中の人まとめ

【オン読】17.07月のまとめ

オンライン読書会「オン読」。7月のテーマは、問い本【中の人などいない】(浅生鴨著・新潮文庫)を課題図書にして「人はSNSアカウント(主にtwitter)にどのように愛着を感じるのか?」を考えることを通じて、実際に自分たちのプロジェクトがSNSを運営していくときの具体的なふるまいを考察してみようというものでした。SNS以前と以降で、世界のメディアが「一方通行」から「双方向性」になったよ、って散々言われてきてますが、観方を変えれば、別に昔っから手紙だって双方向だったわけで、変化の本質は「即時応答」が「任意の形とタイミングで誰でも誰とでも」できるようになったっていう、スピードとか時間価値なんだと思ってて。「即、ダイレクトのリアクションをもらえる」ということの本質は、この本にもあったような「広報から会話」になったってことだと思います。「リアルで会わなくてもよくなった」ということは、会話なんていう人間臭くてめんどくさいものはいらなくなったっていうことではなく、直接会わなくても「会話」ができるようになったということで、やっぱり会話は大事ってことだったと思います。プロジェクトでSNSを運用すると、会話の重要性よりも「告知をせねば」とか「こういうことは書いてはならない」とか、どうしても固く、人間っぽさがなくなっていきがち。そこに対して、さてどうやって脳みそやわらかくできるかってことで、コメントも中々突っ込んだ学びを得たようで、良かったです!ちょっとまとめてみます。

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「自分を出す」なんて以前に、「自分は出ちゃう」。

この本は企業の公式アカウントの中では最多クラスのフォロワーを誇る「NHK広報局」のアカウントがいかにしてあの「芸風」を成すに至ったかを、”中の人”が赤裸々に当時の思いも含めて書いた本です。NHKっていったら、公共放送なわけで、いっていいコトと悪いコトとか、世間様がNHKこうあるべしと思っている「NHK像」もあるし、まあ、やりづらいはずなんです。でも、読んでいただくとわかる通りこのPR1号さんは、自分を出しちゃうんですよね。NHKが公式におススメする番組じゃなくて、「自分が面白くて好きだとおもう番組」をツイートしちゃうし、リプライも個人の判断で返しちゃう。学生のみなさんにはこれがどれくらい、大きな企業だと危なっかしと思われる行動かワカラナイかもしれませんが、結構勇気のいることだったりします。広報以外の場面でも、いじわるな人はほかの人が出してきたアイデアに対して「それはお前がやりたいだけだろ!」と、客観的な納得性とか妥当性がないとなかなかOKしなかったり。

でもね、どんなに気を付けても「自分は勝手にでちゃう」んですよね。

どんなに客観的なデータをたくさん引用したり、決まったガイドラインに則って自分を消して振る舞おうとしたって、その手や脳がどこかにその人のクセを出してしまう。そしてそれは、変に隠そうとするよりも、「出てしまうということ」を自覚して振る舞ったほうがいいことだったりします。多くの若い人が今やGoogle検索よりもインスタグラムの検索を信頼しているっていうのは、結局のところ「顔が見えない誰だか知らない大勢の人の行動から編み出された答え」よりも、「この私の好きな読モがいいって言ってる」のほうが、信頼できるってことなんだと思います。もっと厳密には「この人がいいって言っていることがもし自分の望む結果につながらなくても、顔が見えていれば許せる」ってことなんじゃないかな。世の中が急激に直結化する中で、匿名性の向こう側から無責任な石を投げつけてくる輩が増えているように思います。この感覚って多くの人も実は暗黙のうちに抱いていることで、だから顔が見える情報を人は望んでいるんだよなって思うわけです。とかく企業とか団体とか「大勢の人の総意やルールに則って発言すべし」みたいな背景を背負った発言って、リスクヘッジで事なかれになりやすい。だから人は企業とか団体が味気なくツイートすることよりも、多少粗削りだったり嫌いな人も出るかもしれないけど、その企業がまるで一人の実在する人間のように「顔が見えるやりとり」を好きになるんじゃないなかって思います。

自分らしさの輪郭は他者が引いてくれる

「顔が見える」ということは、言い換えれば「そのアカウントをあるひとりの実在の人間だと思ってみんな接してくる」ということです。それが理想的な状態。でも顔さえ見えればどんなに性格悪そうな顔でっもいいかっていうとそうじゃないだろと。どんな顔でどんな性格なのか、そこは悩むと思います。うちのチームっぽさってなんだろう?とか、こういうこというやつなのか、いわないやつなのかとか。答えはないと思うし、基本的にはなにやってもいいとは思うのだけど、ひとついえるのは「人間、最初っから”俺はなにキャラでいくわ”と設定してから振る舞っているわけじゃない」ってことで、それはSNSのアカウントだって一緒だと思うんです。子役じゃないんだからさ笑 なので、そのアカウントの「そのアカウントらしいキャラ」は、対話を重ねていくことおのずと周りの人が教えてくれると思う。小学校のクラス替えで知らない人ばっかりのクラスに放り込まれたときのあの、一回リセットされる感じあるじゃないですか。あの時って、結構自分が無になるような感覚に一瞬さいなまれるんだけど、「お前って〇〇っぽいよな」とか、言ってもらうことで自分の輪郭を他人が与えてくれて、それが居場所になって、ああここにこんな形でいていいんだ、って安定していくんだと思う。だれかが「自分らしさは何ですか?とか本人に聞く人がいるけど、その人の自分らしさってその人に触れる他人が決めると思うんですよね」って思ってて、目鱗だった時を思いだします。

なので、あまり「このツイッターアカウント、なにキャラ?」と考えすぎると、芸風に迷って低迷期に入っちゃう芸人みたいに、ガチャガチャになるのでw、「まずは自分が思うように、言いたいことをいい、聞きたいことを聞き、そのやりとりを通じて、自分の輪郭を他者に引いてもらう」のがいいんじゃないかなと。

具体的なことをいうと、PR1号さんみたいに「ごく限られた1~2人の人に一任したほうがいい」と思いました。やれチームに承認取らなきゃいけないとか、代表がチェックするとか、SNSを一人の人だと思って考えたら、そんな不自然な人いないわけだから。なるべく一人の人が思うがままにやってみる。ただその任される一人の人は、ちゃんとそのチームや団体がコアのところで大事にしていることや、チームの活動がいまどういう状況になっていて何に頑張りたいのか、分かっている。こういう状態さえ保てれば任せるのがいいなあって思いました。

つべこべ言いましたが、いろいろやってみるってことでしかないかなと。

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そんなわけで、「対話とは人であり、その人らしさは対話からしか見えてこない」っていう、一見するとパラドキシカルであり、でも見方を変えれば当たり前のことのような、深い結論に至ってしまいました笑 いかがでしたでしょうか?

次回の課題図書は、すぐに発表します!よかったらまた引き続き参加してくださいませ!


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