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感じたこと、考えたこと

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ヨルダンで暮らしている中で、忘れたくない出来事、びっくりしたこと、深く考えてみたことなどを、まとめています。
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正しさとは?正義とは?ー最近ぐるぐると考えていることー

子どもの頃は、「何が正義で何が悪か」って言うのが、もっと分かりやすかったように思える。 ルールを破ったら怒られ、友だちを傷つけてしまったら謝り、そんな子ども時代を過ごしていくうちに、自然と善悪の判断がつくようになる。 でも、大人になってみると、世の中そんなに単純じゃないことに気がつく。 「人を殺してはいけない」 という、誰しも当たり前に持っているはずの道徳観がまかり通らないことが、現在進行形で起きてしまっている。 なんで誰もこの戦争を止めることができないのかな、と疑

「難民のこと、何も知らない」

あと数時間で2023年が終わろうとしている。 私にとっての2023年は、けっこう辛い一年だった。 ヨルダンでの生活も2年目を迎えて、生活にも活動にもすっかり慣れた中、常にどこか焦りのようなものを感じていたし、どこかで妥協している感じもしたし、周りと比べて落ち込んでばかりいたし、本当に自分が目指している方向性が分からなくなっていた。 楽しいことはたくさんあった一年やったんやけどね。 今年一年を振り返って、一番印象に残っていることを一つ挙げるとすれば、ヨルダンのパレスチナ

アラブのお得意さん文化を通じて、考えたこと

「お得意さん文化」という言葉は、大阪で育ってきた私にとっては、あまり馴染みのない言葉だった。 ヨルダンに来てからは、お得意さん文化を感じることが日常的にあった。 よく行く近所のスーパーでは、買い物の合計金額の端数はいつも切り捨てて、少し安くしてくれた。 近所のカフェでは、ふらっと立ち寄った時に、店のオーナーがお茶を入れてくれた。 ヨルダンでは地方都市に住んでいたので、常連になることでさまざまな恩恵を受けていた日々だった。 ただ、このお得意さん文化は時にデメリットに働

2年の任期を終えてヨルダンから帰国しました

2023年10月末、協力隊としての2年の任期を終えて帰国した。 思えば、一度はコロナによる緊急帰国で、たった3ヶ月半のヨルダン滞在で帰国した過去があったから、今回は無事に任期を全うできたことは本当に良かった。 しかし、10月7日に行われたハマスによるイスラエル襲撃をきっかけに、3週間以上が経った今でも、パレスチナとイスラエル(特にガザ地区において)では、犠牲者の数はどんどん増えていっている。 隣国ヨルダンでも毎晩のように、イスラエルに対するデモが起きていて、毎日何が起き

新しい言語を学ぶと、新しい自分に出会える

日本人が英語を話す時に、少しオーバーリアクションになるなど、話す言語によって、本来の自分とは違う性格が出てくることがあると思う。 第3言語としてアラビア語を話すようになってから、特に感じるようになった。 アラビア語には常套句がたくさんある。 その中には、相手の幸せを願ったり(アッラーが単語として入ることが多い)、相手のことを褒めたりするものなど、さまざま。 私もたまに言われるのが、 إنتي حلوه インティヘルエ(あなた素敵ね)という言葉。 髪型を変えたり、普段着

なぜ学校をドロップアウトしてしまう難民の子どもたちがいるのか

ヨルダンでの活動も1年と9ヶ月が過ぎたが、特に2年目の今は、活動先のパレスチナ難民キャンプの実態についての話を聞く機会にたくさん恵まれた。 その中でも、学校をドロップアウト(退学)してしまう子どもたちについて。 そもそも、キャンプ内で活動する中では、肌感覚として教育熱心な母親たちの姿をたくさん見てきた。 幼稚園児の母でさえ、まだ5歳児の娘がどうしたら英語のアルファベットが覚えられるようになるのかを私に相談してくることもあったし、母である園長先生の息子が毎日のように幼稚園

幸せに生きているという罪悪感

トルコとシリアで起きた大地震で、たくさんの人が亡くなった。 日に日に増えていく死者の数。 増え方が大きくて恐ろしい。 ヨルダンに来る前だったら、今ほど身近には感じていなかったのかもしれない。 ヨルダンにいると、トルコとシリアでの被害の情報がどんどんと入ってくる。 シリアだと同じアラビア語だから、動画の中で現地の人々が喋っている言葉も少しだけ理解できたりして、とても他人事とは思えない。 普段関わっているような人が被害を受けているように感じた。 地震が起きた2月6日から

海外大学院への進学を目指すことにした!

