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ガンジス河は今日も何事もなく全てを飲み込んで、茶色く濁ってゆったりと流れている。

チベット・インド旅行記(最終章)
#34,バラナシ

【前回までのあらすじ】長旅の末、まえだゆうきはついにインドへと辿り着いたのであった。

「ユーキ…、ユーキ…。さっきからぼーっとして、何を考えてるの?」


ソンギョンの声でふと我に返った。
夜風が涼しいバラナシの夜。


私とソンギョンを乗せた木製の手漕ぎボートがガンジス河の上でぷかり、音も無く浮かんでいる。

少し、今までの旅を思い返していたみたいだ。


川幅はゆうに200mはあるだろうか、ゆったりと流れるガンジス河の水面には、葉っぱを固めて作られた小さな小皿の灯籠がぷかぷかと浮かんでいる。

小皿の上にはマリーゴールドの花輪と小さなキャンドルが乗っている。


そんな小さなキャンドルが幾万、いや幾十万と川面に浮かび、あたりはまるで光の絨毯が敷かれたように、ぼうっと幻想的な光に包まれている。
 

河岸からは祭りの音が聴こえる。
11月の満月の夜に行われるバラナシのお祭り、ディープディワリ。


川辺に並ぶガート(川岸の広場)では、バラモンの僧侶たちが鳴り響く音楽や鐘の音に合わせて、煙と炎で祈りを捧げている。

何十万人という人が押し合いへし合い、祈りを捧げ、灯籠を河に流す。
煙とキャンドルの明かりに照らされ、街中が妖しく輝いて見える。

「ユーキ…」。

ソンギョンがもう一度口を開く。
長い茶髪を後ろで束ねた、色白で清楚で優しそうな韓国人の女の子、ソンギョン。

お祭りで付けてもらったティカ(額につける赤い印)と、あどけない表情が微笑む。

「もうすぐお誕生日だね。何だか私たち、夢を見ているみたいだね」。


確かに、夢を見ているようだ。
ゆらり、キャンドルの炎が揺れる度に輪郭が曖昧にぼやける。

なぜだろう、揺れる炎をじっと見つめていると不思議な気持ちになってくるのは。
現実と夢の区別がゆっくりと溶けていく。

 
日本を旅立ってから6ヶ月。
今まで通り過ぎてきた街や、国や、景色。
色、香り、匂い、味、感触。
出会ってはすれ違い、握手を交わし、そして別れを告げてきた人たち。


それらはまるで映画の中のワンシーンみたいに、確証なく、記憶の中で今も、繰り返し再上映を続けている。
 

ちゃぷん。


寄せては返すボートがぶつかり合い、水面に波紋を作る。
小さな葉っぱの皿に乗ったキャンドルが、ゆっくりと川下へ向かっていく。


河の流れは決して後戻りする事なく、川下へと流れていく。
時間もそう。


私は一体、どこへ向かおうとしているのだろうか。 
どこから来て、どこへ行こうとしているのだろうか。

分からない。
分からないけど、あと数時間で私は20歳になる…。
 


ソンギョンと私はゲストハウスの屋上のテラスで知り合った。

私がステイしていたアーシュラゲストハウスは韓国人ツーリストたちに人気の宿で、屋上のテラスからは、楽しそうなハングル語の会話がいつも聞こえてきた。

ある日、テラスでマサラチャイを飲んでいた私を韓国人だと勘違いして話しかけてきたソンギョン。

韓国人のフリをして、うろ覚えのハングル語でウィットに返すと、私のハングル語がよっぽどおかしかったのか、お互いたちまち打ち解けて、仲良しになった。


ソンギョンは明るくて、屈託がなくて、笑顔が可愛くて、まだ旅を始めたばかりの旅人が持つ、見るもの全てが新しい新鮮さに溢れていて。

そんなソンギョンに手を引かれながら、一緒にバラナシの街の裏通りを探検した。


一度入ったら中々出られない、レンガ作りの迷路の路地。
雑貨屋に、ラッシー屋に、洗濯屋に、なかなか繋がらないインターネットカフェ。

壁や石畳は噛みタバコを吐いた痰で真っ赤に染まり、その上に牛の糞や生ゴミが積み重なって層を作っている。


汗とお香の匂いが混じり合う。
