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6月8日、懐かしい知人の便りに縄文土器とワインの記憶がよみがえった

※2023年9月11日、修正・追記

ある日、ポストに封筒が投函されていた。形から察するに中身は本だ。仕事柄、郵送されてくる本の包みは見慣れている。一体誰か。送付先は名の知れた出版社だが知り合いはいない。品名にこうあった。『台形日誌』。「台形」って、あの台形のことか?

慌てて包みを開ける。予感は当たった。懐かしい知人からの贈りものだった。

伏木庸平『台形日誌』(晶文社)

その人は伏木庸平さん。現代美術作家である。「台形」とは、彼とパートナーが営む飲食店の名前だ。店は東京・国立にある(この記事の執筆時は休業中)。

伏木さんと台形のことを、どこでどう知ったのか、記憶を遡ろうとすると、糸がほつれて混濁してくる。でも確か、始まりは『mahora』を創刊した2018年の前後だったとは思う。浮かび上がるのは、縄文土器だ。


初めに思い出すのは、『スサノヲの到来』展だ。2014~2015年頃のことだ。

上は足利市立美術館、下は松涛美術館に巡回したときのレポート記事だが、展示写真だけ見てもその異様さがわかるだろう。

圧倒的な武力と狡猾な謀略を駆使する武神であり、日本最古の和歌を詠んだ芸術の神でもあるスサノヲを軸に、縄文土器、面、掛軸などの古物を展示する。「芸術」はおろか、「美」という観念が形成される以前の、「存在」の「うごめき」のようなものが刻まれていた。

私はDIC川村記念美術館での開催時に見に行ったのだが、図録はあっという間に売れ切れていた。現在、古書は結構な値段がする。

次に思い出すのは、この展示にかかわった(と思う)、江尻潔さんという学芸員さんがキュレーターを務めた、『スサノヲの予感』という展示だ。会場は東京・松涛美術館の近くのギャラリー。検索すると、2019年だった。

残念ながらギャラリーのサイトに展示写真がアーカイブされていないようで、検索してもなかなか見つからなかったのだが、オープニングに行ったらしい方のtwitterを貼っておく。

https://twitter.com/yyyuko1002/status/1081510867621957633

展示を通して、無から有が立ち上がるような、善悪の彼岸を超えた蠢きのようなものを感じたのを覚えている。特に圧巻だったのは出口王仁三郎の絵画で、異形のものどもが集結した空間のなかでも、ひときわ異質なエネルギーを放っていた。現実世界にぽっかり空いた、異界の口のようだった。

あとこれ。調べたら2018年の開催だった。

全国に散らばる傑作縄文土器が大集合した展示だったが、極めつけは展示の最後、著名人の所蔵する土器を展示する部屋で、その一角にあった、民藝のキーパーソンである陶芸家・濱田庄司の所蔵する《遮光器土偶》だった。

朝日新聞のサイトより「陶芸家・濱田庄司が所蔵した遮光器土偶 青森県外ケ浜町宇鉄遺跡出土 栃木・濱田庄司記念益子参考館蔵」

この、微妙な傾きが、なんとも異様で、私は展示室で凍り付いてしまったのだが、この土器について会話した数少ないひとりが、吉原航平さんという美術作家だった。

吉原さんとは、どういう経緯かご本人と直接やり取りするようになり、今度横須賀で展示するんです、というような便りをいただいて、見に行ったことがあった。異形とも言えそうな作品が、意外にも畳の空間にしっぽり、あるいはむくむくと収まっていて、無から有が立ち上がる瞬間が散りばめられていた。

その展示会場で、件の土器について話し、肝心のご本人の作品のことより盛り上がったような記憶だけがあり大変心苦しい。

『mahora』が創刊したかしていないかという当時、私は多分、「美」の生まれる原点を探したかったのだと思う。縄文土器や芸術以前の芸術に、そのヒントがあると考えていたのだろう。それはいまも変わらない。

吉原さんの作品をいつどこで見たのが初めてなのかは覚えていないが、確か同じタイミングで知った別の作家のひとりが、伏木さんだった(やっと登場、長かった…)。伏木さんは美術作家であると同時に、当時から「台形」というお店をパートナーさんとやっていた。吉原さんは台形で展示したこともある友人だという。

初めて台形に行ったのもおそらくその頃で、こんな話と料理がどう結びつくのか、まったく想像ができないまま、真昼間なのにやたら薄暗い店内で、どこの時代や文化からも埒外にあるような歪な古物――縄文土器(ここにも!)とか仮面とか、とてもヴィンテージなんて言えるほどファッショナブルな代物ではない――に囲まれて、不思議な居心地を感じながら、ああ、そうだ、ワインを――このワインがまったく異郷のような未知の味がしたのだが――立て続けに2杯飲み干したことを覚えている。

ああ、また思い出した。食事が有名なのに、確か15時くらいに行ったばかりに、ワイン以外は何も腹に入れられなかったのだ。無念極まりない思い出だ。

だからいつかリベンジを……と思っているうちに、私は長野に移住し、台形はとても話題になって予約もとれないほど繁盛していると風の噂に聞いて、あああの時無理してでも何か食べていれば、などと悔やんだのであった。

だから台形の料理の味を説明できないのが至極残念なのだが、この『台形日誌』に書かれた、まさに無から有が生まれるような、あるいは有から無に帰すような、ゆえに極めて動的なイメージは、たった2杯のワインだけでも、よくよく腹に落ちた(と思う)。

創作料理とも言い切れない。創作ではあるがどこかの郷土料理や民族料理などの文脈を継承しているからだ。ただその組み合わせ方に妙がある。といって、独創的とも言い切れない。なぜなら文脈を離れてきってはいないからだ。原形への確かな尊重がある。

そんなふうに「名状しがたい」というのは、言葉が創作に追いついていないから発生する現象なわけで、故にその創作は時代の先を行っていることに他ならないのだが、それを承知で無理やり表現するなら、永遠の第三国の料理? 違うな。地図にない国の郷土料理?

いや、件の『台形日誌』には、こんな一節がある。伏木さんのご実家がケーキ屋さんで、お父さんの死後、かつてのお弟子さんが黒磯で開業したカフェに行った際、店を出るときにその彼から、お父さんのケーキが忘れられなくてつくった、と言って渡された飲みものを口にしたときのくだりだ。

その時、いつもと違う場所から、短い風がふっと胸に吹いた。匂いの風だった。記憶の風だった。
今思い返すと、それは僕らのプリンと同じような甘美な飲み物で、吹いた風は多分、生きる、風だった。糸のように繋がった。

伏木庸平『台形日誌』

台形の料理は、記憶の風の集積だったのか。味覚とは、物語と記憶のなかで存在するもので、それらの総体が自分に干渉しない限り、体をなさないのだとすれば、優れた料理人とは、文脈を駆使しながら総体をつくりあげる人なのか。

なんだか美術展のキュレーションみたいだな。

ああ、腹が減ってきた。


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