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「ものごころ」がついた時の話

みなさん、「ものごころ」がついたのって何歳の時だったか覚えてますか?

家族に聞いたところ、「覚えてない」「いつの間にかついてた」等々。
あまりはっきりしません。

「そもそも『ものごころがついた基準』ってなんなの」
と問い返されましたので、ここでその基準をハッキリさせておこうと思います。
自分の記憶が連続して残るな~、と自覚した時
とします。(これは今私が勝手に考えた定義なので、詳しく調べないでください!)


私はこの時の記憶がハッキリあります。3歳の時です。
まるで夢から覚めたように、「ハッ!!」と気が付いた瞬間があったのです。

もっとも、その時より以前の記憶も、断片的に残ってはいました。
三輪車を漕いでいる自分の足。
玄関先の小石の中に時々混じっている小さな貝殻を探している視界のアップ。

それらは、アルバムの中のスナップ写真のように、「場面」として未だに私の中に鮮明に残っているのですが、場面と場面は連続していず、ジャンプして次の場面に移る……という感覚でした。

例えるなら、三輪車を漕いでる自分のそばにタマシイみたいに自分が並走して、自分を見下ろしている…ような感覚です。
時々、自分の身体にタマシイが乗り移って、視界をジャックできるのですが、それは一時の事でしかない……ような、そんな感じだったのを覚えています。

ですが、その日突然、「視界の全てが自分のものになった」としか言い表せられない感覚が、やってきたのです。
今この時から、私はこの身体を自由に動かせる!
そんな事を思った記憶があります。(もちろん、3歳児がこんな思考するわけがないですが、今ムリヤリに言語化するとしたなら、こんな感じです)ガンダムに初めて乗った時のアムロ・レイってこんな気持ちだったのかな、と思います(たぶん違うか…)


その時の風景もハッキリ覚えています。私は昼日中の明るい部屋の真ん中で、本を読んでいました。
本のタイトルは「きかんしゃ1414」でした。
ものごころがついた時、私はすでに文字を読めていました。(もしかしたら、さも頭がいい幼児だったようなエピソードに聞こえるかもしれませんが、私は全く頭が良くありません。数学で0点とった実績もあります)


この時の話を他人にすると、「ウソだ~」と言われてしまうのですが、本当です。(似たような記憶がある方、挙手をお願いします)

そしてその時から、記憶はスナップ写真ではなく、動画のように連続して残るようになりました。
もちろん、すべての記憶が残っているわけではなく、忘れてしまった思い出も大量にありますが、「昨日、今日、明日」という時間の繋がりを理解したというか…(上手く説明できなくてすみません!)

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この時の事を思い出すと、私の本質はなにかの思念体のようなもので、3歳だった幼児にとり憑いたモノのようにも思えて、少し怖いです。

さらに恐ろしいのは、この私の中の「思考する自分」ですが、あまり成長してない気がするのです。
なんだか、その3歳児だった時から、「私は私」であり、成長に伴って語彙が増え、表現の幅が豊かになっているだけで、思考パターンというか、本質的なモノはあまり変わっていないような気がするのです。


昔、何かで読んだ絵本作家さん二人の対談で、
「自分は8歳のころから中身が変わってない気がする」
「私も~!」
と語られている記事を読み、ずいぶんと安心した記憶があります。

よかった、そう思うの私だけじゃないんだ!!…と。

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書いていて思い出しましたが、こんな私にも、「今、自分の中身がアップデートした!」と感じた瞬間がありました。

たしか、小学二年生の時だったと思います。私は夕食を食べている最中に、
これからは何かを話す前に、一旦考えてみよう
と、何故か突如思いついたのです。

それまでは、考える前に行動する自分を、止められなかったのです。(それが子供というものですが)
それで失敗も多かったのですが、それで特に反省するということもありませんでした。(それもまた、子供というものですが)

しかしその日その時、何のきっかけもないのに、「これじゃいかん」と思ったのです。
「これからは慎重に行動するぞ」、と思い、その時を境に、私は話す前に、一旦頭の中で言葉を吟味し、多少言葉を選べるようになりました。

それにより、以前より、失言や失敗のたぐいも、少しは減ったように思います。
(奇しくも、小学二年生=8歳の時の話なので、先ほどの絵本作家の方の話と、偶然にも一致してますね)


しかし、これもハッキリ覚えているのですが…
この日を境に、私は「以前よりも愛されなくなった」と感じたのです。

周りに失礼なことを言わないように気をつけているのだから、以前よりも好かれてもいいはずなのに、何故かそう感じたのです。

その変化を境に、私の人生は少し灰色になったような気がしました。
その感覚は、未だにずっと続いています。

もしかしたら、周りは以前と全く変わっていなくて、そう感じるように私が変わった、それだけなのかもしれません。

でも、無邪気さと引き換えに、人生の楽しみを少しだけ失ってしまったような、あの日の感覚を、私は今も忘れられずにいるのです。

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