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【3月号】終わらせることは、始めるのと同じくらい大変かつ大切 地域おこし協力隊11ヶ月目 Vol.53

※この記事は8割方完成していたのですが、最後の2割ーというよりかは修正作業なのだがーが手を付けられず、公開するのが7月になってしまいました。

3月はお別れの季節。お世話になった方々が新天地へと進んでいきます。

僕はあまり悲しいとは思っていません。離れても繋がっていると思っているし、むしろ世界中に仲間がいるようになったと思うと、この厳しい社会を生きていく中で心強く思えてきませんか。

本note『真船奮闘記』
2022年5月より北海道美唄市の地域おこし協力隊として、シティプロモーションを担当している真船創太(まふねそうた)です。シビックプライドの醸成や関係人口の増加を目指し、美唄の若者たちと『美唄の未来に夢を描く委員会』を立ち上げました。プロジェクトを進めていく中での等身大の苦悩や、地域での暮らしのリアルを飾らずに発信しているので、美唄に関心を持つきっかけや地域での活動のヒントになればすごく嬉しいです。

3.11から12年

東日本大震災が日本を襲ったのは、僕が小学校6年生のとき。卒業式の準備のため、体育館のステージ下の椅子収納場所に入って掃除をしていた。親戚や友達は当時東北にいなかったが、テレビに画面に映し出されていた行方不明、亡くなった方の数の多さをどう受け止めたら良いのかわからなかったのを覚えている。

大学生になって、比較的自由に行動ができるようになった。月日は経ってしまったけど、自分の目で見たいと思って東北を車で一周した。海とまちを分ける大きな壁の威圧感と10年経っても復興が進まない絶望感。もう誰も残っていないように見えた集落で子供を見たときに感じた希望。(子供との接し方がわからず、特別な感情をいだいたことがなかった自分がそれに誰よりも驚いた)

コンクリートの壁が何十キロにもわたって立ちはだかっていた

そして、何かのご縁か、2021年の4月から半年、長期インターンで宮城県の石巻と女川の方々にお世話になった。まちづくりに身を投じるきっかけとなる、楽しさも大変さも教えてくれた。すべてが繋がっているように思う。

今は僕は海から遠いところにいるけれど、入れ替わるような形で大学の同期が石巻の水産加工業者に就職をした。今年の復興の特集で、テレビに出ている姿が頼もしすぎた。僕は美唄で泥臭く土地を耕していきたいと強く思った。

地域おこし協力隊パネル展

2月から3月にかけて10日間開催していた、「美唄市地域おこし協力隊2022年度パネル展」。協力隊が入れ替わり在廊して、計300人を超える市民の方に来ていただいた。

インプット奴隷合宿

「ゆる言語学ラジオ」で聞いてやってみたかった、インプット奴隷合宿。当時は、ゆっくり本を読む時間が取れていなかったので、週末を使ってトライしてみた。

一発目ということで、近場でお試し開催。温泉宿を取って16時くらいから本4冊と籠城を決め込む。お昼寝を挟みつつ、気づいたら夜11時。お店はどこもやっていなかったので、夜はコンビニ弁当で、温泉は貸し切り。

控えめに言って良かった。横槍が入らないから読書が圧倒的に進む。こんなに読書に集中したのはいつぶりだろうか。奴隷合宿から帰ってきても、読書がゆるく続いている。結果からしてもオススメ!

委員インタビュー

引き続き「美唄の未来に夢を描く委員会」の委員さんにお話を聞いている。

委員会が始まる前は、自分にも何か役に立てるのか不安でした。でも委員それぞれのバックグラウンドが異なるので、ずっと美唄に暮らしている視点から自分なりに考えて発言をするようになりました。

藤田さんのインタビューより抜粋

現在は印刷会社のほかに、美唄青年会議所にも所属し、地域の活動に関わっています。祭りなどを通して市民の方と接する機会が多いので、素晴らしい活動をしている人もたくさん知っています。そういった個人の活動がまちに滲み出るようになったらいいなと思います。

岸山さんのインタビューより抜粋

それぞれ個性に溢れて面白いので、見てみてほしいです!

委員会10回目

7月から美唄の若者と開催してきた委員会も、3月でラストとなる10回目。

年度末の切りの良いのタイミングということもあって、一旦区切ることや次に繋げるために閉じるということの大切さを学んだ。そしてそれが始めることと同じくらい大変なことも。

年度末ということで

委員会やその周辺でやってきたプロセスをまとめた本や動画の制作が、最後の大詰めに入った。大枠はできたので、ここからはどこまで細部を詰められるかにかかっている。頭で考えて良いと思えるものを超えて、心が震えるものを作るには、切り口をシャープにしなければいけない。

ラストスパートをかけていきたいと思います!業務実績報告書も忘れずに。

お別れはやっぱり悲しい

事業を担当してくれていた市役所の方が出向で来ていたので、4月からもとの所属に戻っていった。事業の立ち上げからサポートいただいた方と離れるのは、やっぱり悲しい。

冒頭でも書いたが、色々な分野に仲間ができたと思うことにしよう。そして新しい人もそうだし、離れていってしまった人(別にマイナスの意味だけではない)が、つい関わりたくなるようなものにしてやろうと一層強く思う。


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