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過去は曖昧/現実は明瞭

スマホに写真を高校の頃から残し続けていたものの、iPhoneXS 64GBではそろそろ限界が近いということで、データをUSBに移し、一部はパソコンの方にもきちんとデータを残すようにしていました。友達が「USBとかは意外と寿命が来やすいから、ちゃんとええ媒体に残すようにしときや」と忠告されていたが故に、念のため2つの媒体に残しておきました。

あるとき、ふと高校の頃の写真見返したいなと思い、USBとスマホを接続したところ、容量が重いのかUSBの処理が遅いのか、うんともすんとも言わない。痺れを切らし、USBを引っこ抜いて、次に試しにパソコンにUSBを挿したところ、なんと。

「USBデバイスが認識されません」
「デバイス記述子の要求が失敗しました」

私は暫くパソコンの前で茫然としていました。

USB逝ってしまった…………。


USBには必死にしたため卒論のデータもあったので、それもおじゃんになったのが少し悲しかったです。ただ、これは私の研究室だけ卒論集を綴じていたので、「燃やさない限り、紙は1000年は残りますから」と言っていたアナログ准教授に大感謝しかありません。
それ以上に、パソコンに保存せずUSBにだけ保存していた写真は全て吹っ飛んだのが非常に辛かった。スマホにも少し残していたものの、大学3回生~4回生の一部がぽっかりと空いてしまった。

私はおそらく過去の出来事といった記憶が、頭のなかに残りづらいタイプです。勿論嫌な記憶や忘れたいけど忘れられない記憶などは結構何年と残りがちですが、次第に色褪せていきます。
逆に他人の個人情報や興味深い知識などは一瞬で覚えてしまう、記憶への偏りが激しめです。血液型とか地理とか秒で覚えてしまう。最近一瞬で覚えた単語はフレンチパラドックス。でも日本国憲法や枕草子の暗記は一生できなかったり。謎だね~~~。

だから、写真が自分の記憶を引っ張り出す大切な役目を果たしていました。今もたまーに写真を見返したりしていましたが、その記憶を呼び起こす鍵が消えてしまった。

ひじょ~~~~~~に寂しいのは寂しい。大学3回で海行ったけど、割と有名な場所なのに、なんか日本海側の方という記憶しか既に残っていない。あと雨すごかった。


とはいえ、失われたものを考えて、その写真って本当に必要なのか?とも少しだけ思いました。

よく聞くのが、過去は過去であって、現在の自分との繋がりがあるとは言いきれない……ということ。明日布団から起きた自分は、本当に今の自分と証明できるのか。思考実験あるあるテーマ。

今の自分が仮に過去の繋がりから生まれていたとしても、その出来事が今まさに”必要”かは難しい。知識や経験が活きることがあったとしても、思い出に浸るのは、どことなく嗜好の一種みたいな感じがする。
まあ、でもそう言って切り捨ててしまう人生も味気ない訳でして。やっぱり友達との会話に花を咲かせるのは間違いなく思い出話たるもの。合理的人間ですが、最高の無駄を楽しむ余地を作るために効率的に動いているので(ちなみにこの価値観、現役のときの就活の面接で矛盾してると面白がられた)、「写真?んなもん全くいらへん。全て捨ててまえ!」とは言い切れません。

正直、高校の記憶も大学の記憶ですら消えて不足はないし、黒歴史の塊で思い出したくないものしかないので、普段困らない。そしていつか消えたとして、きっとそんなこともあったんだろうな~程度で終わる。

だけど、本当にインパクトの強い出来事はずっと覚えているし、別に写真じゃなくても、実際に現地に訪れて思い出すパターンだってある。これは現在の自分が行動しなければできないことでもある。


だから写真なり過去に絶対的に執着しなくても、ひとまず今の自分がそこにいるという事実だけは決して揺るがないし、友達とか過去から現実として残っているものだって絶対あるよねという話。
まあ自分現実的思考苦手なんやけどね!  INTP-tより


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