一つの気づきで失恋のしこりが消え去った


前回書いた内容に付随して、2年くらい頭から離れなかった元カレに対するこだわりのようなものから解放されたので、その経緯を書く。
幼少期の、親の自分に対する対応についての気づきがきっかけだった。

幼少期の私に対する親の具体的な態度

前回のnoteで私が愛を受け取ってこなかったことを自覚した話を書いた。
私の受け取り方に問題があったのかもしれない。
けれど私の親は「愛する能力が乏しい人」だったのかも、とふと思った。そしてだとしたら自分もそれを受け継いでいるのでは?と。これが自分にとっては大きな気づきだった。
ここでいう愛するとは、無償の行いをできるか、全肯定の姿勢があるか、というようなことと仮に定義する(愛するとはどういうことか、自分はよくはわかっていないので)。


具体的に私の親がどんな風だったかというと、(私の主観ではあるが)

・ふざけて、よく私をけなす

よくけなされていた記憶がある。あと、〇〇ちゃんはきちんとやってるのに、全くうちの子はーと比較されながら貶されることも多かった。

・褒めたと思ったら大体その後落とされる

すごいね〜 けど勉強の方はどうなってるの?などと、大体素直には誉めてくれない。お母さんはもっとすごい、と張り合ってくることも多かった気がする

・失敗を大袈裟に指摘する

何かこぼしたりしたとき、何やってんの全く〜!と、結構大きな声で非難されたと記憶してる。だから少しの失敗の後に、親が反応するまでの間はとてもビクビクしていた。

・急にキレる

特に父親だけれど、キレたときは手がつけられない。大事なものを容赦なく捨てられたこともあるし、怒り任せにすごく傷つくことを言われたことも何度もある。今でも、父が少しでも怒ったときは、私は過剰に反応してしまって何も聞きたくない、話をしたくない、という風になる。

以上のような感じだった。うちでは貶し合いが普通だったから、友達の家に遊びに行ったとき、そこの家族のやりとりがとても他人行儀に思えた(誰もキツい言葉を言わず、ほわんほわんした会話が続くため。)。
私は虐待とかをされていたわけじゃないし、どこの家庭もうちのようなものだと思ってた。
虐待はなかったものの、今でも親の怒った様子に過剰にビクついてしまうのは、やはり私にとって良い家庭環境とは言えなかったんだろうと思う。最近知ったけれどこういうのを複雑性PTSDというらしい(トラウマの一種)。

親が「愛する能力の乏しい人」だったと仮定すると私も?

先に述べたようなうちの親の態度が、愛する能力の乏しい人だったからだと仮定すると、私もそれを受け継いで、同じく「愛する能力の乏しい人」なんじゃないかと、ふと思った。

そうだとすれば、私に好きな人がなかなかできなかったのも納得できる。

基本、人に対して無関心。無関心どころか壁を作っていたと言えるかもしれない。なぜそうだったかと言えば、前回のnoteに書いたように、周りの人をみな敵のように感じていたから。
そういう私がこれまで、自分から好きだと思った人は約3人くらい。そして思えば、その全員が「私に興味なさそうな人」だった。

私の「好き」は全て単なる執着だったかもしれない

一つ前のnoteで、私は愛を受け取ってこなかったから、承認欲求がとても強いという話をした。私のラブタンクなるものは幼少期からいつもカラカラの状態。

私が過去に自分からアプローチした3人は、皆私にそこまで興味がなさそうで、自分がアクションを起こさなかったら他のところ(人)へ去っていってしまいそうな人だった。
承認欲求の強い私にとって、去られる=自分を承認してもらえない=存在を全否定される感覚 という何より辛いことで、私はそれをどうしても避けたくてアプローチしたに過ぎない、のじゃないか。
その証拠に、その人とのLINEが普通に続いている間はなんの感情も持っていなかったのに、返事が遅くなったり、今にもメッセージが途切れそうになると、「好きかも」となるのが私のパターンだった。

だから、私が「好き」と思っていた感情は、手が届きそうで届かないものに手を伸ばしていただけのことで、単なる執着だったのかもなと。

それがわかると失恋の辛さが無くなった

2年前くらいに別れた元カレのことがなかなか頭から離れなくて、最近鬱々としていたけど、その相手は「好きだった人」じゃなく「手に入れられなかった人」なんだと思ったとき、すごく心が軽くなった。
なんだ、単に手に入らなかったからこだわってしまってただけだったんだ、って。

別れた後、元カレから二度ほど「食事でも」と誘われたけど、いずれも断ってしまった。
そのときの感情は、
①連絡を受けたときは「今さら何だよ」「私は傷ついたのに」と怒りのような感情が湧いて断る。
②断った後、しばらくして、「話したい内容は何だったんだろ」「向こうがやり直したいというならやり直したいかも」と悶々と考える。
③自分から会おうとはどうしても言えない。

