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若者の投票率が低い理由とその対策

こんにちは。前ぴょんです。

今日は国語の話じゃないけど、選挙にまつわる教育の話。


若者の投票率が低い現状

さてさて、昨日は統一地方選の投開票日でしたね。こういう選挙の時には必ずと言っていいほどセットで言われる「若者の投票率」について、考えていることを書こうと思います。


総務省が公表している統計を見ると、



20代30代の投票率は他の年代と比べてもずーっと低いですね。それでも昔の若者の投票率は今の若者と比べて高かった。

平成29年の20代の投票率が34%であるのに対して、
昭和42年の20代(団塊の世代くらい)の投票率は67%

ダブルスコアですね。


若者に限らず、全体的に見て投票率は右肩下がりが基本路線になっていますが、確かに20代、30代の投票率は他の年代と比べても下げ幅が大きいように見受けられます。


さて、続いて若者の投票率が低い原因を探ってみます。



若者が投票に行かない理由⑴
そもそも現状を変える必要を感じないから


「あの頃は良かった」


というフレーズを私より年上の方からはちょくちょく聞きますが、年下からはほとんど聞きません。

「あの頃」というのは人によって様々でしょうけれど、時代背景的に年上世代の多くの人にとって良かった「あの頃」とは、やはり「バブル」時代じゃないでしょうか。

そして、その「バブル」を経験している世代からすると、「あの頃」と現在を比べて、現在の暮らしをマイナス評価する人は多いと思います。そうなると、現状に対しての不満感が出てくるので、もっと改良して欲しいという欲求が生まれ、投票率も上がりそうですね。


ただ、今の若者はそのバブル感覚を持っていません。生まれた時から経済は右肩下がりだと言われていますが、「あの頃」という比較対象を経験していない本人たちは、不景気になったという感覚が薄いんじゃないかと思います。

ましてや、ライフラインは整っていて、衛生的な環境があり、食べ物に困ることも少ない。そして治安もそんなに悪くない。年々物質的に豊かになってきているし、情報だって簡単に送受信できるような環境です(総じた一般論であって、そうでない人はもちろんいますが)。

そんな中でももし我が子が誕生していれば、保育園の待機児童問題だとか、医療費問題だとかで政治的に解決してほしい課題と触れる機会が増えるでしょうが、この晩婚化の時代ですから、そういった政治的解決を求めるような課題に直面している20代はまだまだ少ないのかもしれません。


そう考えると、今の20代の多くは現状の生活にある程度満足しているんじゃないですかね。

有権者が現状に満足していることと、この国や地方の政治に憂うべきものが実際にあるかどうかは別ではあるけれど、感情としてある程度満たされているならば、わざわざ変えようと動かないですよね。そして政権が交代しそうな雰囲気を感じない選挙なら、選挙に行くメリットを感じないのは自然なことだと思います。



若者が投票に行かない理由⑵
投票に行ってもどうせ変わらないと思っているから

民主主義と対極にある主義は独裁主義です。独裁主義で恐れられるのは、人民が施政者に支配され、施政者のあらゆる暴走を止めることができなくなることでしょう。それを物語る残酷な歴史がありました。

その点、民主主義では民意を反映して施政者の暴走を止めることができます。だからこそ、いろんな国や地域で、民が独裁者から主権を勝ち取ってきた歴史があります(あんまり詳しくは知らんけど)。


一方で、独裁主義は強烈な変化を促すことができます。例えば中国共産党が主導する中国のIT化はすさまじいですね。対立意見なんて封殺できるから、一気に技術革新が進みました。

その点、民主主義はなかなか変われません。特に変化を嫌う保守的な人が多い文化においては、まともな議論もさせてもらえず、多数決という名の数の暴力で保守層が選ばれるわけですから、当然ながら変化できないですよね。ICTを活用すれば先生も生徒も負担が少なくなるのに、いつまでもプリントを配ってICTの導入に踏み切れない学校現場を見ると、その点においては中国共産党に羨望の気持ちをちょっとだけ持ちます。


そんなわけで、この国の民主政治は、暴走はしにくいけど、適宜変化を促すこともできない政治形態なんだと思います。


ましてや、もし数的マイノリティである今の若者が変化を促そうと立ち上がったとしても、保守層の多い団塊の世代と意見が割れたら、数の暴力で押し切られるわけでしょ。人口ピラミッドの割合で言うと18:13くらいかな。どうせ負け戦なら不戦敗でいいやという気持ちも理解できます



