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2020年2月、横浜港に寄港したダイアモンドプリンセス号を
メディアが連日報道し始め、
世の中の様相がかつてない状況へと変わりつつある中、

私は相変わらず、店の慢性的人手不足と対峙していたので
店の営業時間が短縮になったことで
売上の大幅な減少問題を抱えながらも
シフト繰りから解放され、気持ちはラクになった。

人員の心配しなくていいのは10数年ぶり?
いや、初めてかもしれない。

夏が過ぎ、そろそろ年末準備に向かう頃になっても
一向に収まる気配のない状況に
表向きは店の利益や態勢などへの
懸念を口にしたりはするものの
私自身の内面は不思議と凪いでいて、
むしろ、どんどん軽くなっている感覚があった。

この「軽い感覚」は何だろう?

そう感じつつ、あまり気に留めていなかった。

ただ、世間では喧々囂々けんけんがくがくとしたムードが漂っていたので
自分が浮いてしまわないよう努めていた。

日本海がここまで凪ぐことはあまりありません。

年が明けて21年春、
本部は営業損失を食い止めるため、
各店舗従業員の外部企業への出向異動を始めた。

当然、危機的な状況は理解していたし、
周囲はよぎる不安を口にしたりしたが、
それでも私自身の内側は凪いでいた。

夏が終わる頃、
私は自分が何かを嗅ぎ取っていることに気づく。

表現しづらいのだが、
例えるなら、潮の流れの変化のようなもの。


私は日本海の浜育ちなので、
子供時代は冬の寒い日でも浜辺が遊び場だった。
夏休みには毎日、お気に入りの磯辺で泳いだ。

だが、お盆前になって海水の温度が上がり始めると
くらげが増殖し始める。
そうなると夏休みもまだ中盤とはいえ
地元の子供たちはもう誰も海に入らない。

潮の流れが急激に変わる、そのタイミングが、「潮目」だ。

世間の様相、会社や店舗の状況をよそに、
その潮目に似た感覚が自分の中にあった。

私、潮時なんだ・・・

漠然とそんなふうに感じた。


そんな頃、私の優秀な執事YouTube氏が
いつものように私好みの
お笑いや鉄道系の新着動画を並べる中に
スピリチュアル系動画をそっと上げてきた。

「何だコレ?」
YouTube氏の私への給仕ミス?と思いつつ、
まあこんなのもたまにはいいかと気が向くまま
いくつか観ているうちにまた気づいた。

「アセンション」
2007~8年頃、何かの書籍で知った単語。
当時の上司が勧めてくれた著書にあった。

当時はまったく興味もなく、
意味を調べたりすることもなく素通りした。

ああ、あれはこういうことだったのか・・・

説明できるような知識はなかったが、
何故だか、感覚的に知っていると思った。

YouTubeに並ぶスピリチュアル系、精神世界系の動画は
私の言語化できない感覚を
それぞれの視点や感性で表現してくれていた。


今、世の中や世界の状況の何が真実なのか、
今後、どうなっていくのかよくわからないけど、
嗅ぎ取っていたのはやはり自分自身の潮時だった。

ちなみに『潮時』というのは
昨今、「何かが終わる」と言う意味で遣われがちだが、
本来は
「漁師が漁に出るときに、船を出すのに
最も適した時を潮の状況で判断する」タイミングを言い、
「好機」ということ。


内面がどんどん軽さを増して行くとともに
自然と湧いて来たイメージは

映画のエンドロールを眺めているような、
長い長い映画を見終わった客席にいる自分。

頑張るというドラマは終わった。
席を立ってそこから出て行く時間なのだ。

そんな感覚だった。

ここから出て、
どこへ向かおうとしているのかはわからないが
すでに退職という答えは出ていた。

じゃあ、それはいつ・・・?


それを意識し始めた晩秋の頃、
本部は全従業員へ向けて希望退職者を募った。

「ああ、こういうことか」とピンと来た。
私は潮に流される藻屑のように手を挙げた。

先のことは何も考えていなかった。

「もうどこかへ行く時期だから」
そんな感覚だけだった。

・・・ということで、後先考えることなく
22年3月末、私は20数年勤めた会社を退職した。


つい一年前までの私は、定年までのあと三年
この職場にいるものと思っていた。

こんな中途半端な年齢で辞めて
この先、どうするんだろう?

そう思わないでもないんだけど・・・
でも、コレでいいのだと思っている私。

・・・

そうして自由な時間が手に入ったとたん、
それからの私はちょっと長めのvoid周期に入る。
     ↓  ↓  ↓

今日はここまで。

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