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私を救う言葉2

私は気の許した人にしか自分のことをほとんど話さない。

だからこのnoteなんて「自分というひと」シリーズが20超えして自分でも驚いている。そのくらい、頭の中は考え事でいっぱいなんだ。ピクサーの「インサイド・ヘッド」みたいに感情の担当がそれぞれいるんだけど、きっと私の脳内は休憩なしくらいでずーっと皆んなが喋っている。ということだ。

なのに話さないから、noteは貴重な場所。

読んでくださる方は、また来てくださる方もいて本当に私のことをよくご存知で!しかも暗かったり明るかったり、あっちに行ったりこっちに行ったり、かと思えば映画や本、贈り物や友達の紹介までしている自由奔放な内容で・・・。

とてもスッキリするーーーー!!

前のnoteに「私を救う言葉」というテーマであげたことがあるが、その私のメモを読み返して見たら、なんだかいいことをメモしていたのでまた共有しようと思う。

将来を不安視している私のために。そう、「私のため」のnoteだから。


「人生の意味を外に求めるより、起こった出来事によって思い悩みながらも自分に与えられている物事に打ち込む。」

「何が嫌いか?ではなく、なにが好きか?を口に出して正しい想像で願うこと。」

(みつろうさんの書籍より)


これは嫌、あれもちょっと、ではなくて「私はなにがしたいのか?」ということだった。そして必要とされているのならばそれは私のいる場所でもある。それはじっくり考慮する。みつろうさんの神様と悪魔の本はわかり易くて読みやすくて面白かった。気になる部分はあったけど、とてもいい意味で身近な問題が解決されたように思った。

もしかしたら前にも書いたかもしれないけれど、(ボケていて)1冊の本を読んで多くを知ろうとは思っていない。著者は多くを調べて膨大な時間を注ぎ混んでいるだろうけど、読者引っかかるのはほんの1小節だったりする。こういうnoteもそうだけど、価値観や感じ方もそれぞれだから、なにかしらのフックにかかれば私は読んでよかったととても思う。

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