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クラス企画のあるべき姿

「すわる・よむ・ねる」その後   

 高三の三はクラス企画で「すわる・よむ・ねる」と題し、一人一冊本づくりをした。学園祭当日は、クラス中心に置かれた本棚に、つくった本と自分たちの好きな本を並べた。すると、自然と会場に来てくれた人との会話が生まれた。結果として「すわる・よむ・ねる」のゆったりとしたあの空間は、押しつけがなく手に取りたい人がそっと本を開いて、思い思いの時を過ごせるコミュニティースペースのように機能していたように思う。

学園祭の時期がやってきて、三年目としてこのクラスで何をやったら盛り上がるか、色々思案した。

 そこでふと手に取った、無印良品の文庫本ノートが目に留まった。
このノートは文庫本サイズの中が無地になっているもので、普段からメモ帳として使っていた。
この頃、本をはじめとする紙媒体の可能性の広がりに注目していた。
例えば一冊の本に関わる職種の多様さ(著者がいて編集者がいて装丁家がいて、紙の質を選び…)や規格の自由さ(雑誌、写真集、単行本、文庫、新書、絵本といった)に加え内容の自由さ(小説、ノンフィクション、紀行文、詩集、エッセイ、図鑑、絵本、漫画…)に、今の時代だからこそ紙の面白さを感じていた。
 

これだ!このノートをきっかけに何かできるんじゃないか?そう考えた。

三組の姿とクラス企画のあるべき姿

やっぱり表立った舞台で部活や行事、LIVEなどで活躍している人がいる一方で、授業やHRなどで発言の機会こそ少ないものの、ものすごく考えて内面に問うている人がいるのも三組の姿だと思う。
このクラスという範囲の中で、安心して自分を出せるという人もいるだろう。僕はそこにこそ目を向けるべきだと思った。今までの話し合いの流れだと、少数の人が出したアイディアに対し、それにみんなが投票して決まって行くというスタイルだ。そしてその少数が全体をリードして作って行く。それには進めやすいという利点はあるが、どうしても輪から外れてしまう人が出てくる。

 今回のこの企画は、アイディア自体は僕が打ち出しリーダーシップをとったが、そのあとは一人一冊本を作ることにおいては個人作業になる。
学園祭当日まで1ヶ月となった頃、それぞれにまっさらな文庫ノートが手渡され本づくりが始まった。と同時にその時のHRで生まれた「三組の徒然草」はみんなの徒然を拾いながら、リレートークで紡いでいく。
これは予期せぬ企画で、断片的にその人の新しい顔が見えて面白かった。
中には自分の本はつくりたくないという人もいたが、この徒然草に参加すればそれでOKとした。実際ほぼ全員がなんらかの形で関わっている。

なるべくギリギリまで、個人の本づくりに時間を割いた。
みんなの本なくして、この企画は成立しないと考えたからだ。
一部の人たちは交換ノートを始めたりとか共作で作っている人も現れ始めた。

二次企画書〆切の段になってようやく、企画名をみんなで考えた。
いくつか候補が挙がったが、内装をイメージしやすいとのことで「すわる・よむ・ねる」に決まる。名前の通り三グループに別れて、内装づくりだ。
けれど「すわる」も「よむ」も一つの空間にあるので、実質本棚とベッドづくりになる。
この企画のミソはどんな本棚を作ろうともみんなの本なくして成り立たないところにある。その本づくりと本棚づくり(空間)がいいバランスで同時に進められて行く姿は、まさに思い描いたそれ、である。

イメージ通りのいわゆる「いい感じ」のものはできた。
あとは当日の朝、みんなの本が並ぶのを待つのみだ。

当日の朝、HRをし、みんなが作ってきた本とオススメの本を並べてみた。
「いい感じ」なんて生ぬるいものじゃなく「いい」ものができた。
やっぱり本棚には本が必要だ。「いい感じ」の本棚があっても本がなければ空っぽだ。実際当日並んだ本は「徒然草や絵しりとり、4コマ漫画、コラージュ、刺繍の詩集」など本当に多様だった。

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この本の製作過程や進行状況をお互いに、なんとなく意識しながら本づくりをしてきた。きっと今まで無関心だった他者を、その人の本を手に取り開くことによって関心を持つきっかけになっただろう。また仲がいい人でも、本を通じて、新しい顔を垣間見ることができたと思う。

それぞれがこの企画から、一冊の本のような異質な個人が集まって、ここでいう本棚(クラス)を形成している、ということを改めて感じることができたのではないだろうか。

学園祭二日間は、この「すわる・よむ・ねる」の空間に色々な人が来た。
生徒、教員、クラスの人の親、誰かの親、おじいちゃん、卒業生などなど。
どの人も自然な心持ちで、僕らのつくった本も、売られている本も分け隔て無く開いている。そして思い思いの過ごし方を見つけ、一呼吸置くような感じで立ち止まる。嬉しかったのは本屋や図書館のように、そこにある本のことで会話が生まれたこと。それに加え、本とは関係のない日常の話までもがこの空間にあふれていたことだ。三組の人たちもあまりの居心地の良さに、唯一のソファーをなかなか離れようとはしなかった。

その後、代休明けの水曜日、片付けの日。本棚はあっけなく無くなった。
あるのはいつも通りの教室だったが、ただ手元にはみんながつくった本が残されていた。
僕は片付けの時間にHRを開いた。
学園祭が終わったからと言って、ハイ終わり、ではないと思ったからだ。
みんなで丸くなってみんなの本を読み合いながら、感想を出し合った。

準備期間から「本づくり、楽しいから学園祭後もやろうかな」や「徒然草は続けてもいいんじゃない」という声がちらほらと聞こえていた。
他クラスの人からも
「学園祭中は時間がなくて読めなかったから、まだ置いといて欲しい。」
という意見をもらったので、僕は提案した。
「学発まで続けない?」
「いいと思う」「そうしよう」
「これを誰でも読めるように置いておきたいのだけど…」
「すわる・よむ・ねる・その後ってのはどう?」…
そうしてみんながつくった本たちは、三組の後ろのロッカーの上に「すわる・よむ・ねる・その後」として置かれていた。

そして今、学園祭から4ヶ月程経った三組で、この企画の内容と徒然草、いくつかの本を学発で展示することになった。

「三組の徒然草」はこの三組の今を浮き彫りにしつつ、それぞれの足跡も
刻んでいる。この企画は学園祭クラス企画の域を超え、クラス自治(運営)の面に置いて大きな意味があると思う。
この企画や、ここにある本たちから、少し違った角度から「クラス」を考えつくっていく上での参考になれば、と思う。
            
                      三組(企画者・浅見風)

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