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ポンコツ奮闘記.#1

27歳まで定職なし
歳だけとって中身は空
そんなポンコツ介護員の奮闘小話


1.ポンコツ仲間

初めてちゃんと職に就いたのが27歳。
新設の50床ユニット型特養。
開設メンバーの中では、歳だけでいうと中堅にあたる。
ところが、中身はスッカラカンなので、取り繕うこともできない私は、右も左もわからない、ケアの良し悪しもわかったもんじゃない、恥ずかしい若オジサンだった。
丁度、同年代の経験者が同じユニット所属で、一緒のポンコツ仲間となった。同じ扱いをされたくはないだろうけれど(笑)

それは、もう酷いありさまで。
私語は多いわ、事故は多いわ、仕事ができないのに意見は言うは。
(救いがあったことといえば、私は文句は言わない。意見を言うと決めていたこと)
目も当てられず、当時のユニットリーダーは非常に頭を悩ませていたことと思う。


2.良し悪しなんてわからない

所属ユニットの中には、認知症が深く、ユニット内外を行き来される利用者さんがおられた。
ある時の夕方には施設から抜け出し、近くの墓地まで歩き、身体中草まみれで発見。
日中も深夜帯も時間の制限なく、どこにそんな体力があるのかと思うほど、良く歩かれていた。
また、口癖は「はんかます」「ふんっ」で、普段から眉間にシワを寄せて苛立たれていることが1日の大半を占めていた。
そんな方なので、どちらかといれば、いわゆる要注意利用者としてレッテルが貼られていて、苦手意識を持っている方が多かった。

そんな中、ポンコツ仲間は、その方との関りがとても上手!?で、笑顔で「馬鹿」「はんかます」と、明らかに他の職員とは違う「はんかます」という言葉を、フフっと微笑みを引き出せていたのも彼だけだった。
ところが、経験者の諸先輩や優秀な同期たちからは、悪い関りとして見られていたのだ。
今思えば無理もないのだけれど…

当時の私から見たら、一番その方らしさを引き出していると感じていたし、なんと言っても彼といると笑顔になることが本当に多いのだ。
私なりに分析すると、色眼鏡なくフラットな関りをしていたからだと推察する。

「良い悪い」は別にして、彼と利用者さんは一緒になってふざけあったり、時にユニット内を走り回ったり(鬼ごっこのように??)、そして転んだり…そんなフラットさが認知症という症状の壁を超えさせていたのかもしれない。(周囲からすると非常識さにあたるのだが)


3.不正解からの学びもある

仮に今、自分が当時のリーダーだったら指導をすると思います。
それは間違いない。
じゃ、やはり悪いケアだったのだろうか。
正解ではないでしょう。
一般的には不正解なのだと思います。
しかしながら、私はこの不正解の中から学ばなければならない本質が隠れていると思うのです。

レッテルを貼らない。
病気を見ない。
目の前のその人を見る。

ポンコツだったからこそ、病気だの症状だの、関わり方の鉄則やルールなんてものはわからない。
知識も技術もないから、レッテルのサングラスをかけずにその方を見ていたのだと思う。
その関わり方には、指摘すべき点が沢山あれ、一番純粋にその方を見ていたのは、やはり彼なのだ。

経験を積んだ今だから思う。
今までの経験から分類分けをしてしまったり。
事前情報の注意事項や、病気の特徴から見てしまったり。
知らず知らず、私たち目線で目の前の方を見ている自分に気が付く。

純粋に目の前の利用者さんを見つめられる者でありたいと。
純粋に目の前の利用者さんと向き合える者でありたいと。
その心を忘れずに持ち続けたいと。
ふと、あの頃を思い出した。



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