訳】

 日本でのドキュメンタリーの研究は、制作者による体験記という形では数多くのテキストが残されていますが、研究者によるものはそれほど多くはありません。
 また、欧米の研究書(理論と歴史)の翻訳もまったく進んでいません。未だに、1935 年に出版された理論書『ドキュメンタリー映画』、1973 年原著初版の歴史書『ノンフィクション映像史』、1983 年原著初版の歴史書『ドキュメンタリー映画史』の 3 冊だけがあげられるくらいで、ここ 40 年ほどの成果は日本では驚くほど共有されていません。(ほかには実用書としての『ドキュメンタリーストーリーテリング』が翻訳されていますが、それでも原著初版は 2003 年です)

【諏訪敦彦さんの言葉】

 「高尚な理論なんていらない」

 制作現場では、先輩方からの教えが未だに言及されいます。
 でも、ある方の話をお聞きして、とても腹落ちしたことがあります。
 映画監督の諏訪敦彦(東京造形大学学長を経て、現在、東京藝大映画専攻教授)さんの言葉なのです。台本を使わない劇映画など、様々なチャレンジをしてきた諏訪さんは、映画の先達から厳しい叱咤の言葉を浴びたエピソードと共にお話しされていました。
 今日の日記は、その言葉で終わりにしたいと思います。


【理論は自由に制作するための武器である】



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