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ぼーっとする、

もうダメだ、もう頑張れない。もう無理だ。
というところから
頑張らなくていいんだ、もうこれ以上頑張れないならこれ以上頑張らなくていいんだ
ということに気がついて

何のために生きてるのか分からない。
というところから
ただ生きてるだけでいい、それだけで十分。
ということに気がついた。

辛いとき、
その辛さから1秒でも早く解放されたいと思って
もがくと蟻地獄の蟻のようになる。

でも一度もがくことをやめてみる。
そうすると見えてくるものがある。
上ばっかり見てたけど横を見たら階段があったり、
下を見たら抜け道のトンネルがあったりする。

今の私に例えるなら、
どうしても会いたい人がいる。
どうして会えないんだろう。
どうしたら会えるんだろう。
あのときこうしてたらよかったのかな。
あの人がこうしてくれたらよかったのにな。

会いたいという大きな気持ちからいろーーーんなことを考える。

でも考えれば考えるほど体は重くなっていく。

この辛さからどうにか脱出したくて、
辛さから解放されるための手段を学ぶ。
でも手段は手段でしかない。

こういうときの手段って
台風でやばい時に傘持って外出るときの傘と同じだと思う。
そういう時の傘って役に立たないことはないけど結局結構下半身とか濡れるじゃん。

つまり、
台風の時に無理やり役に立つのか立たないのか微妙に分かんない傘を持って外に出かけるよりは、
台風が過ぎて、雨風止んでから外に出たら
濡れないしいいじゃん?

うまく説明しようとすると難しいんだけど、
結局は自分を愛するとかもそうだけど、
自分自身が愛そのものだってことに気がつくこと、
そして宇宙は愛でできているということに気がつくこと

だから大丈夫。

怖がることもない。
全部大丈夫。

辛過ぎて
自分責めたくなったり、
誰かを責めたくなったりするかもしれない。
それで楽になるならそうすればいいけど
何かを責めることのゴールは責めるでしかない。

そんなこんなで私に今できることは純金の卵か〜って
あとは掃除かなー
って思ったの。

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