Mahaalo

清く正しく美しくなんて生き方はできない。貪欲に、地を這いつくばるように、ドロドロになり…

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清く正しく美しくなんて生き方はできない。貪欲に、地を這いつくばるように、ドロドロになり、汗を書きながら前にすすむ。それだけ。どっちが前なのかなんてほんとはわかっていないけど・・とにかくすすむ。登るときもある。 その途中途中を残しておくページ。そして、本業のことはなるべく書かない。

最近の記事

片栗の咲くあの山で

 カタクリの花が群生するいつものあの山へ行った。  この山は節目のたびに足を運んでいる場所だ.  山を本格的に始めたばかりの時・・・この時は、下りがやけに長く感じて、山の本気さを知った.   ロープウエイ組と徒歩組に分かれて行った時もあった.あの時は勉強会の前にみんなでワイワイ出かけたっけなぁ。  そういえば、憧れの先輩と2人出かけた時もあった。  いつもこの山に癒されてきた. いつも戸惑い迷う私を支えてくれてありがとう.

    • 山桜

       桜、梅、レンギョウ、コブシなどなど、山里の春は色とりどりで美しい。山裾から中腹にかけて広葉樹林の合間にポツン、ポツンと咲き誇る満開の山桜。どの木よりも高くあろうとするためか鬱蒼と生茂る樹林帯から一本だけ突き抜けている。  登山道に積もる花びらで付近に山桜があることを知る。見上げると樹木の葉で覆い尽くされたさらにその上に、満開の山桜がようやくみえる。山桜は、周りの樹木より、さらに高くあることで、周りと共にあり続け、凛とした美しさを誇っていられるのだろう。  ソメイヨシ

      • 果てしなく続くアップダウンを一歩一歩

         ここのところの次々に舞い込む仕事の依頼。ありがたいことだが、過集中癖のある私には、仕事が重なると周囲を見渡す余裕を失い、次第にプチうつに至る。何もしたくなくなる。くる日もくる日も書類を書き、紛争を調整し、依頼原稿を期待通りに仕上げる。そして時々プレゼンする。プチうつ状態が続くと、何もかもが面倒くさくなり、仕事の仕上がりが遅くなり、質も落ちる。よくない傾向。  トラッキングしているApple Watchを覗くと一日の歩数が1000歩未満。そんな日が続くと私は何をして、どこを目

        • 研究という山を登り切るには:樹海に迷い込んだら骨になるまで出てこられない!!

           いわゆる名山や高山と言われるような立派な山ではなく、家の裏山から続いているような低山だとしても、山に行く時は地図をみて、あらかじめコースを定め、自分の位置を確認できる磁石をもち、現在位置を確認しながら進むものだ。このように周到な準備をしておかないと、万が一道を外れ樹林帯に迷い込んだら二度と生きて出てこられない。それこそ骨になるまで。  青木ヶ原樹海に至っては羅針盤となる方位磁石も使えず、GPSさえ狂うという噂があるが、Wikipediaによるとそれは俗説らしい。だとしても

        片栗の咲くあの山で

          最近 「こそあど」が多くなった

          気候のせいなのか、花粉のせいなのか お!年齢のせいか 「あ、それそれ、そう、それ」 「あのことだけど、これって、どうなったんだっけ」  今日も朝から年齢高め集団会議。「こそあど」ばかりだし、ズレるし、噛み合わないし、話さえぎるし、自己主張が過ぎる人が多すぎるし、全く話が進まない。あまりにも脱線するから「はい、それは一旦横において!」とか言ってみたけどまったく持って取り合ってもらえず。もしや「それ」が何を指すのか理解してもらえなかったのか!  だとしても、私もその噛み合わ

          最近 「こそあど」が多くなった

          今は遠い未来と思えても春はくるよ。必ず

           里には春がきているに違いない。  そう言えば大黒様がいらっしゃる里山で河津桜を愛でたのはもう一年も前になる。その後、2月末ごろから感染者が増加し始め自粛生活に入った。夏前から秋にかけて感染者が少ない時期を見計らって近所の山や自家用車で行ける範囲の山に通い束の間の森を渡る風の心地よさを感じた。  しかし、今回の緊急事態宣言前の2020年12月ごろからの感染者の増加に伴って、また山に出かけることがなくなり、外に出ることもめっきり少なくなった。毎日の通勤の車窓から眺める景色だけ