という感じ。二度とも。何したいんだろーな自分。

元カレと会って話をするのがすごく怖いな、と今まで思ってた。それはなぜかというと、私は好きな気持ちが残ってて、相手は全くそうじゃないということを見せつけられたら、自分が傷つくと思ったから。
けど、私は元カレを好きなんかじゃなく、ただの執着だったなら、会って話をしても、傷つくわけがない。
だから会って昔話をするのもいいかなーと思えてきた。

この変化はすごく嬉しい。ようやく何かから解放された気分。

(プライドの高い私が、振られて「負け」と思っていたのが負けたわけじゃなかったと理由づけることができて、メンツを保てた、、で心が落ち着いたのかもしれない。苦笑)

(変なプライド全部、けちょんけちょんに踏み潰して葬りされたらいいのに。)

元カレに対しての「傷つけられた」という感覚もだいぶ和らいだ。もし本当に、自分の好きという感情が執着だったなら、そんな私にぐいぐいアプローチされて、付き合わされた彼の方がかわいそうだ。

今の私にとっての「好き」「付き合う」「結婚」とは

今私が思う、好きや恋とは「一時の錯覚」。
その人を完全に手中に収めたと思えるまで、その人のことを考えてしまうし、振り向かせたいと思う。
けれど、振り向いてくれて、むしろ自分に夢中だなと思うようになると、もう何もときめきは感じない。
その後も一緒にいるとすれば、それは何かメリットがあるから。私で言えば、欲しい言葉をくれて承認欲求を満たしてくれる、とか、人肌の温もりを感じられる、とか。
だから、好きとは、手に入っていないものに手を伸ばしたいと思う気持ちで、いつ消えてもおかしくない幻みたいなもの。

もちろん、ちゃんと「愛する」能力を持つ人にとってはそうではないのだろうけど。

そして私にとって「付き合う」とは、干渉しあう権利を得る、もっといえば自由を拘束するだけのものだと今は思う。
だって、お互いに想いあっていても、「付き合う」必要は別にない。たとえ結婚を見据えていたとしても、「付き合う」を経ないまま結婚したっていいわけだし。だから「付き合いたい」って気持ちは、相手を自分のものと証明したい、自分に時間を割いてね、と言いたいだけな気がする。

最後「結婚」とは。先に言ったように、好きとは一時の錯覚。男女が一緒にいて、お互いにときめきも何もなくなることは、必ず来ると思う。
それでも、「子どものために、離れそうな男女を結びつけておく結び目」が結婚かな、と思う。子を持つことを前提としないなら結婚はあまり意味がないように思う。

ずっとときめきが続く場合って、私は実際に目にしたことがない。けど考え得るのは、2人がすごく努力した場合。その努力とは、「相手に完全に手に入ったと思わせない努力」。そのためには常に魅力を高めていかないといけないし、ミステリアスな部分を残すようにしないといけないし、幻滅されないように日頃気をつけないといけない。週末婚とかでなければ無理じゃない?と思ってしまう。家でダラダラしたいし。

本当に、結婚したいか、子どもがほしいか

結婚はどうでもいいけど、自分の生きた証として子どもは欲しいと思ってた。
けどほんとのほんとに欲しいか?自由がなによりも大切な私は結婚や子育てに耐えられるのか?
かつて飼ってた犬も、飽きて途中から世話をしなくなった私が、子育てを最後まで成し遂げられるのか?
私は今まで人に無関心で生きてきた。無関心だから何にも捉われないし、自由で、足取り軽く生きていられた。
子どもができたら、常にその子を気にせずにはいられないだろう。自分のことでも精一杯なのに、もう一つ心配ごとが増えるようなもの。そのストレスで私はダメにならないか。

そんな途方もなく難しく思えることを遂げるには、相当心強い旦那がいないとダメだ。
だから私に結婚願望があるか無いかは、この人となら子どもを育てられそう、と思える人に会えるかによるなと思った。

今までの私は少女漫画見過ぎの夢見がちだった

今までは、「付き合う」なら、両者とも「好き」なのが当然、というような考えだった。

だから、元カレと付き合ってるとき、「好き」と言ってくれないことにかなりこだわってしまってた。

元カレに私がお付き合いをお願いしたとき、相手は「付き合うってどういうこと?」と言った。
そしてまた別の時、「好きって何なんだろうね。好きって口にしたら全て泡になって消えるような気がする」とも言ってた。
言われたときは、わけがわからなくて「?」だったけど、今は何となくわかる。

付き合うって、相手を拘束することだから、別に付き合うという体裁をとらなくていい。付き合ったら「別れ」をきちんとしなくちゃいけなくなるし。

好きっていうのも、もし何か「ドキドキする」とか「ときめく」みたいなことを言ってるのだとすれば、そんなものはいつか無くなってしまうものだから、早く冷静になりなよ って思う。

そんな気持ちだったのかな、あのときのあの人は。まあ、あっちはあっちで全く別の考えかもしれないな。

皆さんはどういう考えをお持ちですか。

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