若者が投票に行かない理由⑶
しがらみが少なく強制力が働かないから

若者はおじさん世代と比べると、しがらみも少ないものです。今の仕事を続けるためには保守派への投票が必要だと考えているおじさん世代は比較的多いかもしれませんが、そういう組織や地域に囚われている若者は比較的少ないため、それも投票率の差として現われているかもしれません。



若者が投票に行かない理由⑷
そもそも民主政治への興味を失っているから

そして最後の理由は、政治や選挙なんて興味がないからだと思います。

もっと言うと、民主政治に興味がないんでしょう。


それに関して、私は民主主義に興味を持てない若者に責任があるとは思ってはいません。親や教師を代表とする大人たちが、若者に民主主義の興味関心を持てないように育成してきた成果の現れだと思っています。

オギャーと生まれてきた子どもが、物心ついてから社会に出て集団生活を営む場は、主として学校です。その学校において民主主義への興味関心を削られているんですよ。

だって、学校って独裁主義でしょ?先生のトップダウンで命令が下り、さらに言うことを聞かない児童・生徒は怒られるという懲罰までついてくる。そんな独裁社会で6-3-3の12年間を過ごしたら、社会とは独裁が当たり前で、自分の意見なんて通らないんだ、っていう感覚に陥るのが自然だと思いますよ。


一応、部分的に民主主義ではあります。生徒会役員選挙とかね。生徒たちの投票によって選ばれた役員が、生徒会を運営していくわけですから。

だけど、その生徒会よりも立場的に上の方に先生たちがいるでしょ?だから結局、生徒がやりたいことを自分たちで実現できるという世界観ではない。その生徒会役員選挙という部分だけを見たら民主主義だけど、全体を俯瞰してみると結局先生による独裁主義なわけです。

髪型はツーブロックはダメとか、茶色い髪の毛やったら地毛証明が必要だとか、実にアホらしいそんなルールすら自分たちでは変えられない。じゃぁズラの先生は地毛じゃないのに許されるのか!って不満が募っても燻って終わり。

俺たちが選挙で選んだ代表でも、このくだらないルールを変えることができないんだ、という絶望的な気持ちを6-3-3の12年間で仕込んでいくわけですから、もう年上の人間が決めたことに従っていよう、というマインドセットが出来上がっても不思議ではないです。

そうやって育成された人間が、主体的に投票に行くと思いますか?(笑)



どうすれば若者の投票率が上がるのか

これまで若者が投票に行かない理由を4つ考えてみました。
これらを踏まえて、若者の投票率が上がる条件を2つ考えました。


現政権に期待できず、自分が投票に行けば現状をひっくり返せるかも、と期待できる時

若者が投票に行かない理由⑴と⑵は、その時の政治状況に依るものですね。それらの事項と若者の投票率の関連性を考えると、

現政権に期待できない ・・・①
自分が投票に行けば現状をひっくり返すことができるかも ・・・②

この両方の気持ちが同時に揃わないと、投票率は上がらないようです。


それを示すかのような出来事がありました。

全体的に投票率が下げ止まらなかった総選挙の中で、平成になってから一度だけ投票率が劇的に向上した総選挙があるのです。AKBちゃいますよ。2009年に行われた第45回衆議院議員総選挙です。



あの頃は選挙直近の4年で、小泉さん、安倍さん、福田さん、麻生さんと総理大臣が4人も替わって、自民党内での不祥事がたくさん報道されて、自民党への反感が強くなり、世論が自民党に期待できなくなったんですね。実際に当時の内閣不支持の一番の理由は「期待が持てないから」でした。
・・・①

そして、事前の世論調査では自民党支持率を民主党支持率が上回り、次の総選挙で初めての政権交代が起こるかもしれないという機運になってきました。
・・・②

この①②が同時に揃ったこの選挙は、ご覧の通り投票率が劇的に向上しています。


ただ、自民党に期待できないからと言って、民主党の政策が良いと判断されたわけではありませんでした。実際に、民主党の最大の支持理由は、「他の政党がだめだから」でしたからね。

そんなわけで民主党に委ねてみたけど、結局うまく政権運営ができなかったじゃん、と呆れられた3年後の総選挙では、自民党の圧勝でした。期待された分、落胆も大きかったんでしょうね。

この時は①の条件は整っていたけど、②の条件が整いませんでした。投票する前から自民圧勝が見えていましたからね。

だから投票率はダダ下がり。


このように、政治の状況から投票率を上げるとなると、現状の政治に期待が持てず、さらに若者でも自分の投票次第で政権が交代するかもしれないという期待と主体性が持てた時に、投票率が上がるんだと思われます。