          今は遠い未来と思えても春はくるよ。必ず

          意思決定と世界観の関係

          河津桜が咲き誇る早春の里を見渡す丘の上で微笑む大黒様。ちょうど一年前、まだコロナがこんなことになるとは思ってもみなかった平和だったあの頃。今日と同じようにとても暖かい日だったような気がする。   暖かさにあふれた気持ちでいれば、自然と日々の出来事や周りの人々の振る舞いに暖かさを感じ、右に曲がるか左に曲がるかを選ぶ時にも、たとえそれが単なる勘であったとしても、結果暖かい方を選び、間違っても冷たい方は選ばないだろう。なぜなら暖かさの匂いや雰囲気、世界観を知っているから。  何

          意思決定と世界観の関係

          前にでるのを躊躇う気持ちをどう扱うか

           週末ルーティーンになりつつある遠隔会議。最近はダブルブッキングは当たり前な感じで、PC、スマホでそれぞれ別な研修に参加しながら、ipadで会議という名のおしゃべり、なんてこともざら。今日も朝から海外と繋いだ。夕方のアメリカ大陸西海岸と比較的時間を合わせやすいこの時間に会議を行うことが多い。  前に出てなんだかんだするのは好きな方ではないし、意識高い系はどちらかというと苦手で、自分がそうなるのも嫌だし、そういう人と一緒にいるのもちょっと疲れる。キラキラ眩しがられる存在になり

          前にでるのを躊躇う気持ちをどう扱うか

          ちいさいおうちの意味

           写真は数年前に行ったオランダのロッテルダム 。街中に哲学があふれ、人々はみな楽しそう。学会参加のために勇気を出して一人で行ったのだか、英語は通じるものの看板がオランダ語で苦戦した。アムステルダムからロッテルダムまでのヨーロッパ特急の乗り方もわからず、よく帰って来れたものだ。  一人で不安そうな顔をしていたからかもしれないが、すれ違う誰もがにこやかに声をかけてくれた。(ま、そんなのりで某国でスリにあった友人もいたが・・・)登山をしているとすれ違う人と笑顔で「こんにちわ」は当た

          ちいさいおうちの意味

          後ろ姿

           哀愁漂う男の後ろ姿ではなく、これはわたしの後ろ姿。なぜか男前とかよく言われるけど、絶対それは褒め言葉ではない。薄々わかっている。  意志を感じる?いや、あの石の段を登るのか〜と、重い身体と気持ち、ついでに呼吸を整えているだけ。  「リーダー」という言葉の意味は、日本で認知されている「指導者」とは異なる。欧米では「山を登り続ける人間」「人間成長という山の頂に向かって登り続ける人物」をリーダーという。その人物の周りに多くの人が集まってくるのは、結果に過ぎない。(田坂、201

          後ろ姿

          いったん捨てて、前を向け

           これまでの経験で積み上げてきたあたりまえ。これに気づき、問い直し、いったん手放して、新たに構築しなおすことは、相当な痛みと苦しみを伴う。  叩かれて踏まれて摘まれてを繰り返し、強くて逞しい生命力あふれる新芽の萌出まで続けられる。出てきた新芽は、へなちょこかもわからんけど、わたしもそんな風にここまで育ってきた、かもしれない。ずいぶんと精神論的な人の育成方法、とも思える。  だが、  学びたいという気持ちや新しい能力を身につけたいと意欲と、いつものことをいつもと同じように

          いったん捨てて、前を向け

          雨、風が強くても・・しなやかな構えで

           毎日のように眺めている景色。雨の日も風の日も、行手を阻むようなものであっても、立ち止まったり、いったんは隠れたり、逃げたりしつつも、結局は進んでいかなきゃ、生きていけない。  南岸低気圧が通るときは雨風とともに強く、普段降らない地域でも雪になることが多い(気象講習の聞きかじり知識)。が、今日は雪は降らなかった。ラッキー。  Covid-19のパンデミックの前は、通勤時間はインプットの時間にしていた。テレビっ子の習性で有事の時のテレビ頼り。しかし、思考し産み出すには多様な

          雨、風が強くても・・しなやかな構えで

          いろいろと区切りの日

          写真を撮ると紫の光が写りこむとことで有名らしいこの場所。あとで知った。 神社が好きなので蘊蓄を勉強しようとwebブラウザしていてその情報を知り、昨日の参拝で撮影した写真のフォルダを確認するとこんな写真が。元宮と呼ばれているところ。猿田彦大神・天鈿女命・菊理媛命を主祭神としており(wikipediaより)、この元宮の脇には、盛土に大神降臨之地と書かれた碑があり、特にエネルギーが強いらしい。 確かにここには何か大いなるパワーがある、ということは凡人の私でも感じ取れた。 この

          いろいろと区切りの日