実際に進学できるかは分からないし、そもそもスタートがかなり遅いのは自覚しているけど、ひとまず2023年9月からの進学を目指して動いてみることにした。 本来、この時期からの進学を目指すなら、2022年12月くらいには出願が終わっているのが普通。 すでに合格をもらっている人もいる。 そのような中、私は今から動き出すので、果たして間に合うのか、ちゃんと合格をもらえるのか、、、と不安要素を挙げ始めたらキリがないけど、とりあえずチャレンジしてみたいというのが今の気持ち。 協力隊と

ヨルダンで1年が過ぎて思うこと

2022年10月27日は、ヨルダンに来て1年記念日。 協力隊の任期は2年なので、ちょうど折り返しを迎えた。 最近は、日々の活動に加えて、在ヨルダン邦人向けの運動会を企画・開催したり、日本から来てくれた友だちと一緒にヨルダン国内を旅行するなどして、忙しくも充実した日々を過ごしていた。 昨日は、任期を半分過ぎたタイミングで行う「中間報告会」を無事に終えることができた。 忙しかった日々に、一区切りついてホッとしている。 ようやく落ち着いてnoteを更新することができそう。 1

アラブ手話でのコミュニケーション

ヨルダンに来てこの約1年間、聴覚障害の方と接することが頻繁にあった。 初めての関わりは、去年の11月だった。 活動先のパレスチナ難民キャンプの女性プログラムセンターの近くに「リハビリテーションセンター」がある。 そのリハビリテーションセンターにて、障害児と健常児が一緒に踊れるダンスの指導をしてほしいという依頼があり、1ヶ月間ほど、普段の活動に加えて、リハビリテーションセンターに通う日々が続いていた。 そこのセンターでは、ダウン症、自閉症、身体障害、聴覚障害など、さまざま

日本語が話せる外国人に、英語で話してしまっていないか

Don't switch to English when foreigners speak to you in your language. 「外国人があなたの母国語であなたに話している時、英語に切り替えてはいけない」 先日、SNSを見ている時に、この文章が目に飛び込んできた。 きっと、日本にいる時の私だったら何とも思わなかった文章だったと思う。 でも、今ヨルダンで暮らしている私にとって、この文章は「まさに!!」と胸に刺さるものであった。 * 思い返してみると、日本

新年度が始まって、嬉しかったこと

ヨルダンでは、9月から学年が代わり、新年度がスタートした。 私が活動している難民キャンプ内女性プログラムセンター併設の幼稚園でも、8月最終週から先生たちが出勤して、園児に配布する教科書をまとめたり、教室を風船などで飾りつけていた。 それと同時に、新しく園に通わせたい母親たちが子どもを連れて、毎日のように、幼稚園に来ては、登録を行なっていた。 不安そうな顔をしていたり、挨拶をしても少し恥ずかしそうな表情の子どもたちの顔が印象的だった。 1日目 9月4日(日)は、子どもた

ガザ難民キャンプを訪れて感じたこと

パレスチナのガザ地区では、3日前から3日間に渡り、イスラエルによる空爆を受け、女性や子ども15人を含む44人が死亡、300人以上が負傷している。 停戦で合意されたとはいえ、ガザ地区に住む人々は、いつまた衝突が起こるのか分からない不安な日々を過ごしていることだろう。 そのような中、ヨルダンに住んでいる私は、先日ジェラシュにあるガザ難民キャンプを訪問する機会に恵まれた。 ガザ難民といえば、同じパレスチナ難民でも、ガザ出身のパレスチナ難民は、ヨルダン国籍を与えられず、ヨルダン

ヨルダン国籍がもらえないガザ出身のパレスチナ難民

先月のある日、同僚の先生がお家に招待してくれた。 彼女は、ヨルダンのパレスチナ難民キャンプの中にある、私と同じ幼稚園で働いている幼稚園の先生。 普段はあまりプライベートな会話をしたことがなかった。 だからこそ、お家に招待してもらえたことはすごく嬉しかったし、普段ならできないようなさまざまな話をすることができた。 その中でも印象に残っているのが、「パレスチナ難民としてヨルダンで生きること」についての話だった。 彼女の年齢は20代半ばで、パレスチナ難民である。 といっても