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輪読会レポ『我々みんなが科学の専門家なのか?』(ハリー・コリンズ著)

修士課程も修了、というタイミングで、初めて輪読会なるものをやってみました。実りある会だったので、レポートしてみたいと思います。

動機

メンバーは、科学コミュニケーションについて学ぶ副専攻の同期2名に私を加えた3人。
そして今回選んだ本が、こちら。

ハリー・コリンズ 著・鈴木俊洋 訳『我々みんなが科学の専門家なのか?』
です。
科学論の「第三の波」の提唱者であるコリンズが、専門知とは何か、また、科学の専門知とはどうあるべきかについて論じています。

実は私、以前コリンズ&エヴァンズの『専門知を再考する』を読み始め、見事に挫折した過去があります。途中で納得のできないところがあると、読み進めるのが嫌になっちゃうんですよね。ならば納得できないところを章ごとに議論できる輪読形式で読み進めよう!という試みです。

進め方

この本は序章、第1~4章、結論(+訳者あとがき)という構成になっていました。そこで、章ごとに担当者を決め、レジュメを作って配布するという形式で進めていくことにしました。

メンバーのMさんが作ってくれた分担表。控えめに言って天才。

全五回で一章ずつ進めていく見積もりを立てていましたが、思ったより進みが早く、三回で終了しました。
当日は、レジュメの担当者が内容を簡単に説明し、気になったところ・理解できなかったところなどを議論する、という流れでした。担当者以外も一通り目を通してきていたので、進みが早かったのかもしれません。

私が作成したレジュメの一部。


当日議論しながら書いたホワイトボード。
語句のまとめや論理展開の流れは、リアルタイムで書くとわかりやすかった。

学び

素人が一次資料をあたることの危険性

本書では、いわゆる専門知が「スペシャリスト専門知」として定義されています。スペシャリスト専門知には、特別な暗黙知を要さないものと、専門家集団と交流することによってしか得られないものがあります。一次資料(原著論文など)の知識は言語の理解のみで得ることができるため、前者に属します。しかしながら、暗黙知を持たない者が一次資料知を身に付けても、科学の論争を正しく理解することはできません。なぜなら、一次資料は全てが信頼に値するものではないからです。信頼できる一次資料と、そうでない物を鑑別する能力が専門家の暗黙知です。
本書では上述の内容が記されていました。現在メディアやSNSなどで起きている科学・技術に関する論争にも、暗黙知を持たない人が主導しているものがあるのではないかと感じました。

対話的専門家の重要性

こうした状況で重要性を増してくるのが、本書で着目された「特殊対話的専門家」なのではないでしょうか。特殊対話的専門家は、自ら専門知を作り出すことこそありませんが、専門家と暗黙知を共有しています。
輪読会では、メディアや行政にこそ対話的専門家が必要なのではないかという議論になりました。

まとめ

読み始めこそ難しいと感じましたが、不可解な点を後で議論できると思うと意外とずんずん読み進めることができました。
また、メンバーとの議論を通じて、本書で語られる「科学の特別性」と現状のアカデミアの矛盾に気づくことができました。
この点に関しては、今後も掘り下げていけたらと考えています。

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