見出し画像

中国大陸女1人旅

かつて、二十歳をまたいだ50日間、中国の辺境の地を縦横無尽に旅をしたことがあった。
私の二十歳の誕生日は、敦煌のJhon'sCafeでたまたま出会った旅人のインドネシア人が祝ってくれた。

先日、たまたま図書館で借りてきたこの本。
ジャーナリストの著者が中国北京から西へ西へウイグルを越えて中央アジア諸国を抜けて、アジアの端、ヨーロッパの玄関口であるイスタンブールまでの1万キロを一人旅する紀行文。
ちょうど、私が旅した時期とほぼ同じで、著者が旅先で出会う困難や珍事件、心温まる人との交流など、「わかる〜っ!」ということがたくさんあった。

ちょうど昨年夏に、実家から持ち帰った学生時代の思い出段ボールの中に、この時1日も欠かさずつけていた旅日記があったので、本を読みながら、並行して自分の旅日記も読み返してみた。
まずは北京経由で内モンゴルでパオに泊まり、その後シルクロードをひたすら西へ、ウイグルのカシュガルまで。その後、北京から南下して少数民族の村を目指して雲南へ。

思えば、全く女気のない二十歳やった。ボサボサに伸ばした髪を左右二つくくりにして、メガネをかけ、くたびれたジーパンにTシャツ。こんなだからこそ、また世間知らずだったからこそ、勢いでいけたんだろうな。

いろんなことを経験した。

中国といえば、ニーハオトイレ(仕切りも扉もないトイレ。みんな並んで用を足す)。一度、山奥を旅した時用を足そうと行ったトイレは崖の端に建てられたほったて小屋。もちろん仕切りもない。しゃがんで用を足そうとすると、ボットン式の穴の下にはなんとはるか崖の下が見える。用を足したら、そのまま宙に舞い、大地に降る。そのまま自然に返るエコなトイレ。おしりには下から巻き上がる風がピューピューと吹きつけていたのを覚えている。

当時、ウイグル自治区のウルムチからカシュガルまでは鉄道がひかれておらず、砂漠の中をオンボロ寝台バスで40時間かけて移動した。運悪く、2人用寝台席に乗り合わせたのは足臭い、口臭い、地元のオッチャン。最初は感じよかったのだが、時間経つにつれ、本性が出てきた。わざと窓閉めるようにして胸触ってきたり引っ付いてきたり。ほんとエロじじいだった。日記に詳細に書いてて笑えた。

水事情はどこも悪くて、シャワー途中にお湯がでなくなったり、水すらもまったく出てこない時もザラにあった。3日4日シャワーできなくても平気やった。

いい出会いはたくさんあった。

雲南の昆明から西双版納への長距離バスに乗ろうとチケット出したら、なんと勘違いで前日のものですでに無効。チケット売り場のオバチャンに何度交渉しても「不行!ダメ!」しか言われず途方にくれて泣き出したら、見かねた物売りのお姉さんが手を握って「大丈夫、大丈夫!」と励ましてくれ、私に代わってオバチャン交渉に果敢に挑戦してくれたり、仲間のとこに連れて行ってくれ、二十歳のそこそこ大人のくせに泣いてる小娘の私のために、バスの運ちゃんと交渉して30元もお安くチケットを買ってきてくれた。

顔見知りになったあるお店の老夫婦は、昼まだなら食べていけ!と旅人の私を自宅に招いて、美味しい昼食をご馳走してくれた。若い私のお皿に、わざわざたくさんの豚の角煮をよそってくれたのだった。

北京では、大荷物になったお土産を郵便で宿舎に送ることに。歩き方の地図には、バス二本乗り継いでいける郵便局があり、そこを目指していたのだが、とある店のオバチャンが「もう帰るんか?」と聞いてきたから、「郵便局にこの荷物送りに行く」と言うと、「そんな遠いとこまでこの荷物で行くんかい!」と自宅から地図を取り出してきて、「そこまで行かんでもここにあるからここにしい!」いつの間にかご近所のおじさんやお兄さんらまでも集まり、あーだこーだと私の為に相談。ほんで、「うちの自転車貸してるから行っておいで!」てオバチャン。近所の人らが荷物を荷台に縛ってくれて、「気をつけて行っておいでー」て送り出してくれた。私は自転車こぎながら、地元の人らの人情にあったかい気持ちでいっぱいだった。

シルクロードの砂漠越えバス。真夜中のトイレ休憩。もちろんトイレはないから、お姉さんが「こっちが男性!あっちが女性!」ていうと、みんなゾロゾロと砂漠に散らばって好きなとこで用を足したのだが、空を見上げると落ちてきそうなほど満天の星!星!星だった。眼鏡しないと0.1くらいの視力でも天の河まで見えた!そして、生まれて初めて流れ星を見たのだった。隣の席のウイグルの女の子と手を繋いで歩いて星見たな〜。

内モンゴルでは、一つ年下のAlanという香港ボーイと仲良くなり、それから淡い思いを抱きながら手紙送りあったりしてた。Alanとは、卒業旅行の時に香港で再会するのだが、重慶大厦(チョンキンマンション)滞在中、高熱を出して、Alanがとうもろこし入りお粥を作って持ってきてくれたことがあった。あぁ、ただ、ただ、淡い思い出や。

旅の醍醐味は、やっぱりその土地土地で出会う人やな。いくら有名な観光地でも、出会いがなかったらあんまり印象残ってないもんな。
中国でのこの経験は、若い私の心を本当に豊かににしてくれたものだったと思う。

子どもを出産した後、一つの目標ができた。この子らを連れて中国また旅したいなぁ、と。あれから20年以上も経って、交通の便もよくなり、随分移動も楽になったと思う。歩き方がなくてもスマホさえあれば事欠かないかもしれない。でも、不便さゆえ心に強く残るものもある。いろいろなものが変わって便利になっていたとしても、あの温かな人情は変わらずあってほしいと思う今日この頃だった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?