学校の中で民主主義を経験させられるようになった時

続いて理由⑶、⑷から若者の投票率が向上する可能性を考えます。

組織に頼る生き方をしていないなら、⑶の理由で投票率が上がるとは思えませんが、しかし人間生きていれば何かの組織と関わることが多いですから、歳を重ねれば⑶のしがらみによる義務的な投票が増えるかもしれませんね。


ただ、果たしてこの義務的な投票というのは、民主主義の本質なんでしょうか?投票は我々国民の権利であって義務ではありません。だから投票が義務的になるのは、どこか理想とのズレがあるような気もします。

そもそも民主政治は人民が主権を持ち、人民の意志を元に行う政治ですから、まず我々人民がそれぞれの意見(=民意)を持って然るべきです。そしてその意見を政治に反映してくれそうな候補者に投票することが民主主義の基本スタンスだとすれば、理由⑷の中に豊かな民主政治へと変貌を遂げるヒントが隠されているように思うんです。


それは、まずは小さな社会である学校の中で民主主義を経験させること。つまり、一人ひとりが自らの意見を持ち、その意見をお互いに共有しながら、主体的・能動的に集団生活に関われるような教育を初等教育から施すべきだということです。

子どもたちだって多様ですから、その多様な意見がある中で、自分たちで考え、全体最適解となるようなルールを作り、学級・学校運営をしてみるわけです。そこに教員の上からの押さえつけは不要、というか、弊害です。教員は押さえつけたりリードしたりするのではなく、運営をサポートするだけでいいのです。


まぁこれは無責任に放言していますが(笑)、こんなことを言うと学級・学校運営がまとまらないぞ!というご指摘を受けそうです。まぁ、そりゃそうでしょうね。まとまんないでしょう。でもそれでいいんじゃないでしょうか。

初等・中等教育機関における主たる目的は児童・生徒の成長でしょうから、日々の学級・学校運営がスムーズにいくかいかないかなんてどっちでもいい話だと思うんですけど、なんかおかしなこと言うてますかね?

結果的に学級・学校運営でうまくいかないことがあっても、自分たちでやってみて失敗した分に関しては学びになるじゃないですか。そうして失敗で成長することが多々あるのに、その失敗を与えないだなんてかわいそうでしょう。


ちなみに、社会人になってから自分の頭で考えさせて失敗させるのはとても勇気がいります。それは会社にとって経営的にダメージを受けることが多々ありますからですね。でも学校ってその種のダメージはないでしょ。だからできれば在学中に自分の意思で動いて失敗する経験を積んでおいてほしいんですよ。おねが〜い。



まぁそうして(今の学校からすると)多少のリスクとも思えるこうした民主主義的な営みを経験して、一人ひとりの意見を尊重しつつも全体最適解を求めざるを得ない民主主義の尊さや難しさを体験的に理解することができれば、社会に出て民主政治に主体的・能動的に関わろうとするんじゃないでしょうか?


こうして育成された若者は、若くして政治に興味関心を持つようになるだろうから、結果的に若者の投票率も上がると考えられるわけです。

だから若者の投票率が低いという社会問題の一因は、教育現場にあると私は思いますし、学校はその「在り方」の変革が求められているように感じます。


加えてその学校の在り方の変革は、教育的観点からも必要です。

文科省は学校に対して、主体的・対話的で深い学びを促そうとしていますが、まず従前の上から押さえつけるスタンスを変えないことには、主体性なんぞ高まりません。

押さえつけるんじゃなくて、引き出さないと。

トップダウンで押さえつける独裁主義ではなく、
ボトムアップで引き出せる民主主義

このの要素をもっと取り入れていかないと、主体的・対話的で深い学びなんて絵に描いた餅でしょうね。



所感

若者が投票に行かない理由と、若者の投票率が上がるための環境についての話を、教育を絡めて書いてみました。


今は若者の投票率が低いから、相対的に年配層の票や組織票が政治に強く反映されます。それが悪いとは言わないけれど、これからの時代を創っていくのは我々若手なんだから、もうちょっと政治に目を向けられたらなぁ、と個人的には願っているところです。

ただ、投票に行く行かないは個人の自由だし、それを「行くべき」と主観を押し付けるのはある種の人権侵害で好きではありません。

だから、できれば義務的ではなく主体的・能動的に前向きに投票所まで足を運んで欲しいもんだと思います。

そのために学校教育をもっと民主的に〜、っていう話ですね。



あ・・、もし、この現実が、若者の投票率が低くなるように誰かの考えで仕組まれているとしたら、それはすごい緻密な考えですね。確かにそうすりゃ組織票の強さが維持できるもんなー。

知らんけど。

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