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真面目すぎて「おまえんちテレビあるのか?」と聞かれた話

昔から、黙っていても初対面でも、「真面目」だと思われる。
思春期のころ、それが苦痛だった。


中学生のとき、厳しくて有名だった部活の顧問にやけに気に入られた。目をつけられるよりはいいと思うかもしれないが、勝手にハードルが上がったり性格を決めつけられたりするのは、いいことばかりじゃない。


練習の休憩中かなにかのとき、「おまえんち、テレビあるのか?」と言われたときは意味不明だった(すごい失礼だ)。

いまでこそ笑えるが、思春期の若者にとって「真面目」がいいイメージばかりではないこともあり、なんだか恥ずかしかった。実際のところ、真面目な部分もあったかもしれないが、友達とはくだらないことで笑ったり歌ったり廊下でスライディングしたり(ソフトボール部)、それなりにふざけていた。


ある日、「真面目」という理由で自分ひとりだけ怒られた。

部活が終わった後、校門の前で部活の友人数人と話していたときのこと。顧問がやってきて「明日試合なのに何やってるんだ!帰れ!」と怒られたのだ。そこまでは良い。翌日、練習試合のためグラウンドの整備をしているとき、何故かひとりだけ呼び出された。日曜日の誰もいない職員室で、顧問と二人きり。顧問は、足元にある物を蹴散らしながら怒鳴っていた。お前のことは信頼していたのに……!」と。信頼を理由に、なぜ自分だけこんな目に合わなくちゃいけないんだ…と中学生のわたしは涙が出た。

顧問だけじゃない。
仲の良い友人に恵まれ笑いの絶えない日々ではあったが、「ほどほどの仲」の人にはやはり「真面目」なイメージを持たれていた。
悪気はないのだが、「おならですら良い匂いをしそう」と冗談で言われたりして、褒められているんだかけなされているんだかわからなかった。自分自身とは乖離したイメージに苦しんでいた当時、とても居心地悪く感じたので覚えている。

さて、社会人になって10年を越えたいまどうだろうか。

就職し、編集の仕事をするようになってからも、「(しっかりしているイメージだったけど)意外に大胆なスケジュールで仕事するよね笑」とか、「(スマートに仕事するイメージだったけど)実は泥臭い?笑」と言われることがある。仲のよい同僚には、「最初からゆるいイメージ出せればいいのにね。損じゃない?」と笑われた。「しっかりしていそう」な期待に対して、実はそうでもないマイナスギャップ。がっかりさせてしまうこともあるだろう。
一方で、「(真面目だと思ってたけど)変な企画たてるよね」とか、「実は適度にゆるくていいね」と、意外性としてプラスに転じることもある。


「周りのイメージに応えなくちゃ」と思っていた10代。「真面目はかっこわるいから、真面目じゃないところを見せなくちゃ」とも思っていた。

もちろんいまでも、周りにどう思われるかは気になる。それでも自分なりに、真面目な部分も、真面目じゃない部分も堂々と出せるようになってきた。たくさんの人に出会い、その中で自己肯定感を少しずつでも高められていることは、小さな自信だ。

学生時代より、ずっとずっと楽になった。
年を重ねるごとに、ちゃんと生きやすくなる。