ゼロサム豆腐

ゼロサムゲームの幸せ豆腐

 

 呑みたい。そんな夜がある。
 だからといって鯨飲したいというほどワイルドな心もちではない。ナイトキャップと洒落込むには眠気が足りず、腹はくちくなっているはずなのに食べたい気持ちがある。ごくちんまりした欲望なのだ。しかし今飲み食いしてしまえば一日の理想的総摂取カロリーを大幅に超えるのは間違いない。

 我慢するか。それがいい。
 分かっちゃいるがちんまりしているくせに欲望は釣り針の返しのごとくがっちり意識の表層に食い込み、ひーらひらひら注意を惹くんである。

 こういうときは益体もないどうでもいいことを考え気を紛らわすに限る。
 たとえば、自分が幸せかどうかを検分するのはどうだろう。
 今日は変わり映えしない一日だった。とりたてて不幸とはいえない。不幸でないということは、幸せだということだ。――本当にそうか? 幸せならちょっと呑みたいなどと考えるだろうか。酒を飲み食べものを詰めこみたくなる虚を抱えるなんてことが、あるだろうか。
 今日の私はちょっぴり不幸なんじゃあるまいか。じゃあ、呑もう。呑んで幸不幸ゲージのマイナスをゼロに、あわよくばプラスに転化させようではないか。おいおい我慢はどこへやった。理性が慌てている気がしないでもないがまあ、いいじゃないか。酒とつまみを物色する。

 が、夜ってのは夜ってだけでもうくったくた、とにかく疲れている。疲れていれば酒盃を多少重ねるエネルギーは辛うじて残っていても他に何もしたくない。おつまみに凝る体力やら気力やらが払底している。
 ちなみにその夜は冷蔵庫の食材も底を突いていた。調味料と萎びかけた葱を除けばあるのは豆腐のみ。冷蔵庫というものは、詰めこみすぎると冷気がうまいこと循環せずよろしくないと聞いたことがある。その点、この夜の我が家の冷蔵庫は食材の残り度合いでいえば隙間だらけでたいへんに幸せであった。幸せな場所に保管されていた食材は自然、幸福度が高くなるんである。

 萎びかけた葱をちょいと刻む。豆腐パックを開ける。そりゃあきっちり水を切るに越したことはない。しかし疲れているんだ。そのくせ、気が急いてもいるんだ。食材もやる気も底を突いているんだ。何か呑んで喰わねば気持ちが充たされないんだ。パックを傾け溜まった水をだばあ、とシンクにぶちまけたら豆腐を鉢によそう。目についた順に調味料をかける。胡麻油をたらり、柚子ぽん酢をちょろり、チューブを絞っておろし生姜をにょろり、刻んだ葱をちょいと載せればできあがりだ。さらに冷蔵庫の幸福度をアップさせるべくぽつんと残っていた缶ビールを拐かしぷしゅ、とプルタブを引き
 とく、とくとく。
 グラスに注ぐ。赤みを帯びた黄金色の酒に浮いたなめらかな泡は、ぱちぱちぴちぴち賑やかに弾けて今、見蕩れている間にも消えつつある。もったいない。気が急くままくく、と三分の一ほど呷れば喉をやんややんやと黄金が駆け下りてゆく。ああ、いいね。もうひと口。冷えたビールがちりちりと喉を擽り、馥郁たる香気が鼻を抜ける。
 充ちていく。
 どちらかというと目減りしているはずなのだ。グラスからあふれんばかりだった泡はしぼみ、黄金色のビールは口へ腹へ。しかし欲しかったのはこれだという確信が心を充たす。
 そして豆腐。薬味とともに掬い口へ放りこめば、舌の上でやさしく淡くなめらかなものがほろり崩れる。生姜の大地の香り、胡麻油の焙煎香、葱の青い辛みにつんと気高い柚子ぽん酢、いかに薬味とタレが香りと旨味を賑やかにふりまきわっしょいわっしょい踊り狂おうとも、なめらかなものが留まることなくつるりと喉へ落ちて行ってしまおうとも、豆腐の幸せな後味が口中を支配する。
 ちんまりしていたくせに釣り針の返しのごとくがっちり意識の表層に食い込んでいた欲望が充たされていく。

 人生はゼロサムゲームじゃない。欲望が充たされた今日と、充たされないいつかとの間に因果関係などない。今夜私が得た幸せの分、誰かが不幸になるわけじゃない。それでも人生はゼロサムゲームに似ている。幸不幸ゲージがマイナスにふれていればビールを呑めばいい。逆にプラスを指しているなら幸福を言祝いで呑めばいい。たとえ人生がままならなくても我らには、ビールがあるのだから。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?