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15. 不思議なポッケから出てくる道具の使い方について考えさせられる3本

今回は僕のエスノグラフィのお師匠ともいえるIさんから、ちょっと人を食ったようなwこのお題です。解釈が問われるやつですね…笑

不思議なポッケから出てくる道具の使い方について考えさせられる3本を、ぜひお願いします!

不思議なポッケっつったら例の猫型ロボットのことだと思いますが、やつがポケットから出す道具というのは、

・あまりに未来で物理法則を無視したむちゃくちゃな成果をもたらしがちで
・その結果、人間の倫理観を試しまくってくる。
・メガネの少年はよく誘惑に負けて日常をめちゃくちゃにしかける
・それを通じて猫型ロボットは少年に大切なことを伝えようとしてる(?)

っていうやつ。ごりっとまとめると、「道具が人間の倫理観を試す」ということでして、猫型ロボットのお話以外で、そんな3本を考えてみたいと思います。

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パプリカ

2006年公開
監督:今敏
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他者と夢を共有する機械を悪用し人の精神を崩壊させる犯人と、悪夢から人を救い出す女性との戦いのお話。出てくるポッケ道具は「DCミニ」という、装着して眠ることで他者との夢を共有する機械。これ、インセプションじゃん!と思ったけど当然こちらの作品の方が先で、「影響を受けた」とノーラン監督も認めているほどのすごい着想だと思う。夢と真の境目をとろけさせる様な描写と、緻密な伏線は見てて何度も唸らせてくれました。 アニメってこういう題材をこういう描き方してこそだなあと、さすが今監督。改めて惜しい人をなくしたのだなあと。もっともっと作品を見せて欲しかった。それはさておき。本来、夢に介入することでサイコセラピストとして人のトラウマや精神疾患を取り除くことを目的としてたはずなんですが、怨恨と憎悪によって、他者を精神崩壊に追い込む道具になっちゃってさあ大変っていう論点なんですが、劇中に出てくる「ただただすごい道具を作りたいだけなんだ」という倫理がちょっととんじゃっている科学者が印象的。科学者がオッペンハイマーになっちゃうかどうかって何が境目なんだろうかと考えさせられる。この映画から考えさせられる道具の使い方は、「発明とは道具と人間の関係性まで考えてこそ」ってことですかね。

ジュラシックパーク

1993年公開
監督 : スティーブン・スピルバーグ
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科学技術によって恐竜を現代に再生した結果によって起こる惨劇と、生命への倫理観のお話。生き死にぎりぎりの状況を描くことで生命倫理観を問う物語で、出てくる道具(っていうか科学技術)は、DNAクローン再現ですかね。あきらかに何からなにまで人災でひとが死にまくるわけですが、恐竜は別になんにも悪くないよね、ピー助よろしくw クローンとかDNA操作とかあるいはアニマルウェルフェアとかが騒がれる今ほど生命倫理問題がまだホットになるかなり前の1993年に描かれたこの映画が問うてる「人ってそんなに万物の霊長とか偉そうな存在なんだっけ?」というテーマは、これからますます地球との付き合い方が難しくなる人間一同としては考えていかないといけないよねと思います。恐竜大好き少年時代を過ごした自分としては、ジュラシックパークがオープンしたら行くと思うけどさw 結局道徳的な問いと、自分自身がその魅力的な倫理スレスレ提案をどう受け取るのかが別、ってなりやすいのも人間の一番のややこしさなのかもしれない。この映画から考えさせられる道具の使い方は、「想定している通りの使い方しないとそりゃやばいことになるよね」ってことですかね。道具の不備というよりは、道具を使う人間側の不備が想定に入ってないゆえに起こる惨劇を通じて、結局使う側の愚かさまで計算にいれろってことなのかもしれないっすね。しかしやっぱり、映画ってこうでなきゃ、っていうエンターテイメントの最高峰だと思います。

サマーウォーズ

2009年公開
監督:細田守
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クラウド空間の中で起こった世界規模のテロに、しがない高校生と豪家の一族が挑むお話。出てくる道具は「アバター仮想空間OZ」と「自動学習AIラブマシーン」の二つ。人が道具を使う、という主従がテクノロジーの爆発的発展によって逆転しかかっているのでは?というのが、OZのルールの中ですっかり飼いならされていて、OZの不具合で人減の生活がめちゃくちゃになる。その黒幕が暴走AIラブマシーンということで、着眼点がほんとに慧眼で、それをテクニックを持ってしっかりと描きあげた監督にあっぱれ。ウェブの向こう側の人間関係と、家族という非常にドメスティックな人間関係。どちらが大事とか、そういうことではなくて、人とつながって、何かに向かって頑張るって、いいことでしょ?っていう、そんな風に見えました。 AIが人間の仕事を奪うとか言われることが、この作品公開当時より格段に増えた8年後の今だけども、この映画で描かれるように、人間が人間たりうる、理屈や合理的妥当性を度外視した「気合」みたいなものが、爽快で気持ちのいい映画。この映画から考えさせられる道具の使い方は、「道具のことを考えるって、本当に考えているのは人間のことなのかもしれない」ってことかな。

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デジタルのもともとは「digit=ケタ」なんだけど、元をたどれば指を追って桁を数えていたということなのか「指」なわけで、人間が二足歩行を獲得して両手が空いたことによって、「道具」っていう概念を生み出し、そしてそれが人類を人類たらしめるほどの、爆発的な進化発展を生み出したわけで、道具を考えることは、人間を考えることなんだと改めて思うわけです。でもなんだか確かに、自分でも手に負えないものを作りかかっているんじゃないかって、ふと恐ろしいなと思うのも昨今のとんでもない科学の発展をみていて思うこと。人間も進化していかないといけないのかもしれないのだけど、果たして追いついていけてんのかなあとか。考え出すと暗くなりそうだけども、せめて映画野中では明るくワクワク、たまに考えさせられながら、未来のことを考えられればいいんじゃないかなあなんて思ったそんな3本です。

こういうことであってますか?Iさん?笑

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