マガジンのカバー画像

鬱は創造的自己破壊だと思った 〜依存と自立の心の地図〜

11
私が鬱になって、そこからどのように復活してきたのを書き留めた記事です。 私は2011年に鬱になり、それなりに復活し、2014年に「鬱になり、もがいて、復活して、いろいろ考えた結… もっと読む
運営しているクリエイター

2019年5月の記事一覧

【vol.007】 鬱の日々

会社を休んでむせび泣く発症直後ただでさえ精神的に参っている時だからこそ、最後の最後には力…

【vol.006】 鬱になった瞬間

鬱になった瞬間そんな八方塞がりの時に、東北からある取引先の担当者が訪問してくれました。せ…

【vol.005】 鬱に追い込まれるまでの状況③

発端は東日本大震災そんな時に起こったのが東日本大震災。兵庫県に住む私は、テレビでその惨状…

【vol.004】 鬱に追い込まれるまでの状況②

薬事法、刺されるまで全力で突っ走るこの事業を推進するうえで、私にとって悩ましい障壁があり…

【vol.003】 鬱に追い込まれるまでの状況①

脱サラ、それは依存から自立へ、安心から不安へ私のサラリーマン時代を過ごしていた株式会社フ…

【vol.002】 生い立ち

両親の特徴と家庭での様子1978年、私は前川家の長男として生まれました。 四人兄弟の二番目で…

【vol.001】 まえがき

父親はしばらく考え込んだ後で、私の人生を大きく左右する言葉をかけてきました。 「お前が死んでも、それは仕方ない」 焼き鳥屋の座敷で、父親に真顔でそう言われた瞬間、私の後頭部がバンっと爆発したのを感じました。 ただでさえ精神的に参っている時だからこそ、最後の最後には寄り添ってくれるはずだと信じていた親から、私の「死」を是認する発言をされたことで、精神的に頼れる存在がなくなってしまいました。もうこの世の中の誰にも頼れない。真っ暗闇の大海原に、独り放り出された感覚になりました