見出し画像

JALの機内誌のように⑧ ドイツ最古の都市 トリア

海外に行くことが難しいので、よく乗っていたJALの機内誌のように昔の思い出を書いてみました。

ドイツの西側、ルクセンブルクの国境沿いにトリアというドイツ最古の都市があることはあまり知られてないかもしれません。

白ワインの産地であるモーゼル川沿いにトリアは位置し、古代ローマ帝国の最北の守りの都市であり、世界遺産に指定されているポルタ・ニグラ(Porta Nigra)という古代ローマ時代の建築物があります。
「ポルタ・ニグラ」とはラテン語で「黒い門」という意味、外壁の黒い石から名付けられました。
この建物には、どこの観光地で同じですが、落書きが残っています。ポルタ・ニグラの落書きはラテン語のものもあり、その古さが分かります。

トリアには日本文化学科があるトリア大学があり、日本文化や日本語を学ぶドイツ人や日本からの留学生など150人以上の学生を擁するドイツでも有数の日本文化研究の場になっています。

さて、このトリアですが、現在の人口は10万人。古代ローマ時代も10万人だったそうですから、2000年前から人口が変わらないという都市です。
ローマ帝国が滅ぶと、神聖ローマ帝国の支配下になりますが、神聖ローマ帝国の皇帝は選挙によって選ばれていました。「選帝侯」と言われる諸侯の中の有力者が皇帝を誰にするかを決めていました。神聖ローマ帝国とは、「ドイツ民族の神聖ローマ帝国」であり、選帝侯が選んだ「ドイツ国王」がローマ法王から帝冠を受けることによって「神聖ローマ皇帝」に就きました。ハプスブルク家の時代になると選出は形骸化していき、ハプスブルク帝国と呼ばれるようになります。

この選帝侯は7人からなり、4人の世俗諸侯(ボヘミア王、ザクセン公、ブランデンブルグ辺境伯、プファルツ伯)と3人の宗教諸侯(マインツ、ケルン、トリア)でした。

トリアには大聖堂がありますが、選帝侯の1人が治める重要な都市だったのです。

画像2

トリアには、古代ローマ帝国時代の遺跡が点在します。浴場跡、地形を利用したコロッセオもあります。

画像3

画像4

このほか、トリアはカール・マルクスの生家があり、今では博物館になっています。
この博物館には、中国からの観光客が多く訪れます。この博物館のショップでは、白ワインの産地でもありながら、赤ワインしか売っていない、と言われています。残念ながら確認する機会がなく、都市伝説かもしれません。

画像5


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?