見出し画像

この記事のジャンルはオカルトです。

科学的根拠のないことに否定的な方、
またアレルギーのある方はこのまま閉じて下さい。


私が9~10才だから小学四年生頃だったろうか。

たまたまつけっ放しになっていたラジオから
流れ出した曲にくぎ付けになった。

ペルーの民族楽曲
「太陽の乙女たち~Virgenes del Sol~」

約4分ほどの曲。

フリーズしたように聴きながら
この音色に胸のざわつきがおさまらなかった。

泣きたくなるような、
「懐かしくてたまらない」
としかいいようがなく、震えてくる。

当時、音楽といえば
学校の授業で教科書に載っているような
唱歌とか、童謡とか
テレビの歌謡曲くらいしかない環境なのに

10才ほどの子供が異国の民族音楽に
「懐かしい」って
どういうことだろう?

この曲や楽器がどんなものなのか
知りたくてたまらず、
学校の先生とか、
音楽好きな大人たちに聞いてまわったが
誰も知らなかった。

当時、ラジオにも録音機能はあったが、
曲名もわからないでは探せないし、
録音するすべはなかった。

でも、忘れない自信があった。
いつか調べようと思った。

時は過ぎて大人になって、

ある日、ふと見た雑誌に掲載されている写真に
くぎ付けになる。

マチュピチュ遺跡 (ペルー)

初めて見る景色に
何だかわからないけど目が離せない。
気になってしょうがない。

仕方がないので(?)トイレに貼って
朝な夕な、座り込む間中、眺めた。

子供の頃にくぎ付けになった曲と
この遺跡の関係性がわかるのは
まだもう少し後のことだった。

サンポーニャ・ケーナ・ボンボ・チャランゴ・・・フォークギター?


突飛なことを承知でいうと、

記憶はすべて「今ここ」に在る
自分のものだけとは限らない。

自分の認識が追いついてないだけで

人は誰でも現生の記憶の中に、
現世ではないものが
必ず、混ざっている。

それは一つの時代(データ)に限らず、
複数のデータがごちゃ混ぜになっていたりする。


例えば、
どう考えても年の頃は1才に満たないはずなのに
誰かにおんぶされた自分を後ろから眺めている、

つまり、「自分」を俯瞰で見ている記憶や

知らない人や場所なのに
「知って」いて、なぜかわかるような感覚がある。

一般的に「デジャヴュ」と呼ばれているもの。

「気のせいかな?」で
やり過ごしているものの中にかなりの確率で
気のせいではないものがあるはずなのだ。



ここまで書いておいて
何だそれってなるが、

この記事にオチや結論はない。


私だってまだ
自身のプロセスを踏んでいるに過ぎないので。


でも言えることは

人の記憶はオカルトだ』ということ。


偶然とか、気のせいでスルーしないで
こんな視点で、
自分の五感を含めた記憶を辿ると

問題や悩みのヒントや
場合によっては答えも見つかったりして
面白いことがあるかもよ?
ってハナシ。

記憶を「辿る」って
時間の感覚を含んでいる感じがして
私にはちょっと違和感はあるけど、、、

まぁいっか。



冒頭に添付した曲に響くものがあれば
こちらも作業用BGMにどうぞ。


私はフォローさせて頂いているnoterさんに
「私が次に生まれ変わるとしたらシャチなので」
「〇〇からいらっしゃった認識ありますよね?」
「つかぬことをお尋ねしますが・・・」で始まる妙な質問など
一般的には
「あなた何言ってるの?」という理解されにくい
コメントをすることがたまにあります。
これらは私の記憶がバグることが要因です。
ご容赦くださいませ。

≪お詫び≫


過去世に興味ある方はコメント欄へお越し下さい。
(お役に立てる情報がある場合も・・・)


※この記事はあくまで個人の感想を述べたものです。
 信じるか信じないかはあなた次第です。

≪おことわり≫

今日は この辺で
では、また。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?