見出し画像

幸せがこわい人



☆彡ふうちゃんさん 
ありがとうございます
イラスト使わせていただきました☆彡




わかってるような
わかっていないような




私たちは、
自分で“状況”をつくり
そこからメリットを得たり、
アピールをすることがあります

たとえそれが、
一見デメリットしかないように見えること
だとしても、です


ここまでは、よく聞く話

最初の頃に書いたこの記事にも、
同じようなことを書きました



自分で状況を創っている仕組みって
気づけているようで
気づけていなかったり

自分を守る、ためにも
曇りガラス眼鏡がかかっちゃうのかな


もう何年も前の話になるけれど、
昔の出来事を例に
今日はその曇りを
晴らしてみようと思います






(ここから先は、
 死に関する話題も出てくるので、
 苦手な方は画面を
 閉じていただけたらと思います)







子どもの頃、すぐそばに
自殺未遂をする人がいました。

私は彼女の行為を
「死を考えるほど苦しい」という
“表現”として受け取っていました。

表現をすること、
それを通して何を伝えるかも
その人の自由で

だからその“表現”を
責めることも肯定することもなく

ただ、家族だから、と
そばにいました。




ある日、珍しく彼女と
ちょっとした言い合いになった時、

彼女が得意気に言いました。

「死のうと思ったこともないお前に
 私の気持ちがわかるわけないでしょう」



それはまるで、

「いい?
 私 だけ がかわいそうで、
 私 だけ が不幸なの」と

言われた気分でした




苦しみの表現として
死を使うことは受け入れられるけど、

彼女が
差別化する目的で
死を使っていたことをそのとき初めて知り、
淋しくなりました



 …あぁ、そうよ

 私は自殺を実行しようとしたことがない 
 だけど、それは
 死にたいと思ったことがないからじゃない。

 自死という表現を目の当たりにして、
 その表現が生み出す負を
 これ以上、増やしたくなかったから、
 その表現を
 自分には封じただけやけどな。

 逆に聞きたいんやけど、
 不登校という表現も 
 自殺未遂という表現も
 自分で自分に禁じた子どもは
 行き場のない苦しみを
 どう表現すればよかったんやろね


そんなことを
心の中で呟きながら

「そうやなぁ、
 私にはわからんわぁ」

と返しました。






、、、うん、曇ってますね
上の文章を書いた時の私のメガネ

彼女が
差別化する目的で
死を使っていたことをそのとき初めて知り、
淋しくなりました


これは私が、
私自身についたウソ
です。


彼女が未遂を繰り返しながら、
自分の位置を確保しておきたかったことを
たぶん、もっと早い段階で知っていました。

でも、それを認めてしまうと
彼女に寄り添えなくなると、
味方でいなきゃいけないと思い込んでいたから
見えないフリをしていました。

彼女がそんな人だと知ったから
淋しくなったのではなく、

頑張って彼女に寄り添うことはもうやめた、と
降参した自分に対するさびしさを
感じただけでした。





曇っている時の私の話は、

「彼女にこんなことを言われたから、
 悲しくなってもう彼女には
 寄り添えないと思った」

という話に見えます。




けど、透明なガラス越しにみた先ほどの話は、

「もう無理して彼女に寄り添わなくていいように
 彼女にあのセリフを言わせた」

という話です。




つまり、私が
その状況を用意して言いたかった本音

「ごめんな、アンタに付き合うん
 もうやめるわ」 です。





でも、そんなこと言って
彼女が本当に死んじゃったら?
お前が裏切ったからアイツは死んだんだって
後ろ指を指されながら生きるの?

そんな恐怖から逃れるために、
本音を直接伝えるのではなく
“あたかもそうさせられたかのように”
自分で自分を騙す
 んですよね




わかっているようで、
わかっていない、
状況は自分が創っている、のはなし





 …





幸せになることを
恐れてしまうことがあります


“不幸”という状況を創り続けることで、
誰かに何かをアピールし続けてきたとして

幸せになってしまったら、
もうその方法では
アピールできなくなってしまうからね 



今日とりあげた例は、
“離れるというメリット得るために、言わせた”
の例であると同時に

“気の毒な自分” を用意することで、
「お前らのせいで私は傷ついてるんだぞ」と
家族にアピールするために創った状況でもあります。





“不幸な自分を用意する”
これ、頭で説明としてわかってはいても、
実際にやめていくのはなかなか勇気がいるよね

ただやめればいいわけではなく、
“不幸以外にも代替があるんだってこと”を
同時に感じて進めていかないと
自分が崩壊してしまうからね



だけど、
それは性格や病気というよりは
自己認識の問題なので、

自分で自分に与える枠組みを
少しずつ移行していけば、
幸せになっても困らないということを
自身やパートナーとの経験を通して体感しました。






気付いたときから、少しずつ、

年単位の時間がかかってもなんも
不思議なことではないから

すぐにできなくても
焦らなくて大丈夫



幸せこわい人たちが

いつか幸せを
迎えにいけますように🍀



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?