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スピリチュアルにはまる彼女にモヤモヤする理由。

離れたところに住んでいますが
身近な女性が
3年ほど前から
スピリチュアルワールドにどっぷり
つかっています。
ただ好きではまっているに
とどまらず、
彼女は仕事として関わるようになって

するとどんどんどんどん、
それがFacebookやブログで
流れてきて、
目にするたびにわたしは
しばらくモヤモヤしてしまいます。

彼女はもともと賢く
暖かく、親切なひと。

ただ、スピリチュアルがらみと前後して
離婚や再婚や別離や
人生の大改変があり、
小さな子供たちを巻き込んだこともあり
それを境に私も夫も
彼女との関係に痛痒さのようなものを
抱えることになりました。

この出来事を発端とする
一連のことはまだまだいろんな火種が
至るところに埋め込まれ
時を経て再燃しています。

人生にはいろんなことがある。

なので、大改変はこの際、
いいんです。

ただ、ずーっとひっかかるのは
一連のことから
「本当の自分が開けた」
「いまがとても幸せで
これもすべて流れ」
「前世のカルマを乗り越えるため」
など、彼女によって繰り返される
「スピリチュアル思考」のようなものです。

スピリチュアルも新興宗教も
オーラもカルマも
他人に迷惑をかけず
反社会的でなければ
何を信じるのも自由でしょう。

心を前向きに保つ術も
人生には必要で、
世の中も出来事も
捉え方ひとつというのは
私もそのとおりだと思います。

しかし、スピリチュアルに
どっぷりになってからの
彼女と会うたびに
うまく話せていない
気持ちになるのはなぜか。
どこか、一連のことについて
「なぜそんなに割り切れる?」と
周囲が割り切れない気持ちに
なるのはなぜなのか。

このことをずーっと
この数年考えていて
思い当たるのは、

スピリチュアル思考は

鎧(よろい)

のようなものであるということです。

すべて
「これには大きな意思が
働いており、意味あることなのだ」と
いうスピリチュアル方程式に
あてはめてしまえば、
それで解決。
考える必要はなくなります。

スピリチュアル思考に依ることは
とてもラクです。
それ以外の考えも
可能性の検証も
いっさいなくなると言う意味で
外部の侵入から身を守る鎧。

極限的な状況に
あった彼女には
現実を受け止めるためにも
これ以上傷つかないためにも
生き延びるためにも
その鎧が必然だったのではないか。

「わたしは間違ったのか」と
思ったが最後、
心がバラバラに砕けてしまうのなら
私だってスピリチュアル思考に
すがりたくなるでしょう。

(というか、すでに
困難にぶち当たると
占いをいつになく読み込んだり
してしまう!)

ただ、その鎧を着込んで
そこから出てこない彼女に
接するたびに
周囲(スピリチュアル仲間はのぞく)が
力になれていないことを
見せつけられるようで
寂しさがあるのです。

わたしには、きっと。








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