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【晦日参り】目に見えないものと、見えるもののバランス~岩木山神社と白蛇~

こんにちは☆
スピリチュアルセラピスト
一条瞠(いちじょうみはる)です。

今日も北海道は寒いです。
そして今日で1月も終わり!
なんと早いことでしょう。

1月のお礼を伝えに
近くの神社へお参りしてきました。

神様への感謝は
自分の細胞への感謝にも繋がっています。

今月の振り返りや、翌月への切り替えにもなるので
とてもおすすめです。

朔日参りとはまた違うエネルギーを感じます。


さてこの1月。
なんとも濃厚で、
ご縁や自分のエネルギーの変化を感じた一カ月でした。

新しいご縁がたくさん
お客様も、そして不思議なご縁もどんどんつながる!

あとね
どうしてもどうしても
私の中で引っかかっていた
某SNSのアカウントを整理したところ、
なんとも清々しくって!

その後、放置していたアカウントと向き合ってみたら
あんなに気乗りしなかったSNS投稿が
気軽で楽しいものになりました。

これからは、
投稿したいときに
投稿したいことを、つぶやきたいと思います。


さて本日のInstagramにも投稿した内容ですが

今朝のお参りの際
お礼をお伝えしているときに、ちょっと感じたことがあるので
わたし自身のために「覚書」しておきます。
(ここから先は、夢物語だと思ってくださいね)

【本殿にて】

これまで以上に
家族との「深い核」に向き合うように。
どこまでも丁寧に向き合うと、切り替わる
そんなエネルギーを感じました。

ちょっとした思い違いとか、すれ違いとか。
引き続き、日常に目を向けて
丁寧に、自分と向き合うこと

ってイメージでした。
土用の時期って、土台のことが浮き彫りになりがちだからね。

【末社・岩木山神社 にて】

本殿へのお礼と、2月の宣言を終え
末社である「岩木山神社」へ向かいました。

青森にある「岩木山神社」の御霊を
開拓移民の方々が北海道へいらした際に祀った中の1つ
なんですって。

狛犬さんにご挨拶をして、
社殿の中に一歩足を踏み入れた瞬間に

大き目の白蛇🐍
が見えました。

そしてその白蛇、わたしの胸のあたりにくっ付いてきて
首に巻き付いてきたんです。

え!?なんじゃ?大きい…!
その感触まで実感を伴うので、
ひょえ~~ちょっと身震い( ;∀;)

そう思っていたらなぜか
「3月に、出雲へ行かせていただきます」
って、報告している自分がいて。

そうなんです。
仕事の関係で、3月に出雲~伏見稲荷へ出向かせていただくのですが
神社参拝がメインではないため
もし参拝できたとしても
ごあいさつ程度になる可能性が高いな…と思っているのです。

が、その瞬間『連れて行ってほしい』と
出てきたお社の風景が。

それは、あの有名な名所ではなくて
以前1度だけ訪れたことのある、ひっそりとたたずむお社でした。
しかも、歩いていくとなると
ちょっと離れている場所にある。

そっか~。。。
一応ここに覚書しておきまして
行ける時間があったら、行ってみようと思います。


で、ここからが大切なお話。
大切な理念なので、Instagram投稿を引用しながら、こちらにも記載します。

【見えないもの🫥】に対する私の考え方

わたしは、霊視という手法を使って
目に見えないエネルギーを見たり
波動を読み取って、
その方の光を取り戻していくお手伝いをさせていただいてます✨🕊️

それは、目に見えるものと同じくらい大切で
貴重な職業だ、とも思っています。

でもね、大切なのは「そのバランス」。

今朝のように
神様と呼ばれるような場所やエネルギーから
メッセージ的なことを感じた時も
(今日みたいにハッキリ、でも)
個人的には
あんまりそこに「喜び」とか「翻弄」を感じません。

むしろ、すぐ忘れてしまいます📝
(なのでメモをしておきます)

と言うのも、
どんな魂であれ、
いま、この地球に生きている人間であれば
「地球に生きる中で、魂を成長させる」
という選択のもと、生まれてきたので
(少なくとも私は)

私たちの成長と飛躍のカギになるのは
「自分と半径1m以内の近しい人との、日常」を丁寧に生きること、です。

そこをすっ飛ばして
神様に呼ばれた、とか
神様から頼まれごとした、とか
自分に特別なお役目がある、とか。

そう言った
「わたしが特別、という優越感」みたいなものを感じた瞬間に
〈スキ〉が生まれ、
良くないエネルギーに入り込まれることも、あったりするんです。

はじめの志は
純粋に、人様のお役に立つことに霊能を使う
という理念だったろうに、
「特別感に飲み込まれた霊能者の末路」を
若いころからたくさん…見てきました。

いま考えると、
「こんなことになるなよ」と、教わっていたようにも思えます。
結末を見てきましたからね。

だからこそ、あんまり
○○が見える
ということを大っぴらに言わず、隠してきた
という経緯もあるんですがm(__)m

そして
「まるで神様に見えるように神々しい姿で、特別感を刺激してくる低級霊」も、たくさん居ます。
そこと、波長を合わせないためには
日常を疎かにしない。ということ。


そしてもう一つ。

むやみやたらに
その「神さま」とやらの「願いやおつかい」を
聞き入れない。

神さまに呼ばれたから、その神社に…
というは
「あなたの選択」ではなくて「神さま」に選択させるエネルギーを引き渡している状態です。

意味、わかるかなぁ、、

[わたし自身に、エネルギーがある]んだから
神様がどう言おうと
それを聞いた「わたしは、どうしたい?行きたい?」と
最後は自分に選択権を与えること。

※※※
番外編ですが
「神さまからの声」という、その部分。
⇒まずここも、少し疑ったほうがいいと思っています。

しかもハッキリ見えるときは、特にね。

自分を信じる ということと
自分をおごり高ぶる ということ

「紙一重」を無意識に、勘違いしないように。

見えないものを職業にすることは
相当な「覚悟」も必要。
そして、
相当な「精進」が必要。

私もまだまだ未熟ですが、
3月まで自分を整えながら
「気が向いたら」その神社にもお参りしてみたいと思います♪

ではでは、1月もありがとうございました💓
2月も、北海道のスピリチュアルサロン「ジョイハート」を
よろしくお願いいたします(^_-)-☆

セラピスト 一条みはる

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