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なぜ君は鬼退治に向かうのか。

時期柄、学生さんの就活相談を受けることが多いです。あんまりウェルカムな姿勢を出しすぎても申し訳ないのですがとても受けきれないので、「前に就活の本を書いたのでこれを読んでください」といってかわすことも多くてごめんなさい(noteの下のほうにリンク貼っておきます)。でも、たまに会うことはあって、そのたびに一生懸命、抽象的な考え方の話を、分かってもらえるメタファーに落とし込もうと、都度新しいたとえ話を開発することを知らず知らずのうちにやっているなあと思ったので、こないだ開発した「株式会社ももたろう」の話を忘れないように書いときます。

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企業を「ももたろうご一行」だと例えば見立ててみる。そうすると、ももたろうご一行のご意向と、自分の存在との関係性をめぐって、取り急ぎ3つの検討ポイントが立ち現れるという見立てをしてみたんです。

1.「自分」は犬なのか?
2.「ももたろうご一行」に足りないのは、犬なのか?
3.「戦術的に」、犬・猿・雉の布陣でOKなのか?

1つ目は、自分が何者なのか。ここがわかってないと売り込みようがないですよねという話。”自分を「猿」だと思って、すばしっこさや機転が得意です!と一生懸命説得してくる犬”がすごい来ても、ももたろうご一行はちょっと扱いに戸惑うと思うんです。何ができて、どんな時にどういう風にそれが役に立つのか。自己認識度が高いと、説明と実体がちゃんと重なって相手に伝わる。ここ、入り口ですけど、かなり大事なところかなと思います。

2つ目は、ももたろうご一行の欠員状況です。俺は犬です!とアピールしたところで、ご一行の布陣がすでに、「ももたろう・犬・雉」だった場合、「2頭目かあ…」という話になってくるわけです。別に自分が犬としての魅力に欠けているわけでなくても、ただシンプルに「2頭目かあ…」になっちゃうと、これもまたもったいない。なので今、目の前を通り過ぎようとしているご一行の欠員状況をよく見極めたほうがいいし、どうせなら、「犬!探してたんだよ!これで鬼退治イケる!」って思ってもらえるご一行とご一緒したいじゃないですか。ももたろうの話と違って、就活にはたくさんの「ももたろうご一行」が出てくるので、わかる範囲でいろんなご一行のいろんな状態を見てみたらいいかと思います。犬を求めているご一行に、犬として入団希望を出したいところです。

3つ目が、この辺から高度になってくるんですが、「そもそも、ももたろう・犬・猿・雉の布陣って、ベストなの?」っていうところを自分の頭で考えてみるという話。ここまで考えが及ぶと、だんだんと「ももたろう目線」を獲得した犬になってきます。ももたろう目線って要するに、経営者の目線なんですけどw 例えば「冷静に考えたら、雉・雉・雉で空挺団を組成したほうが鬼、やっちゃえるんじゃないですか?」とか、「スカンクいたほうが、化学戦に持ち込めるやん」とか、そういうスケールで考えるということです。この視座があれば、例え自分が「2頭目の犬」だったとしても、「2頭目なんですけど… かぶってるんですけど… そこを何とか…」というお願いモードにならずに、「例えば犬2頭の布陣だと、こういう戦術もとれるし、それって、新しくないですか?」という提案をももたろうにすることだって、出てきます。”視座を高く”とか、”経営者目線”とか、オトナが無責任にたまに言ってくるのは、あくまでメタファーだけど、この辺のことだと思います。

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で、ここまで考えてみると、結構視点広げられてきているんだと思うんですが、最後に、前後1つずつ広げられることがあって、ここまで行けると、とってもチームに欲しいなあって思ってもらえる可能性があがってくるのが…

0.そもそも「自分はどうありたい」のか?「何をしたい」のか?
1.「自分」は犬なのか?
2.「ももたろうご一行」に足りないのは、犬なのか?
3.「犬・猿・雉」の布陣で、戦術的にOKなのか?
4.そもそも、「鬼が島で鬼退治」はご一行の目的なのか?

