ちょっと贅沢をする

私はキッチンのラップといえばクレラップ派だ。世の中の人は、何ラップを使っているのだろう。ちなみに私の実家は謎の安いラップだ。

私が使うのは、長さは50メートル派だ。20メートルではない。スーパーなどの広告で「お!安い!!」となるやつではない。たまにしか安売りしてくれないやつだ。

まふもちは、高給取りかといえばそうでもない。地方都市ならまあトントンで暮らしていけるかなくらい。なんなら足が出る時もある。牛肉は高級品だし、ディスカウントストア・ドラッグストアで安売りを狙う生活だ。

それでもなぜ、高級なほうのラップのクレラップ50メートルを使うのか。

それはズバリ、便利さである。
ラップを切るときも、クルッと箱を回せばサッと切れるし、食器にくっつかない!!ということもない。ピタッとくっついてくれる。箱の中に端が入っても、それ用のシールがついて安心。丈夫なので、シールで引き出しても、なんかこう半端に引き出されることもない。
さらに長さは長い方が、取り替えの頻度が減って手間もゴミも減る。箱の大きさはほぼ同じなので、ストック一個で2.5倍の長さがある。

なんでここまでクレラップにこだわるのか。(いや別にサランラップでもいい。要は高級なほうのラップだ)
まふもちの実家の、謎の安いラップに理由がある。
切る時はうまく切れず千切るようになることがあるし、食器にピタッとくっついてくれない。なんか薄いから、端が箱に入った時は引き出すのが地獄だ。千切れる。

そこで、まふもちは一人暮らしを始める時に決めたのだ。良いラップを買おうと。生活の質を上げたかった。

まふもちにとって、クレラップなどの高級なほうのラップには、それだけの価値があるのだ。価値あるものは、対価が高い。当然のことなのだ。

まふもちのお家には、クレラップは高級品かもしれない。(ここではデフレがどうとか社会情勢がとかは言わない)
それでも、クレラップを使うことで生活の質を上げる。それがちょっとした贅沢なのだ。(別に、ガラガラ大量に使うとかそう言う意味ではない)

贅沢とは、生活の質を上げるものなのだろうなと思っている。

欲を言えば、noteの片隅に転がるこの記事をクレラップの中の人が見つけて、より良いクレラップを生産してくれることを願いたい。より欲を言えば、そのクレラップがほしい。愛してる。

ここまでクレラップクレラップ言ってきたが、サランラップ派ではないのは何故か。だってかわいいじゃん。フルーツ柄。それだけである。
サランラップのクマちゃんもかわいいけどね。


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