見出し画像

本当に大切にしたい人

家族のことが大好き、というのが、家族を大切にしている、とイコールにはならないことに気付いてしまいました。

いや、気づけたと言った方がいいのでしょうね。

私は母のことが大好きだけど、大切にできていなかったことを思い知ったので、かなり踏み込んだ内容になりますが今回はそのことについて。

先日noteにも書いたのですが、3月末に母方の祖父が亡くなりました。

このご時世なので、葬儀・告別式は極少数の親族だけで粛々と行いました。
その頃はまだ緊急事態宣言が出される前。

そして今、宣言が延長されるという時に控えているのが四十九日。

予定通り行うのか、延長するのか・・・

感染リスクを考えたら、延長一択。
何よりも高齢の祖母のことが心配でなりません。

この議題において、私は自分なりに家族を思い、自分の意見を母に淡々と伝え続けました。父も同じ意見で、気持ち面は理解できるけれど、日程通りやる必要が本当にあるのか冷静に考えるよう促していました。
けれど、結果的にそれが母を追い込んでしまっていたのです。

この話については一旦解決しましたが、今回の件で気づいたこと。

母には、相談相手がいませんでした。

自分の気持ちを吐き出す場も、ありませんでした。

私はありがたいことに、この自粛期間中にいろんな人とオンラインで繋がり、連絡をとることで自分の話を聞いてもらえています。
新たな出会いもあり、刺激ももらいました。

けれどもちろん母は誰かとオンラインで会話などしていません。
(ちなみにその辺りに疎すぎて、ZOOMはおろかラインのビデオ電話ですら無理です)


本当に悩んでしまった時、状況についてあまり詳しく知らない第三者の方が話しやすかったりする経験が誰しもあると思うのですが、今の状況はそういう人と出会って話すこともできません。

母に友達がいないわけではないですが、こんな時期にセンシティブな話をいきなり相談できるような間柄の人はなかなかいません。

だから、毎日毎日一人で悩んでいました。

母は私とは性格が違い、自分の意見をまるで言えないタイプです。
大人しくて優しい、控えめな人。
家族にすらその場では何も言えず、何日か経って「あのね・・・」と言い出したりします。



思えば私は母が大好きと言うわりに、いままで母の話をちゃんと聞いてあげられていなかったことに気付きました。

このところ毎日祖母の家に行っている母が、帰ってきて今日は何をしたとか、お昼は何を食べたとか、そういう他愛のない話をしていても耳を半分傾けている程度。

これを書いている今も涙が出そうになります。

友人にだってそんな態度はとらないのに、母に対してなぜそんなことをしているのか。ろくに話を聞かず、そのくせちょっと気になったことに対してだけはズバズバ意見を言ってしまい、たくさん傷つけていました。

母の性格と普段の行動から、寂しい思いをしていることは容易に想像できたはずなのに、私は自分のことで頭がいっぱいでした。

悩んでいる時、私だって、「うんうん、そうだね・・・」と誰かにただ話を聞いてもらうだけで気持ちがとても楽になります。

けれど母はそれすら叶わなかった。

娘の私にできていないので、他の男二人には到底期待はできません。

父と弟は話を聞いて欲しい女心なんてわかるタイプではないので「で、結論は?」などと一番言ってはいけないワードを切り込んでくる危険性もあります。(父は世代的に仕方ないのかもしれないけれど、弟はそんなんじゃモテないぞと姉の余計なお世話丸出しだけど言いたい)
もちろんSOSを出せば間違いなく親身になって聞いてくれる優しさはあります。けれど自ら気付けるかと言われたら、難しいところです。


コミュニケーションの基本中の基本。人の話を聞く。
自分は家族が大好きだし、大切にできている、大丈夫だと、過信している場合が実は一番厄介で、気付きにくいのかもしれないことを思い知りました。


人それぞれ家族の形があるだろうし、自分の母親に対してこんな風に考える私はおかしいのかもしれません。
けれど、家族と過ごす時間が増えている今だからこそ、しっかり自身の行動を見直したいと思いました。

このnoteを書くかどうかも悩みましたが、cotreeのひらやまさんの【「書く」を通して自分と向き合う】というnoteを読み、そこに引用されていたあかしゆかさんの言葉を見つけ、今しか書けないこの文章を記録として残しておこうと思いました。

自分という人間が、どのようなフィルターを通しながら世界を見ているかをていねいに記録すること。そしてそのフィルターの色彩や形がどのように変わっていくかを感じながら生きること。そういった移り変わりを、書くことを通じて知っていきたい、と、あるとき、ふと思うようになった。

それはきっと、今しか書けない表現が、今を過ぎてしまうと色褪せていくかもしれない感性が自分の中にある、ということに(遅らばせながら)気づきはじめたからなんだ、と思う。

あかしゆか「なぜ書くのか」についての備忘録

素敵なnoteを書いてくださったお二人に感謝いたします。

ここまでお読みくださり、ありがとうございました。

maekon

▼お決まりの余談

ヘッダーの写真も含め、母が父・弟・私のために去年作ってくれた手作りケーキです。母はお菓子作りが趣味で、普段はお皿に青いインクの濃淡だけで絵付けをするデルフト アートというものの先生をやっています。

いただいたサポートは自分の心をより豊かにするためのインプットに使わせていただこうかと思います。花を買ったり、本を読んだり、美術館に行ったり、したいです。