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海士への旅:ここはどこなのか

旅のはじまり


2023夏。
日本国内も粛々した空気が晴れてきた。
私も数年ぶりに、日本を旅して吸収したい。
他の土地の風を。
その土地で何かに向き合う人たちの熱を。

そして、今年は6歳の息子をその風の、その熱の中に混ぜていくのも、日本滞在の大きな命題だ。
これまでも乳飲み子の頃から、彼は知らずにそういう土や風や熱の近くにいた。6歳になった彼はこれまでよりぐっと大人になった。
体格は小柄だが、できること、やってみる、見る、感じる、学ぶ、そのための器がこれまでより大きい。
このタイミングで、日本を見せたい。
日本のイケてる大人を訪ねたい。家族で。

いざ、海士町へ

海士町に高校の先輩がいる。ずっと前から話は聞いていた。いろんな紹介されるチャンスがありながらまだ直接お会いしたことない方が海士町にいて、宿を(正確には、宿も)やっている。

人生にはタイミングってあるんですよね。
高校の後輩→海士町からきた3人の旅人などの縁の綱を手繰りながら、7月の終わりに海士町のEntoさんを訪ねました。これも不思議な縁で旅の仲間に高校の後輩。

東京羽田から米子空港に飛び(国内線を1本乗り過ごす。ターミナルにいたのに!)

乗り過ごした原因の再現by息子 諭される親たち

米子空港から境港までバス(逆向きの米子駅行きに乗る第2のハプニング)

最初の交差点で降ろしてもらい、歩いて空港へ戻る図

境港から隠岐汽船に乗って、島を渡って海士町へ。

境港。右が高速船レインボー

「この国に来るの初めてだね」と目をキラキラさせていう息子。飛行機乗ると国が変わると思っているらしい。ここも日本だよと伝えると軽く驚いていた。確かにカンボジアくるよりちょっと遠く感じる。行程への慣れもあるよね。

行きは高速船レインボーを隠岐の島々をつなぐ循環船に途中で乗り換え。

お世話になったいそかぜII

この時の衝撃。
圧倒的な青さの海。
目の前に迫る島のエッジ。濃い緑の山がストンと途切れてその先は紺碧の海。
紺碧とはこういう色か。

強烈な“島に来た“感。そして旅人と地元の方、制服姿の学生さんが入り混じる船内で、海の空気を纏う船頭さん。
このとき、ちょっとだけ観光客から“島を訪れる人“へと脱皮した気がした。

そして、Entôに。

船を降りて、港に着く。
その前から、Entôは見えていた。どれだけ見ても見飽きない青い海に浮かぶ島。
その島のなだらかに続く山並みの背景から生えるよつに立つその建物がEntôだ。

海に臨んで立つEnto

Entôの周りを半周するようにぐるっと船が角度を変えて港に着く。岸壁にお腹をつけて身を乗り出すと、もう底まで見える海。
何かの魚がひとり悠々と泳いでいる。渡ってくる風にほんのり混じる海のかおりはやさしくて心地よい。

正面玄関を入ると、白を基調にした穏やかなエントランスから、海が見える。
見えるどころか、海が目の前にある。

少し時間が早かったので、ラウンジのソファから飽きもせず海を見る。

少年は海。早く泳ぎたい父は仕事を捌く。

少し先の水平線に、島の山々が両側から迫る。
その間を白い波形もあざやかに走ってくるいくつもの種類の船。

さっき乗ってきたやつだね。
あれは、魚とりにいくやつかな。

高速船レインボーがきた。港を出て少しすると、船から足がでて、加速する。波の上に立つように、ニョキッと。

うおおお、あんなふうになってたんだ!!とまた感動。

チェックイン前にアイス始める人たち

丁寧な説明のあと、お部屋へ。
今回はEntôのAnnexに。
部屋に入ると、エントランス以上に、全面の海。

壁が一面、海になっている。
一面海の壁側に入れてもらったExtraの布団に息子のテンションが上がる。
これ、ごろんてしたら海に落ちないかな?!
と、むしろ落ちたらいいなという顔で言う。

