おかこぱラナ

都内で働くしがないサラリーマン。性別を問われれば、いわゆる赤色とスカートで表示される方…

おかこぱラナ

都内で働くしがないサラリーマン。性別を問われれば、いわゆる赤色とスカートで表示される方。ヤングケアラー、ワーキングケアラー、同世代の役に立てたら嬉しい。

最近の記事

お姫さまとお殿様と私。

我が家はいわゆる外から見れば普通の家族だった、そう思います。父が家庭から逃亡しがち系男子だったので、あまり家族で過ごした思い出はないのですが。 母はよく泣いていたし、私に当たり散らすことも多かったような気もします。 幼少期はは自宅の自室だと全く眠れず、就寝時は近所の祖父母の家まで寝るためだけに一人で足を運んでいたのです。それは父が家に帰ってくるようになってからも変わらず、中学に上がるまで?は祖父母の家で寝ていたと思います。今考えると不安定だったのですね。祖母と一緒じゃない

    • ケアマネージャーさんと、祖父説得ミッション

      さて、祖父の退院後のプランが決まり、退院してきました。同時に祖母も軽い認知症の疑いありということで、祖母も介護認定を受けることになったわけです。祖父は要介護2、祖母は要支援だったかと思います。 現状を鑑みて、通いのヘルパーさんをお願いすることに。祖父も服薬方法が怪しいということで、訪問看護師さんが来てくださるようになりました。 やっと誰かの目が行き渡る…と安心したのも束の間… 祖父母が勝手に全て断ったのです…はあ。今思い出してもため息が出ます。 ケアマネージャーさんと

      • 祖父が入院した…それは突然

        数年前祖父が脚の激痛で入院したと病院から連絡が入りました。当時は祖母がいたはずですが、説明しても話が通じないとのことで私が呼ばれたのです。 真面目で家事が出来てお洒落な祖父。料理は上手なのに、洗濯機すら回せない祖母。二人で1つのような夫婦でした。 後遺症が残るかも、ということで、祖父の退院までの段取りを決めるためにソーシャルワーカーさんに呼び出されることになるわけです。 病院としては保証人が必要…となりますよね。 正直保証人になるのには凄く抵抗がありました。本人が払え

        • 祖父母と私と、になるまで。

          20代で親が責務放棄した祖父母の介護をひとりで背負うことになりました。二人が亡くなり、自分の時間がようやくできた今、自分の徒然や、同じような立場の方の役に立てば良いなと願いつつ経験談などを発していきたいと思います。 若い年代でケアラーになれと言われるのは、非常に辛い。でも周りに理解してくれる人も少ない。兄弟もいない私は一人で立ち向かうことになったわけです。 ケアマネージャーさんから、全て終わった後に、お孫さんが全てやるのは実は珍しいと言われ、ああ、私やっぱり珍しかったんだ

        お姫さまとお殿様と私。