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紫式部、清少納言、和泉式部 ー紫式部日記を読んでー

紫式部日記を読み終えました。宮中行事の用語が多いため読み進めるには難航しましたが、皇子の誕生時のことなど皇室の儀式が詳しく記述されており、記録本としても興味深い内容です。
本の構成は、1節から60節まで、節ごとに「原文」、「現代語訳」、「語釈」、「解説」があり、理解しやすくなっています。

大河ドラマ「光る君へ」で描かれているような藤原道長と紫式部との関係を想像させる箇所もありますが(57節)、紫式部にとって主家になる道長の孫の誕生という慶事と祝事を慶びをもって書いています。
当時の出産は母子にとって危険があり、道長の娘である中宮の安産を祈願する大規模な加持祈祷の様子は読んでいてもその熱量が伝わってきます(2節)。
また、道長が初孫を抱いて「あはれ、この宮の御尿に濡るるは、嬉しきわざかな」と尿に濡れて喜ぶ道長を生き生きと描いています(23節)。

一方で、紫式部は宮仕えが性に合わなかったようで、一条天皇の行幸という晴れの行事の準備においても、
「水鳥を水の上とやよそに見んわれも浮きたる世をすぐしつつ」と憂愁を表しているのが、後述する清少納言に対する辛口に繋がる紫式部の人生観がうかがい知れます(24節)。

中宮が参内(実家から宮へ戻る)する際に道長からの贈り物として、「古今、後撰集、拾遺抄、その部どもは五帖につくりつつ」とあり、書写された和歌集名が記載されています(36節)。博物館・美術館で和歌集を見る機会があり、よく現存するものだと思っていましたが、このような慶事に多く作られた物の一部がなんとか現在に残っているのでしょう。あるいは、宮家の蔵の奥に埃まみれの本があるのかもしれません。

この献呈品の中には「源氏物語」もあり、「いろいろの紙選りととのへて、物語の本ども添へつつ、ところどころに文書き配る。かつは綴じ集めしたたむるを役にて、明かし暮らす」(33節)、紫式部が創作した作品が主家において高い評価を得ていたことが分かります。当時から「源氏物語」は貴族の中で読まれていたのでしょう。

こうした主家の慶事の一連の出来事を描く一方で、人物評も書いています。特筆すべきは、和泉式部と清少納言についてです(50節)。
「されど和泉は、けしからぬかたこそあれ、うちとけて文はしり書きたるに、そのかたの才ある人、はかない言葉のにほいも見えはべるめり。歌はいとをかしきこと」。いろいろな解説本を読むと、「けしからぬかた」というのは和泉式部の恋愛遍歴のことを指し、それに対する紫式部の倫理観からそのような表現になっているようです。

和泉式部日記には「けしからぬ」倫理的な事件は書いてなかったなあ、と思い再読してみました。改めてその和歌の素晴らしさを感じましたが、紫式部が批判するようなことは和泉式部日記には描かれてないので、紫式部が見聞きしたことが背景にあるのでしょう。
和泉式部は恋愛に満ちた女性という印象はありますが、紫式部の人生観とは相容れないものだったのでしょう。
蛇足ですが、歌人の中では和泉式部は抜群だと思っています。技巧的でなく春夏秋冬・花鳥風月より恋愛を通じた人の心を詠んだ歌が多いからかもしれません。

清少納言については痛烈にこき下ろしています。
「清少納言こそ、したり顔にいみじうはべりける人。さばかりさかしだち、真名書き散らしてはべるほども、よく見れば、まだいと足らぬこと多かり。かく、人に異ならんと思ひ好める人は、かならず見劣りし、行末うたてのみはべれば、艶になりぬる人は、いとすごうすずろなる折も、もののあわれにすすみ、をかしきことも見過ぐさぬほどに、おのづから、さるまじくあだなるさまにもなるにはべるべし。そのあだになりぬる人の果て、いかでかはよくはべらん」
全面的に否定しています。紫式部と和泉式部は文のやりとりあったので、直接面識があった仲ですが、紫式部が出仕する数年前に清少納言は宮仕えを辞去し、直接には接してはいなかったと言われています。それにも関わらず、完膚なきほど批判しているのは、清少納言の人柄が紫式部の価値観とあまりにも違い過ぎたためでしょうか。紫式部は宮仕えが性に合わなかったようですが、枕草子を読むと、清少納言は水を得た魚のように宮仕えを嬉々として振る舞っていたことが分かります。

紫式部日記からは、紫式部の観察力だけでなく人生観を読み解くことができ、源氏物語に通底する作者の精神世界に触れることができると思います。



「新版 紫式部日記 宮崎莊平 講談社学術文庫」
「新版 枕草子(上)(下) 現代語訳付き 清少納言
石田譲二 訳注  角川ソフィア文庫(Kindle)」
「和泉式部日記 近藤みゆき 角川ソフィア文庫(Kindle)」


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