マリーゴールドの首飾りをかけられたヒンドゥー教の神々。
痩せた野良犬と、痩せた野良牛。


サリーを身に纏った女性。
上半身裸にルンギ(腰巻き)を巻いた男達。
路上に座り込んだ老人。


茶色く濁ったガンジス河に陽の光が当たり、キラキラと輝く。


ソンギョンが振り向く。


ソンギョンが笑う。


私は思う。
ソンギョンが好きだ。

知っている。
所詮この気持ちは、長旅で痩せた心を惑わす、一種の気の迷いだという事を。


知っている。 
自分が浮かれているっていう事ぐらい。


ソンギョンとふたり、階段を降りてガートからガンジス河を眺める。


ガートで洗濯をする人、排泄をする人、沐浴をする人、焼かれて投げ込まれる死体の灰。

全てが混ざり合ってドロドロになったガンジス河。


風が吹く。

ソンギョンの横顔。
ソンギョンの長い髪。

ソンギョンが聞く。


「ユーキ、あなたはこれから先、いつまで旅を続けるの?
 家に、自分の故郷に帰りたくなったりする事はないの?」


「分からない…。その気になれば明日にでも帰れる気がする。
 でも、僕はその気持ちを。そのきっかけを失ってしまって、今それを探しているんだ」。


ソンギョン、君と旅が出来たらばどんなにいいだろう。
ソンギョン、君と一緒に旅がしたい。

その言葉を口に出しかけて、グッと飲み込んだ。



ディープディワリのお祭りが終わり、ゲストハウスに戻ったのは23時過ぎ。
 
今日こそはソンギョンに告白しようと意を決して登った屋上のテラス席で待っていたのは、韓国人グループの仲間が用意してくれた、サプライズの誕生日パーティーだった。


「ハッピーバースデー ユーキ!」
「20歳のお誕生日おめでとう!」
「センイル チュカヘ~!(お誕生日おめでとう)」


驚く私を見て喜ぶ仲間たち。
そんな皆に案内され、一緒にささやかな食事を囲んだ。


出会って間もない私にこんなに良くしてくれるなんて、本当に優しい仲間達だと思って心から嬉しくなったけれども。

誕生日という特別な日に、一刻も早くソンギョンに告白しなくては。と焦っていた私は、そんな皆の優しさを素直に受け止める事が出来なくて。

 
ソンギョンとどうやってふたりっきりになろうか。
その事ばかり気になって。食べたケーキも緊張で何の味もしなかった。

「ユーキ、大丈夫?顔色悪いよ」。
向かいの席の女の子が私の様子に気がついて声をかけてくれた。

私は、「うん、大丈夫。ちょっと疲れたから部屋に戻る」。と言いつつ、これが最後のチャンスだと思い、立ち去り際にソンギョンにそっと耳打ちした。


「君に伝えたい事がある。あとで部屋に来てくれないか?」


今まで楽しそうに話していたソンギョンの顔が、さっと気まずそうな顔に変わったのが分かった。
周りの仲間たちも、そんな気まずい雰囲気を感じ取って、一瞬場が固まった。


私は急にいたたまれなくなってしまって、「じゃあ…、そういう事だから…」。とだけ言い残し、足早に自分の部屋に戻った。




そして誰も来ない部屋でひとり、待ちぼうけた。



淡い期待も、ひょっとしたらも、もしかしたらも、結局はやって来なかった。

朝が来て目が覚める頃。ソンギョンに言おうと思っていたセリフも、告白の決意も、情けなくみっともなくしなびていた。

気まずそうに引きつったソンギョンの顔。
仲間達の顔が頭の中でリフレインした。


あぁ駄目だ。
もう駄目だ。
皆に合わせる顔が無い…。


そうしてひとり、ゲストハウスを出て河まで歩いた。


洗濯する人。沐浴する人。投げ込まれる死体の灰。
ガンジス河は今日も何事もなく全てを飲み込んで、茶色く濁ってゆったりと流れている。

 


私は20歳になった。


→バラナシ編②に続く


【チベット・インド旅行記】#35,バラナシ②へはこちら!

【チベット・インド旅行記】#33,インドへはこちら!


20歳の時の日記


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