欠席裁判(閲覧注意)

確たる証拠もなく、死んだ人を叩き続ける。
あくまでも、第三者が検証できない状態で。
受ける恩恵だけ受けて、ステージをもらい、名誉も金ももらい。
一昔前では、ひどい恩知らずでしかない。
「合意」の「有無」は、後になればいくらでも言える。
何しろ、相手は死んでいるし、言い返されることもないから。
本当は知っていたかもしれないTV局、タレント、歌手、マスコミは、この時とばかりに、手の平返しに、奔走。(生存中に何も言えなかった弱虫のくせに)
とっくに、長年知っていながら。ずっと見て見ぬふり、非対応は「ほぼ見殺し」。「ほぼ同罪」ではないのか?
結局、存命中は、「何もしない方が得」と、弱者見殺しに走っただけ。
当事者も、本当に嫌だったら、その時に殴り倒してでも、拒否するべきでは?
絶対にできない、とは言い切れないはず。
仕事欲しさ、あの売れている先輩も同じ体験を、に負けたのでは?
都合のいい、手前勝手な欠席裁判が多過ぎる。
LGPT差別は批判しながら、合意、非合意が不明確な「噂のタレント」を批判する向きも多い。
要するに「水に落ちた犬は叩け」が、この世での習わし。
そして、叩けるだけ叩いて儲けたい、それも、人間の業でもある。

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