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ワルシャワ蜂起 ウクライナ捕虜の背中にペンキでUの字を書いた理由

色んな残忍な“事件“が起き、「地下水道」でも映画化された戦いです。
あの戦いは世界から「消された」のです。そう、ホワイトで塗られた様に。
その中でも私がずっと調べているのは、
 ワルシャワ蜂起でポーランド国内軍が、
 捕虜となった“ウクライナ人”の背中に
 「U」の字をペンキで描いたという理由は何故なのか?

さぁ、意味が分かりませんよね。
詳しくは参考資料を参照してもらうとしまして。
1944年、ドイツ東部戦線での出来事という説明で良いでしょうか。
ドイツは大負けの最中です。

実際の写真は勿論載っていますが、
それなりに昔の本はグロいので文章での表現にします。
 捕虜は以下の扱いを受けました。
  ①SS、警察は処刑。しかも銃弾を節約する為に喉をナイフで切られた。
  ②国防軍兵士は生かしておかれた。
  ③ウクライナ人は上半身裸にされ、背中にUの字をペンキで描かれた。
   戦闘中のバリケード構築中に狩り出された。
とあります。
当時、中2の私は③の意味がどうしても理解できませんでした。
この本の何処にも、その理由の説明はありません。
この謎をずっとずっと考え、約40年後にやっと答えに辿り着きました。


まず、本題から少しずれます。
別テーマである、各地におけるユダヤ人の迫害の歴史を調べていました。

ポーランドとウクライナが面しているのは地図を見れば分かりますが、
そこで何が起きていたのかようやく少し見えてきます。
 ・ウクライナの西側をガリツィアと呼ぶ。
 ・少数ポーランド人が多数派ウクライナ人を経済的に“支配“していた。
 ・ガリツィアのユダヤ人は酒屋経営などの“汚れ仕事”を負わされていた。
 ・ウクライナ人はユダヤ人に敵意を持っていた。
この状態でドイツ軍が侵略してくると、
ドイツ軍の扇動もあって“ポグロム”が起きます。
ここまでは描かれている事実ですが、
つまりユダヤ人は媒介として扱われており
根っこの部分はポーランドとウクライナの間の争いの様ですね。

別の資料を探してみます。
上記本は第二次世界大戦でしたが、第一次世界大戦でも同じですね。

第二次世界大戦で“分かり易い事件“が起きてました。やはりそうですね。

背景はこれで分かりました。(UPAの事とかあるんですが、これは調査中)
次の段階は「その人たちはどこの部隊の所属だったのか?」
普通に考えれば“外国人SS“だろうと思います。


しかし、“SS”はもっと酷い仕打ちを受けているので変だなと思いつつ
そんな部隊あるのかなと思いましたが、ありました。

しかしこの本の何処にも、ワルシャワ蜂起に参加した記述はありません。
違うようです。むしろ、合点が行きます。
「兵士ではなかったのかもしれない。でも、それって何?」

ひょっとしてコサック兵? 違いました。


それは本当に偶然に見つかります。

「Trawniki Men」という役割です。
ゲットーや収容所の管理は「ドクロ部隊」と呼ばれる正規兵?が
管理しますが(厳密には正規兵でないのですが、これは後日)
補助的な“実務”までは他の人たちにやらせるのです。
特にそれを一身に負ったのが。。。。という訳の様ですね。
ワルシャワ自体はゲットーではありませんが、
ポーランド総督府の管轄下です。

最近、収容所の中で仲間の遺体を運ぶ役割のユダヤ人の存在が
NHKドキュメンタリーでも紹介されていましたが
あれは「Sonderkommando」と呼ばれる別の役割です。
※特にこの名称は、ワルシャワ蜂起に出てくる「ディレルワンガー」にも
 付けられたりするので曖昧な様です。

勿論、このワルシャワ蜂起。
色んな意味合いがありまして
 ・なぜこのタイミングで蜂起したのか?
 ・街中の市民はこの蜂起をどう思ったのか?
 ・ソ連軍は本当に進軍を停止したのか?
 ・ポーランドってそもそも、どんな歴史なの?
と、終わりが無いテーマに続いていきます。
明らかな新事実が判明するまで一旦、このテーマはここで終わりです。

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