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幸せに生きているという罪悪感

トルコとシリアで起きた大地震で、たくさんの人が亡くなった。
日に日に増えていく死者の数。
増え方が大きくて恐ろしい。

ヨルダンに来る前だったら、今ほど身近には感じていなかったのかもしれない。

ヨルダンにいると、トルコとシリアでの被害の情報がどんどんと入ってくる。

シリアだと同じアラビア語だから、動画の中で現地の人々が喋っている言葉も少しだけ理解できたりして、とても他人事とは思えない。

普段関わっているような人が被害を受けているように感じた。


地震が起きた2月6日から、この地域には寒波がやってきた。

2月7日はヨルダン全域で学校が休校になり、その休校は結果的に3日続いた。
それほど寒く、家の中は冷え、首都アンマンでは雪が積もるほどだった。

ストーブをつけて暖をとりながら、この寒さの中、被災した人たちや、まだ瓦礫の中に残されている人たちは、どれほどの寒さに耐えながら夜をしのいでいるのかと考えた。

そうすると、こうやって部屋で温まっている自分に罪悪感を覚えた。


地面に積もった雪で雪だるまを作ってはしゃいでいる様子のヨルダン人の動画がニュースとして取り上げられていた。

微笑ましい光景であるはずなのに、その動画に残されているコメントの中には「トルコとシリアがこんな悲惨な状態になっているのに、こんなにはしゃいで、信じられない。」というものがあった。

この人のコメントは、私が感じた罪悪感と通じるところがある気がした。

そして感じた違和感。
なんでだろう。


きっと、苦しんでいる人がいるからって、自分が幸せになっていけないことはない。

誰もが幸せに生きたいと思っているし、幸せに生きていることに罪悪感を感じる必要はない。

普段の活動でも同じこと。
難民の人たちだったり、苦しい環境を生きる人たちを目の前にした時に、自分も苦しまないといけないという発想になる必要はない。

それは苦しんでいる人を横目に、彼らを見捨てることではないはず。

自分が幸せじゃないのに、人を幸せにすることはできないと思う。

ただ、自分にできることをする。


そう、少し自分の中で納得する答えが出た気がする。






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