「0」を足すという、ズルいロジックですいません。でもこここそ、本質的な自己分析だと思います。よーいドン!で就活が始まると、さも「世の中の大学三年生という生き物は、いずれかのももたろうご一行に属し、鬼退治を目指さないといけない」と思い込みがち。でも冷静に考えれば、鬼退治そもそもしたいの自分?っていう疑問とか、日々しあわせに暮らせればそれ以外の方法もあるんじゃね?とか、いくらだって浮かんできます。「鬼退治ありき」ではなく、かつ専攻とか大学のサークルとか高校までの人生経験みたいな「できることベース=犬として何ができるか」発想でもなく、そもそも、どう生きれたら幸せなのか。ここ。就活ありきに脳が汚染されるまえに、なんなら常日頃、定期的にここを考えられてるといいなあと思います。ももたろうご一行側として一番避けたいと思っているのは、「いざ、鬼ヶ島行きの船着き場まで来て、さんざんきび団子をあげた犬が、”すんません、よく考えたら別に鬼退治とか、自分したくなかったっす”っていって退団すること」なんです。そこまで無碍なことを自分はしないと思っていても、そういうことする犬が世の中にいる以上、「この犬もそうかもしれぬ・・・」と多少、疑いの目で面接されることは覚悟しないといけない。で、その疑いの目を乗り越えるには、「0」の問に自分なりの答えは持ってたほうがいいかなと思います。もちろんここは、変わってもいいし、何個もあっていいし、船着き場でやっぱやーめた!ってしても人生的にはまーーったく問題ないとほんとは僕も思ってます。けど、まあ、ももたろうご一行の立場にもなって考えてみてよってことかなと。

で、最後、「4」ですね。自分の内側に「そもそも」があるということは、ももたろうご一行側にも「そもそも」は常に付きまとってきます。入団説明会では「ともに鬼を倒そう」と言っているご一行も、本来の目的は、鬼によって脅かされずに済む平和な日常の設立だったりするわけだし、そうなってくると「鬼退治成就後のももたろうご一行の事業内容」も気になってきます。視座には前述の「高さ」と合わせて、「遥かさ」みたいなものもあって、なるべく「本質的な存在意義を常に忘れないこと」「遠く未来のことを考えること」が大事だと個人的には思ってます。じゃないと、鬼さえぶっ殺せればなんでもいいみたいな誤解がご一行を侵した時に、後先考えずに「毒ガス兵器で一撃でっせ」みたいな間違った経営判断をしかねないわけです。実際のご一行の経営は、ももたろうのお話よりもとっても複雑で、意思決定の変数が多く、分岐にあふれ、しかも一つ一つスピーディに判断していかないといけない、大変なことをやってたりします。そういうときに、本質的にこのご一行が、この社会に存在する意義はなんだろう?と考えて、そこで意気投合できる犬が目の前に現れたら、おそらくももたろうは、「君に決めた」というと思いませんか。ともすれば、ももたろうも見えていない未来の目的を、犬が見出す可能性だってあるわけです。そういうポテンシャルを持った犬にこそ入ってほしいと思うわけです。兵站が単にほしいと思う局面もあるかもしれないけど、単なる兵站としての犬は「2頭目かあ…」と言われてしまいやすい。なるべく遠くを見て、高く見て、最終的には「0」と「4」の問いの交点が見いだせれば、その時は「犬だから君を採る」ではなく、「犬だろうがなんだろうが、君のその考え方を採りたい」となるはずで、そこをももたろうに話せば入団決定だと、個人的には思います。

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こんな話。
わかりやすいかどうか、かえってわからなくなった感も否めないけどw よかったら参考にしてください。あ、最初に少し触れた本はこれです。もっと実際的な言葉で書いてあるので、ももたろうは出てきませんw


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