部屋も、お風呂も、その先が海。そして、山。
この場所にあるものたちが、部屋のなかに余すところなく注ぐ。

海へ

夕食まで少し時間がある。
壁一面の海を見ていても飽きないけれど、せっかくだから、海に行こう。
カンボジアでも内陸に暮らす息子は、プールと川は知っているが、海は初めて。泳ぐのが好きなわりに、海には尻込みしている様子。

海好きな父が先陣を切る。

入るよ、といいながらしばしウロウロする人

7月の終わりの日差しの中、小さな湾が美しい。爆上がりする父のテンションにつられて息子も海へ。
打ち寄せる波。足元のゴツゴツ。漂う海藻。どれもプールとは違う。

バーンと波に向かって泳いで行って、ザバっと顔をあげ、「しょっぺぇえええ〜〜〜!!」満面の笑みで叫ぶ。
いいねぇ。それだよ、それが海だよ。

実はどこまでも広がる海に、少し怖さを感じる私も、この海は行けた。
砂浜に投げ出した足の向こうには隣の島があり、さながら対岸だ。
育った北海道の短い夏の海のイメージとは少し違う、穏やかな空気があった。
目の前の景色は違うが、身体に伝わる不思議な安心は、コンポントムの高床式の下のハンモックからココナッツの木を眺めている時にのものによく似ていた。
以前海士町からコンポントムを訪ねてきた男子3人衆が「この安心感。海士ぶりです」と言っていたのが少しわかる。
遠く、違う。でも似ている。

波がつくるリズムと日差し。初めてなのに懐かしい。

土地の鼓動を聞きながら砂辺でだらりとしているこちらの足元で、我が家の男子2匹は、海の生き物になっている。Netflixの自然番組でときどき見る、ラッコかアシカか、アザラシか。そんな感じだ。

2匹の海洋哺乳類たち

寄せては返す波と、その狭間で泳ぐ2匹の生物。気づいたら父は岸を離れてその先まで。
息子は岸壁のブロックのまわりでフナムシを追いかけまわしている。

少年が出会った、初めての海。

それぞれの時間がゆっくりと過ぎ、海を照らす日差しを味わううちにもう晩御飯の時間だった。
ときを忘れるというのは、こういうこと。
そして、コンポントムでみなさんが「時間を気にしなくなる」とよく言うのは、このことか。

食べてほしい。Entôの晩ごはん

まだ強い7月の日差しを受けた海を背景に、対面カウンターの向こうに立つシェフ。その横顔と、その向こうに見える夕陽が映える海の合わせ技が美しい。

海を背にするオープンキッチン

初日の夜は、Entôが誇る海士町と隠岐が詰まったコースをいただくことに。

6歳の少年を連れてのコースはどうだろう?という心配をよそに、子どもにも食べやすいのに、大人のメニューとほぼ変わらない、隠岐が凝縮された内容。

島の地図とお品書き。

ドリンク、塩、添えられた旬の野菜、どれにも物語があり、それをうんちくにならない程度の適度な表現で伝えてくれるスタッフの皆さん。
美味しいね、美味しいよね、と言いながらふと気がつくと、もう窓の外の海は吸い込まれるような黒。残照はいつの間にか隣の島の山の稜線に消えて、黒々とした山の連なりの上に、薄い紫の空。これだけでも、一幅の絵のようだ。
こんなに食べ切れるかなと思っていたお品書きがするすると吸い込まれる。
お魚、牡蠣、お肉と主役級が続くのに、それぞれがひとつの物語の中にいる。そんな感じだ。

この白く散らしたお塩が美味。飾りじゃないのよ

あっという間に夕食も終わり、世界は黒に包まれて、気がついたら1日が終わる。
部屋に戻ると窓の外には夜の海。時折、漁船の灯りが通っていく。
1日目の夜は、まだふわっとした異世界にいるような、不思議な感覚。
ここは確かに素晴らしい。でも、世界のどこにあるんだろう?そういう浮遊感。

どこでもない、どこか。
どこにもない、楽園なのか。
いま、どこにいるんだろう。

そんなことを考えたのも一瞬。
ふかふかの布団で眠りに落ちた。


つづく。

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