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因果と相関と

因果関係と相関関係は、混同されやすい概念です。
因果は原因と結果。Aの結果、Bが起こるという論理。A→Bという一方的な関係。
かたや相関は、値の相互変動。Aが変わればBも変わるという論理。A↔︎Bという双方向の関係。

たとえば、文科省が出している「朝食摂取と学力調査の平均正答率との関係」について。

これはどちらか。

確かに、朝食摂取率と学力には関係がありそうです。
しかし、一概に朝食を摂った「から」学力が上がると言えるか。

しっかりと栄養をとることで、集中力が増す。
規則正しい生活リズムにより、勉強時間を確保できる。
または、朝食を準備してくれる家庭は教育熱心な家庭である。

こうした様々な因子が組み合わさり、学力という結果に至っているということは、あり得ると思います。

でも、逆もありそうです。
学力の高い人ほど、朝食で得られる栄養とエネルギーの重要性を理解している。ゆえに、朝食を欠かさない。

ただし、注意しなければならないのは、
・朝食を摂る→学力が上がる
・学力が高い→朝食を摂る
どちらも、そうとは言い切れないところです。

つまり、上記の例は一見すると相関関係にあるのですが、実はAとBに直接の関係がない、擬似相関と呼ばれる関係にあります。
ここには、「朝食」と「学力」の間に、「栄養状態」や「家庭環境」といった隠れた要素があります。
因果関係でもなければ、単なる相関関係でもない。
これを誤解すると、「学力を伸ばす“ために“朝食を摂ろう」というおかしな言説が流布される。

学校現場に置き換えてみます。
多くの教員が持っているであろう感覚。
それは、「部活を頑張る生徒ほど希望の進路を叶えられる」という感覚。

ここに因果関係がないことはすぐにわかると思います。
どれだけ部活を頑張っても、部活動推薦などの特別な事情がない限り、それは進路とは直接関係がない。
では相関関係はあるか。
ある、というのが教員としての感覚ですが、お察しの通りこれは擬似相関です。

「部活」と「進路実現」の間には、その生徒の「性格」「家庭の経済状況」「時間的余裕」「学ぶ姿勢」……いろいろな要素が隠されています。

これらに目を向けず、「部活を頑張れないやつは進路も頑張れない」とか「部活を頑張ったやつが最後には勝つ」とか、
そういうことを言うのはどうなの と思います。
擬似相関は、それを扱う者も、扱われる者も、非常に騙されやすい性質を持つ論理なのです。


とはいえ。
だからといって擬似相関が悪者で、意味のない見方なのかというと、そうではないと思います。
飛躍はあれど、そこには確かに関係があるように見えるわけなのだから、その飛躍した部分を見極め、それをうまく使えばいいのです。

部活を頑張る生徒は、確かに進路を叶える生徒が多い。
それは、生徒自身のバイタリティの問題か。それとも、単に暇なだけか。だとしたら、これを学習に向けるためにはどういった支援が有効か。
そんなふうに考えると、学校の日常も一味違って面白いものになる気がします。

要は、自覚の問題です。
自分が使っている論理という武器の形を知らないまま振り回すのはいかがなものか、と言いたいのです。

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